光の中の記憶 |2022.12.30

こんにちは。

冬の晴天は、南向き3階のベランダから、カーテンの影をうつしながら光をたくさん注いでくれます。
小学生の頃からこの明るい部屋で過ごしていた私は、もう南向きの家でないと満足できなくなってしまいました。

光は、感情を思い出させてくれます。
この部屋で、色んなことがあったこと。
母と喧嘩して泣いていた思い出も
恋人からのLINEのやりとりが楽しくてしょうがなかった思い出も。
家具はもう一人暮らしの部屋に持っていくか処分してしまって変わってしまったけれど、
光の差し込み方や空気感はもう10年以上変わらなくて
同じ部屋で外を恋しく思いながら机に向かっていたときのことがよみがえってきました。



その日は春休みで、仲の良かった5人グループの他の4人は部室に集まっているはずだった。
私は外に出ることが許されなくて、誰かと話したくて当時つき合っていた人にLINEする。
けれどその人はそのグループの一員なので、今頃はみんなとワイワイ話しているはずだ。

……そんなことは分かっているけれど、憤慨する。
こっちは一人でいるのに
恋人なら私が寂しい時に少しでも一緒にいてほしいのに
なんですぐ返信してくれないのか。

5分ごとくらいにLINEを確認して30分が経ったあと、諦めて勉強に取り掛かる。
数学の問題。模試の成績が急に下がって焦っている。でも自分の学力と問題のレベルにどんな差があるのか、皆目見当がつかない。

焦りがさっきの憤慨と混じり合う。結局もやもやが膨らんでいくばかりだったので、数学はやめてしまった。

そういえば、と思い出す。
この前、5人中3人女子なのだが、私以外の二人で音楽フェスに行ってたらしい。私は遊べないことが多かったし、部活にいられる時間も短かった。仕方がないと思う。けれど、誘ってほしかったという悲しさと、いつも断ってばかりだと親に対する不満が膨らんでくる。
だがそもそも、自分は誘いたいと思うような人物だろうか?
いつも少し余計なことを言ってしまっている気がする。自分の話ばかりしてしまっていないだろうか?

自分の長所が、ずっと分からなかった。何かの面接では
「一度したいと思ったことは、熱意を持ってやり通すこと」と言った気がする。
熱意が一極集中するのは間違いないけれど、個人的には”面接用”に作った回答で、本心からの自分の長所ではなかった。
周りの同級生は、みんなあんなに魅力的なのに。
なんで、素直に自分の良いところが出てこないのか。
周りの人の魅力的な部分を、うらやましく思ってしまう。

だめだ。色んな負の感情が、光がいっぱいの明るい部屋に、光と対峙して大きく大きく広がっていった。光が差してくるベランダを、直視できない。心なしか、少し冷えてきた。

小説を取り出す。こういう時は、違う世界に没頭するのが良い。違う世界を本の上から眺めながら
自分や周りの環境と照らし合わせて、自分自身を見つめる時間。


1時間くらいたっただろうか。思い出したようにLINEを見る。返ってきていなかったら、また没頭するしかない。
この時は、返ってきていた。すぐに返す。2分後に返ってくる。うれしい。

その画面の中が世界の全てになる。

光がベランダの窓いっぱいに差し込んでくる。その暖かさを感じつつ、
うきうきでLINEする。
自分が単純だということにうっすら気づきつつも、そんなことは知らんぷりだ。

小説のつづきは今度にしよう。数学、勉強しなきゃ。
LINE、きっと30分後くらいには返ってきているだろうから、しばらくは携帯を見ないでおこう。
自分の良いところはいつか見つかるはず。少なくとも、恋人がいるのだから何かしらの魅力はあるはずだ。

今日がはじまる。



今思えば、些細なことでひねくれて
自分のことが大好きなのに、自分の良いところは分からなくて
でもまた些細なことで前向きになれて
そんな高校時代が愛しくなります。

負の感情も、数年後に光として注いできたら大切な思い出に
当時は出たくて仕方なかったこの部屋も、今ではなくなって欲しくないと思うようになりました。

いずれこの家がなくなってしまったらどうなるんだろう…。
町に愛着があるわけじゃないけど、故郷を失くした感覚になるんだろうか。
”故郷を失くす”って、まだ本やテレビでしか見たことがなくて、全く想像のつかないことの一つです。

自分が住んでいる土地のことはあまり故郷だという認識はないけれど
この町の他の場所では感じない、切なさやときめきがこの部屋の、この光にはあります。

この光が、私にとっての故郷なのかもしれない。



昼間に光を感じながら書いていたはずなのに、何度か下書き保存しつつ少しずつ書き進めていたら夜になってしまっていました。

素敵な夜を。




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