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“平和”はうつろいゆくからこそ|てつがくcafé日記 vol.1『平和』
“世界平和”という言葉には、憧れを抱く。
なんとなく、誰もが本来持つべき人権を侵されず、幸せに生きているイメージが浮かんでくる。
一方で、その言葉に若干の不安も覚える。
“平和”な状態は、いつか来るんだろうか。
“平和”という言葉を一部の集団に対してだけ使ってしまったとき、争いが生まれてしまうこともあるんじゃないだろうか。
過去に戦争を起こしてしまった先人たちも、私利私欲だけじゃなく、もっと国や世界を良くするという信念みたいなのがあったのかもしれない。
“平和”という言葉に希望を抱く一方で、純粋に信じることを恐れながら、初開催するてつがくcaféに向かった。
(サムネ写真はてつがくcaféとは関係ないですが、子どもたちのおつかいを後ろから写真撮ってる時間って平和だなあと思って選びました。)
12月に、徳島大学蔵本キャンパスで哲学対話を行いました。今回の参加者は、知り合いづてで6名。テーマ“平和”について1時間半、ジュースやチョコをたべながら話しました。
以下は、私目線の哲学対話の記録です。
内容は参加者のメモと私の覚えている範囲なのでぬけぬけかもしれませんが、
太字の問いを一緒に考えながら読み進めていただくと嬉しいです!
◇◇◇
まずは、ルールを説明する。
①よく聴くこと
ぬいぐるみを持っている人が話すシステムで、話を遮らない。
②自分の言葉で話すこと
“偉い人がこう言ってたから正しい”ではなくて、自分の思ったことを話す。
③“人それぞれだよね”で終わらせない
“人それぞれ”と結論づけて話を終わらせようとせずに、それってどういうことなんだろうと考え続ける。
そして、この問いから始まった。
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「“平和”って言葉をきいて、
どんなことを思い浮かべる?」
「戦争がない状態。」
「とても抽象的な言葉だけど、なんかいい状態。」
「勉強ができる、ということが一つの指標。」
「当たり前のことを当たり前に享受できる。」
「突きつめると際限なくて、個人の精神世界?悪いこともどう捉えるか。」
「検索してみたら、“積極的平和”と“消極的平和”がでてきた。色んなHPとか見てみてもそれぞれ違う。考え方が似ている人が集まる?」
「平和と幸福のちがいは?」
「自分の平和が誰かの攻撃材料になったら、それはその人にとっては幸福でも平和ではなくなるのかも。」
「平和って階層的で、最低限の平和は明日生きられるかどうかを心配しないでいいことなのかな。」
「平和と対比できるものはたくさんあるよね。」
「貧困とか、感染症とか…。」
「勉強が指標の一つという話があったけれど、途上国のお母さんの夢は子どもが最後まで教育を受けること言ってるのをどこかで見たことがある。」
「貧困地域だとやりたいことができない。やりたいことができる、というのが平和の指標?」
「日本でもサッカーをやりたい、という時に周りに環境が整ってなかったらできない。生死には関わらないけどその人自身は平和じゃない?」
「考えることができるとき、平和だなと思うけれど、自分の失敗とかを省みている時は幸福じゃない。」
「“平和”って、ベクトルなんじゃ
ないんだろうか。」
「完全に平和、完全に不平和の状態ってない気がする。」
「平和って、野蛮なことから逃げるベクトルなんじゃないんだろうか。何か抽象的なこうなるといい、があって、そこに向かうベクトル。」
「平和はイデアとしてあって、社会をより良くしていく原動力なんじゃないか。」
「平和は結果論でしかないんだろうか?」
「攻撃材料になったら平和じゃなくなる、という話があったけれど、結局平和かどうかは、戦争になったかどうか、のような結果論で、歴史から学んでいくしかないんだろうか。」
「歴史に残って言い伝えられていくのが戦争で、失敗が戦争じゃない部分はあまり残っていないのかも。」
「平和という言葉は、過去か未来を指している気がする。今みんな平和な状態ってない。」
「野蛮なものから遠ざかるベクトルと、目標へ向かうベクトルがあるイメージなのかも。」
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「どっちのベクトルもより良いものを目指そうとする動きだよね。」
「より良いものを目指そうとする人類の総体が平和なんじゃないかな?」
みんなが思う
『こんな平和がいいな』を教えて!
「みんなが二度寝できるせかい。」
「YouTubeを際限なく見れること。」
「寒い日に暖かい部屋でめっちゃ笑ってること。」
「何かに背伸びして挑戦しようと思える状態は平和。テスト前は平和じゃない!」
「考えることをできるのが平和。五感を使って感じ考えられること。」
江戸時代の人の日常も
平和なんじゃないだろうか。
「最近ドラマ『仁』を見ていて、女性が馬に蹴られるシーンがある。今だったら命を軽視している、なんてひどい、ってなるけど、当時はそれは当たり前で、周りの人はしゃーないな、くらいにしか思っていない。当時の彼らの感覚としては、日常は平和なんじゃないだろうか。」
「たしかに、今は糖尿病になるのは当たり前で、糖尿病になったら平和じゃない、なんて思わないけれど、100年後は糖尿病になってた令和大変だったんだな、ってなるかもしれないよね。」
「戦争地域でもそこにいる人はそれが当たり前で日常を平和と感じてるかもしれない。」
「日本は地震とか災害で大変な国と思われてるかも。」
「平和は個人の世界でもあり、みんなで目指すものでもある。」
平和を目指すにはどうしたらいいんだろう。
「それぞれの平和をより大きな平和に昇華するには、攻撃的にならずに話し合いが必要だと思う。話し合いが実現可能か分からないけれど。」
「私的なものは平和とは言えない。集団の大きさはあれ、集団にとって良いことを考えないといけない。」
「相容れない集団が、相容れない部分もあることを認めて、でも同じ目標に向かって進むことが必要な気がする。」
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「ここで時間がきたので、終わります。まとめとか結論をだすことはあえてせずに、各自が持ち帰って、この先考えていく糧にしてもらえたらと思います。」
◇◇◇
哲学対話をしてみて。
同じような環境にいても“平和”に対する捉え方は色々あって、
それが世界なんて主語になったら、もっとたくさん“平和”は存在するんだろう。
でも、対立してその自分の“平和”を押し付けようとしたりせず、対話しすり合わせていく過程自体、その意思、そのベクトルこそが“平和”なのかも。
「糖尿病で亡くなるのが100年後には“平和じゃない”ってことになるかもしれない。」
この視点が個人的に特に面白かった。世界が、人間が、平和が、医療が、流動的であることをよく表した表現だなあ。時間軸をずらして物事を考えてみるのも面白い。
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徳島大学蔵本キャンパスで、1、2ヶ月に一度開催します。
4月からはSNSでも告知していこうと思うので、どなたでもお気軽にご参加ください。
(告知用のSNSはまだ迷っているので、決まったらnoteを更新します。私のInstagramをフォローしてもらっても大丈夫です。)