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ドンキイクヨ 24/09/15

・最近ネットでよく見るドンキホーテの「偏愛めし」と言うのが食べたくなった。ドンキにしかできないようなあまりにも偏った弁当だそうだ。例えば「餡が異常にかかった天津飯」とか「焼肉のタレをドバドバ染み込ませたおにぎり」など様々ある。正直ドンキの悪ノリと言われても仕方がないようなものだが、その中でも「フライドチキンの皮だけ弁当」に胸を打たれた。食べてみたい。僕はバイクに跨った。鍵を刺した。エンジンをかけた。

なかった。1番近くのドンキになかった。まあまあ。別に良いさ無くても。天津飯はあったけど餡はあまり好きじゃないし、しょっぺぇ肉が食いたかったのだ。朝からなぁんも食べてなかったので余計お目当ての弁当が食べたくなった。ここで諦めるわけにはいかまい。バイクを走らせ次のドンキへ向かう。

なかった。このドンキは結構小さいので絶対にないだろうなぁと薄々感じていたが、やはりなかった。まぁね。そりゃそうだろうな。

関係ないが最近ブルーノ・マーズが作ったドンキの曲が店内で永遠と流れ続けていて、店員さんは気が狂ったりしないのかなと感じた。「ドンキイクヨ♪」は結構かっこいい曲に思えるがあのリズミカルなリズムを耳から脳に摂取し続けたら歩く時のリズムでさえ「ドンキイクヨ♪」になってしまうのでは?僕自身音楽に合わせて歩いちゃう癖があるので、店員さんは歩くスピードが知らぬ間に統一されてしまっているのでは?まあどうでも良いか。僕はまだ弁当を諦めたわけではない。次の店舗へ向かおう。

あった。次行ったのはメガドンキ。何がメガかはわからないが多分デカさだろう。惣菜コーナーもかなり充実していて、「フライドチキンの皮だけ弁当」も発見した。↑あったのであればもっと嬉しそうな顔をすればよかった。そこで差別化し喜びを表現すれば読みやすい日記になったはずだ。やり直そう。

あった。次行ったのはテラドンキ。何がテラかはわからないが多分金玉のデカさだろう。三角コーナーもかなり充実していて、「出来るだけ弁当」も発見した。↑あったのでもっと嬉しそうな顔をした。やり直した結果写真は良くなったが、文章が最悪になった。やり直さない。




これが噂の「偏愛めし」。文字量のダルさには毎回飽き飽きしているが、美味であれば関係ない。早速チンして食おう。(一口ハッシュポテトも買っている)。


ほほほ。ご馳走だなこりゃ。薄目で見たらそぼろにも見えなくもない。味もかなりうまい。粗暴な暮らしをしている自分からしたら何上ない褒美だろう。フライドチキン皮は、自分の想像ではパリパリなのかと思っていたが、じゅくじゅくだった。脂の塊でしかなかったがそれが好みなので美味しかった。

やがて気持ち悪くなって来た。ハッシュポテトもそう言えば脂じゃん。半分くらい食ったところで犬の餌に見えて来た。美味しいけど。美味しいけどこんなものを好き好んで食べていれば破滅の一途を辿る。バランスよく食べなければね。


ごちそうさまでした。結局お米が足りなかったのでプラスで食べた。また食べたい!浴びるほど食べたい!とまではいかないが二ヶ月後くらいにまたほんの少しだけ食べたくなりそうだ。皆様もぜひご賞味ください。

両手で持てよ


・小中学校の同窓会LINEグループができていた。つっても小中一貫校かつ小規模校だったのでグループメンバーは12人(中学の全校生徒が40名とか)。同じ高校へ行った1人以外誰とも連絡を取っていないし、誰がどこの高校へ行ったのかも知らない。多分成人式あたりで集まったりすんだろうけど何を話せば良いのやら。

・バンドマンが「この曲は〇〇の時の〇〇な感情を込めた曲だ!聴いてくれ!」みたいに作った曲っていつまでその〇〇な感情が込められているのだろうかと考える。凄い極端な例で言うと「失恋した時の気持ち」とかを込めた曲を作ったとして、いつまで「失恋した時の気持ち」を100%込めて歌えれるのだろうか。その曲を作っている最中とか発表してすぐは凄いタイムリーというか濃度の濃い気持ちが込められているのだろうけど、半年後くらいには結構慣らしで歌っちゃったりしないのだろうか。

曲に感情移入する時って、自分の境遇と曲の内容が100%一致していなくても、なんと無くで補填して思いを重ねたりすると思う。中学高校くらいの時は結構していた。今はもうしない、というかするような出来事が全くないのでしようにも出来ない。するとしても上記したように「あのバンドマンもう慣らしで歌っているんだろうな」と思うとあまり素直に聴けない。だからダフトパンクとか聴いちゃうんだろうな。

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