〇〇で鬱 24/08/25
・「〇〇で草」は最初嫌だなぁと思っていたが慣れた。だが「〇〇で鬱」はいつまで経っても慣れないだろう。何となく
・散髪をした。あんまりする気はなかったが親が勝手に予約をしていたので行ってきた。散髪屋さんの椅子に座り、正面から自分の髪型を見るとかなり伸びたなぁと再確認できる。あと顔かっこいいなぁとも思う。髪型はどーでもよかったが短めにと。自撮りでどんな髪型になったか載せようかとも思ったが、あまりにも承認欲求ダダ漏れだと恥ずかしいのでやめにする。
・上記にもあるが、承認欲求が漏れ出す日が多々ある。それは家族や友人や恋人のイイネ👍では満足できないほどの欲求だ。そんな時はどうすればいいのか、結論は出た事ない、みんなもそうだろうと思う結論はわからないと。漏れ出した昨日、Twitterのスペースをやってみた。Liveで喋ったりするやつだ。深夜ならば大勢の人が起きているわけでは無いので承認欲求と自意識が上手くバランスが取れるだろうと、やってみた。しかし真夜中過ぎたのか1人も入ってくれなかった。それどころか、友達との共同アカウントに「一藤がスペース中!」みたいな通知がいってしまい、腑が煮え繰り返り、そのあと激冷した。やはり慣れないことはするべきでは無い。
タイムラインにはいつも承認欲求が飛び交っている。そもそもツイートをするためのアカウントを作った時点で、承認欲求デカ過ぎ君と断定できるし、されるのだ。僕なんて権化だろう、日記なんか書いちゃってさ。だがその捌け口として1番最適だと自分は思っているし、何より楽しい。
人によってその捌け口はさまざまだが、タイムラインに乗せる以上、自分に合わない意見が飛んできてもしゃーない。しゃーない、と言うことを前提に聞いてほしいが、自撮りをあげれるほどの女性が少しの誹謗中傷で「馬鹿にされて鬱」とか言わないでほしい。いやいいけど。言ってもいんだゲド。なんか。見境ねぇ〜と思ってしまう。自撮り顔を褒めてもらうことで満たされる。そして「〇〇で鬱」みたいな文章に対する共感コメントで満たされる。なんでもいいんだ、ほんとに、と感じる。僕はある程度変なプライドがあるので承認欲求を出すにしても「ま、承認欲求見せるにしても、こんくらいしか見せませんけどね、それで十分なんで笑」みたいな余裕を見せてしまう。別に色々な方法で満たしている人をプライドが無いと言うわけでは無いが。あらゆる手段の欲求をばら撒いて、少しでも共感してるれる人を増やすやり方は、ちょっと恥ずかしくてできない。あと全く関係なく涙袋は別に可愛いくないから、ありえないくらいデカくしないでくれ。整形とかしないほうが素敵なのにさ。と言うと「好きな自分になりたい」って言うでしょ?それに対して顔を中傷するような意見がくると「鬱」でしょ?ねぇ。ちょっとやそっと言われるくらいで鬱になるなら、それまだ好きな自分じゃ無いじゃん!よく言えるよ!ばーか。
・うんちの階段をちゃんと描いた人いますか?僕は無いです!
うんちの階段登る〜君はまだシンデレラさ〜♪
・ばかって言ってくれ。これで清算される。