過去死にたかったわたしが、もしも命が描けたらを観て思ったこと
なんかアレなタイトルなんですけど、そしてネタバレ満載なんですけど、大丈夫な方は読んでいただけたらうれしいです。
(今は死にたいわけではないので心配しないでくださいね!)
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結論から言うとこの舞台は、すごく丁寧に"死にたくならないように"作られていると感じた。
これから順を追ってそれを書いていきたいと思います。
1.冒頭
もしも命が描けたらという舞台は、序曲のようなYOASOBIさんの楽曲が暗闇で流れた後、田中圭さん演じる月人が今まさに死のうとしているシーンから始まる。
三日月に対して自分なりの理由を並べたてるのだけど、中には(えっどういうこと?)と思うようなものもある。
このあたりがすごくリアルだなぁと思った。死ぬことを少しでも良く捉えたくて、知らずに論理が飛躍していってしまうというか。
この場面ではまだ月人のことをよく知らないし、そんなにガツンと感情移入をしなかったので、死にたいという感情は刺激されなかった。
2.過去
その後、月人の過去が明かされていく。
彼の境遇は、貧困、物心つく前の父との別離、それによる母親の変化、母親との別離、引き取られた先での子どものフリ、また貧困、職場での恋、やっと手に入れたしあわせ、その矢先の妻の死……
書いていて凄まじいなと思う。そりゃ〜死にたくもなるわ。
ここにもよく考えられているなぁと思うポイントがいくつもあって、まずは不幸の物量。
ここが生半可な量だと(あれ?わたしのほうが辛くない?もしかしてわたしも…死んだほうがいい?)みたいになるんですけど、月人の境遇の辛さは圧倒的な物量で畳みかけてくる。負けたよ月人、わたしより君のほうが不幸だ。
月人の抱えた境遇で、わりと普遍的だと思うものが、貧困と父母との別離だ。ここでも上手いなぁと思うのが、"暴力はなかった"というところ。
わたしは専門家でも何でもないから経験則でしかないのだけど、貧困と家庭の不和ときたら、大抵の場合は暴力もセットになっている気がするんです。貧乏・家庭内不和・DVのアンハッピーセット。
暴力の記憶ってしつこくて、その物語の他の部分を全消ししちゃうくらいに印象に残る。ここでもしDVの描写があったら、わたしも引っ張られたかもしれない。
物語の後半で父親がどんな人だったのかわかるのだけど、それを踏まえると、暴力はあったかもしれないなぁと思うんです。でも月人は物心がつく前で、あったかどうかも覚えていない。だから彼にとって"暴力はなかった"。
普遍的な経験を扱いつつも、感情移入をしないよう、上手くコントロールされているなぁと思った。
そして星子さんとの出会いによって、一度救われること。大抵の人の現在地は、救われる前か、救われたところで止まっていると思う。
月人はそこから一歩進んで、救われた後に彼女が亡くなってしまうという、すごく辛いところにいる。
死のうとすることにめちゃくちゃ説得力があるし、自分とは立ち位置が違うから同一視もしない。
ここまで不幸を真っ正面から描いているのに、それが他人事として受け取られるように計算されている。鈴木おさむさん、すごい…!
3.再び冒頭の場面と、三日月との対話
そして物語はもう一度、冒頭の場面を繰り返す。
ここですごいのが、三日月の「自分で死んでも、星子さんと同じところには行けないよ」という言葉。
これは死にたかったことのある人間ならばわかるんじゃないかと思うのだけど、「死ぬな!」とか「命を粗末にするな」とか、そういう言葉って全然響かないんですよね。自分の命は自分の好きにさせろや!って思ってるから。
でも「その方法じゃあ会えないよ」という言葉なら、"星子さんに会いたい"というのが一番の動機になっている月人に、めっちゃ効く。
そして生きる目的を失っている月人に、三日月は不思議な力を授けた。
絵に描いたものを、自分の命を削って生かす力。
命を全部使い切るまで絵を描く、そして星子さんに会う。目的ができた月人は、生き生きとして進み出す。
4.出会い
霧のかかった知らない街で、月人は虹子さんという人と出会う。
虹子さんは月人にグイグイ話しかけ、自分のお店に連れて行く。月人も不思議と虹子さんのことが嫌ではなく、気持ちが身軽になっていることも相まって、これまでの自分だったら断っていたような状況でも楽しめた。
虹子さんはあっけらかんとしているようで、実は奥のほうに悲しみを抱えている人物だった。
彼女の語る「一緒に酒飲んで笑ったらもう他人じゃない、あんたが死んだら悲しむ人がいるんだよ」「ずっと生きるのは無理だけど、まず一日、生きてみよう。次もまた一日、生きてみよう。……そうして生き続けてみたら、生きることに慣れてきた」等のセリフは、すぅっと心に入ってきた。
悲しみや辛さを見せずに明るく振る舞う虹子さんというキャラクターに、わたしは月人と一緒にめちゃめちゃ惹かれた。
ここで印象的なのが、死にかけた猫を見つけた月人が、迷った末に助けなかったシーン。
早く命を使い切って星子さんのところに行こう、そう思っていた月人が、まだ生きていたいと思えたことがわかり、わたしはとてもうれしかった。
でも月人は三日月に「責めろよ!」と言うんだよね。そして三日月は「しかたないよ」と返す。
このセリフも、わかる……となった。
死にたかった気持ちはそんなに簡単に切り替わらないんだよね。生きてみたい気持ちもあるけど死にたかった気持ちも消えたわけではなくて、ふとしたときに生きたい自分に罪悪感を覚えてしまう。
三日月の返答が「しかたないよ」なのもすごく優しい。三日月はいつも月人の心に寄り添っているなぁ。
5.もう一人
そしてもう一人、月人が出会ったのは、陽介というはちゃめちゃに明るい人。
陽介は周囲を(舞台の外を含めて)ひっかき回して笑わせて、意味不明のクイズやカラオケで36曲歌い続けたりするうちに、みんななぜか彼のことを好きになってしまう、そんな魅力的な人だ。
だけど陽介にも陰があった。人を殺めてしまったという過去と、病気でもう一年生きられないという未来。
自分は出頭するから虹子さんを頼む、そう言う陽介を、月人は助けることに決めた。
自分ではだめなんだ、そう思った理由の一つに、虹子さんに「ぼくが伴走します!」と言って断られた、というエピソードがあるのだけど、それは星子さんの受け売りでめちゃめちゃエモい。でもそんなエモさを感じる間もなく、物語はどんどん終盤へ。
6.終盤、そして閉幕
陽介が虹子さんに見せた笑顔を描く月人は、次第に胸がズキズキ痛むようになる。ドクンドクンという音と共に床に赤い血管のような模様が映し出される。命を削って命を描いているんだ。
「虹子さん、虹子さん……母さん!」
月人は叫ぶ。「あなたの笑顔は最高です!」
霧の中出会ったのが何年か前の母だったこと、無表情になってしまった母を笑わせてくれる人がいたこと。
そして月人は"楽しい"という言葉を口にする。「楽しい、命を描くのは楽しい」
今まさに命が消えようというときになって、初めて発された「楽しい」。
きっとこの瞬間、月人は生きる意味を見つけたんだ。大切な人のために命を使う、そして使い切って、星子さんに会う。
描き終えた月人はだんだんと空に昇る。いい湯加減のお風呂みたいな、と言いかけて、母の胎内のような、と言い直す。
彼の最期に感じた感情があたたかいもので、本当によかった。
暗転から開けると、おぼつかない足取りで月人が三日月の縁を歩いている。
「三日月になって街を見ていたら、小さい僕が押し入れで、あの画集を見ていた。だから僕はうーんと伸び上がって君と絵を照らしたんだ。
さぁ月人、絵を描くんだ。きっと面白い人生になるぞ。」
このセリフが大好きで悲しくてうれしくて、文字を打つだけで泣きそうになっちゃう。
月人は最後には自分の人生を肯定できた。でもそれは、誰かのために命を使うことだった。
7.感想と、月人が教えてくれたこと
ありがたいことに二回観劇する機会をいただけたのだけど、毎回ボロボロ泣いてしまった。
気を抜くと声をあげて泣いてしまいそうで、暗転したあとYOASOBIさんの楽曲が大音量で鳴っていてよかったと思った。
初回はもう完全に虹子さんの気持ちになっていて、自分のために息子が死んだなんて知ったら気が狂ってしまうと思った。
二回目は、誰かのために何かしたい!という気持ちは止めることはできないんだな、と思った。でもやっぱり月人が死んでしまうのはとても悲しい。
見終わる頃には自分が過去死にたかったことなんてすっかり忘れて、月人を想って泣いていた。
死にたかった経験より母性が勝ったんだと思う。
それは、多分きっと絶対、演じている田中圭さんのすごさによるものだ。
悲しみを抱えながらもどこかユーモアがあって、ガードは硬いけどその中身はやわらかく優しくて。彼の演じる月人がとにかく魅力的だったから、二時間前には知らなかった人の母親の気持ちになってボロボロ涙を流せた。
この物語では、月人のしたこと……自分で死のうとしたこと、大切な人のために命を使ったことを、良いとも悪いとも言わない。
でもラスト、三日月になった月人の表情が晴れ晴れとしていて、ああ自分の人生を肯定できるとこういう顔になるんだ、と思った。
きっと人生って誰かに善悪を委ねるものではなくて、自分がどう思うかしかないんだろうな。
それは辛い道かもしれないけれど、自分で自分の人生を肯定してあげることが大事なんだ。そうしたら多分、楽しく生きられる。
わたしは修行が足りなくて、今は楽しいけど自分の人生を総括して「面白い人生」とはまだ言えないなぁと思うし、過去に戻ってやり直すなんて考えるだけで嫌だけど、いつか過去もまるごと愛せるようになるんだろうか。
当面は、過去をまるごと愛せない自分を愛してあげられるように生きようと思った。
過去死にたかったわたしに、誰かが死ぬのってこんなに悲しいことなんだよ、と月人が教えてくれたから。
8.最後に
こんな辛気臭くて長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。
あるあるだと思うのですが、推しが死ぬ物語に触れた後って自分のメンタルも落ちることが多くて。
今回の作品もそうなることを覚悟していたのに、なぜかその波が来なくて。日常でもいろいろあったし九月なんてけっこうみんな苦しくなる時期なのに。
なんでだろう、と考えているうちに作品に張り巡らされていた配慮に気付いたのが、このnoteを書くきっかけでした。
過去死にたかったということを他言するつもりはなかったしこれからも書かないと思うのですが、この舞台のすごさを語るにあたって"死にたかったところから抜けた"経験を明かす必要があるなぁと思って、こういう切り口の文章になりました。
これはあくまで"抜けた"側のわたしの感想だし、さらに年齢とか子どもの有無とか色々な経緯とかによって受けとるものは違うのだろうなぁと思います。
死にたい方・死にたかった方がこの舞台からどんなことを感じたのかすごく興味があるので、該当の方いらっしゃいましたらぜひコメントやDMいただけるとうれしいです。
また、もし万一舞台を見ていないのにここまで読んでくださっている類稀なる方がいらっしゃいましたら、ネタバレをめっちゃした後で申し訳ないですが今度配信されますのでぜひご覧ください……!そして感想を聞かせてください。
あ!それから、何度かセリフを引用していますが、全てうろ覚えです。ニュアンスでお読みください、すみません。
そしてわりとアレな文章なので、何かあったらポッと消してしまうかもしれません。それも、すみません。
冒頭にも書きましたが、今は楽しく生きていますので、ご心配なさらないでくださいね。
それでは、本当にここまでお読みくださり、どうもありがとうございました!