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半身不随になりかけた話

2023年3月に家の屋根から飛び降り、第2腰椎破裂骨折・第1腰椎棘突起骨折・仙骨骨折・両踵骨粉砕骨折をして約2ヶ月の入院をした。
やった手術とか起きたこととかを記す。もしかしたら同じことを経験する人がいるかもしれないから……



腰砕け(物理)

あなたは「飛び降りた時に足から着地すると衝撃で背骨が脳天をぶち抜く」といった説を聞いたことがあるだろうか。

中途半端な高さから飛び降りて足から着地した私は、脳天は無事だったがそれ以外が全く無事ではなかった。

背骨を左側から見た図
ぐしゃっている

背骨(これは第2腰椎というらしい)が潰れた。
地べたに這いつくばったまま、腰の痛みで喉から勝手に声が出た。アニメのメイドインアビスでリコが骨を折られた時と全く同じ声。声優さんってすごいね。
両足は痺れて感覚がなくなっていた。

救急車が来て近所にあるでかい病院に運ばれた。尿道に管を入れられ、ケツに指を突っ込まれ、おむつを穿かされた。仮にもうら若き乙女である身、蹂躙ベコベコにいかれてるがケツ指の方は下半身に感覚があるかどうかの確認らしい。あったので結果よかった。二度とされたくない。

腰を検査されている最中、足の痺れが取れてきて同時に両足のかかとに激痛が走ってくる。すぐに限界が来て「すみません足も痛くなってきました」と伝えた。足の検査も追加された。

折れてた(笑)普通に(笑)

痺れで骨折の痛みが分からなくなるほどの着地の衝撃、そりゃあ背骨も潰れる。ちなみに検査のために限界まで曲げようとしてこれ、折ったのは足首じゃないのに全然曲がらなかった。

点滴で痛み止めを入れてもらう。本当に助かる。

足はそのままギプスで固定され、完全に"怪我人"のビジュアルになった。横を向けないのでどうしてもかかとに重力がかかって痛かったけれど、まあこんなの腰に比べたらと思った。

腰の方は危なかったらしく、なんでも破裂した骨片が神経を圧迫していて、これから(これから!?)手術をするけど半身不随になるかは賭けのレベルだと説明を受けた。

あとついでのように右ケツの骨(仙骨)も折れていると言われた。そっちは特になにもしなくていいらしい。

ちなみに誰かに突き落とされたなどの事件性も考慮して警察も来たと聞いた。お騒がせしてすみませんでした……。

腰の手術(後方除圧固定術)

要はボルトとかで骨の位置を直して固定するとのこと。
手術は飛び降りたその日の夜だった。主治医となった先生は忙しいらしく(というか整形外科自体がめちゃくちゃ忙しいらしい。どこの病院もそうなのだろうか)、言われていた時間よりちょっと押していたような記憶がある。

飛び降りただけあって全てがどうでもよかったので恐怖心などはなかった。もう歩けないかも、という言葉もあんまり響いていなかった。

人生初の全身麻酔だった。なんか眠剤で昏倒する感覚に近いなと思いながら意識を失った。死ぬ時は絶対これがいいので、どうか。

目が覚めた時にいたのは消灯された病棟で、暗かったことを覚えている。わー看護師さんいっぱい、あれ喉に管入っt「喉の管抜きますね〜」スポンッ
わたし「はい(カッスカスの声)」

というか腰痛!?!?!?!?!?術前までわりと余裕あった(たぶん痛み止めのおかげ)のにすっげー痛い!?!?!?!?こんなことってあっていいんですか!?!?!?

腰が動かせないので身動きが取れない。仰向けのまま横を向くことすらできない。痛すぎる。まあ自業自得なのですが。
自分でやった怪我で本当によかった。原因が誰かにあったら本気で呪っていたし退院してから刺しに行ったと思う。

結局その日は痛みだか不安だか麻酔の影響だか知らないけど嘔吐しながら不眠(ねむれず)の夜を過ごす。吐こうにも寝返りすら打てないので顔だけ限界まで横を向いた。近くにいた老人がずっとわめいていてうるさかった。これから個室じゃないところで入院する人へ、耳栓はあった方がいいです。

剣士の恥

手術痕、見る看護師さん全員にすっごい綺麗だね〜と(主治医が)褒められていて面白かった。看護師の叔母も褒めていた。おまけに半身不随も回避してくれた主治医、何度お礼を言っても足りない。

搬送された病院が整形外科が強い上、主治医も脊髄が専門だったらしい。本当に運が良かった。

術後 入院生活

以下、日記に書いてあることと記憶が頼り

痛い。点滴で痛み止めを入れてもらっていたが切れるたびに泣きながらナースコールを押した。「今入れると次は〇時間後になるけどいい?」「お願いします……;;」
痛み止めが効いている間はわりと耐えられたので、腕以外動かせない・することもない、で入院生活の暇さを実感した。

床ずれ防止のために背中にクッションが詰められた。痛い。自力で動けないので位置を変えたいと思うたびにナースコールを押さなければならない。申し訳ない。

ラジオ(有線?)で千の風になってが流れていた。救命病棟で流れていていい曲ではないだろと思い少し元気が出た。結果正解だったのかもしれない。

救命病棟の中でも静かな場所に移された。「あそこちょっとうるさいからね(笑)」と言われたがちょっとどころではなかったし看護師の間でもそういう認識をされているのが面白かった。

暇そうな私を見かねたのか看護師が「読む?」と暗殺教室を持ってきてくれた。なぜか9巻だけなかったので私は渚たちがあの島をどう乗り越えたのかを知らない。面白かった。
あと名探偵コナンを初めてちゃんと読んだ。インターネットでよく見る安室透とかいう男、そういう感じなのね。赤井秀一って敵なんだ……!?(これってネタバレになりますか?なったらすみません)

体を少しでも動かすと腰に激痛が走る。歩き方が不安定でトイレに立つたびに私のベッドに衝突してくるおばあちゃんがいて、毎回ぶつかりませんようにと祈っていた。願いも虚しく毎回ぶつかってきて毎回激痛が走った。

痛みはだんだん引いていった。痛み止めが点滴から内服になった。

左足は元気に動かせる。なんともなさそう。右足がとても重い。触られても感覚が鈍い。検査のために寝たまま膝を立てた姿勢を維持しなくてはならなかったけれど、どうしてもできなかった。重くて滑っていく。結局膝を紐みたいなやつで縛られた。

ちょっとずつ体を起こせるようになっていった。
術直後から「60°まではOK」と指示されていたらしいが最初はほんの少しベッドを起き上がらせるだけで激痛が走った。上げては止め、上げては止めを繰り返して、最初のご飯は30°の姿勢で食べた。

便秘がえげつない。寝たきりだと重力で出てこなくなることはよくあるらしい。これは本当に困った。下剤を飲むことを看護師が「盛る」と言っていて最高だった。「盛ったけど効かなかった?」「はい泣」

スマホも触れず暇だったので本を持ってきてもらった。
物語シリーズは長くて時間が潰れてよかった。千石撫子、アンタ世界一の女だよ……。髪型は初期のが好きだけど……。

ギブスに覆われていないつま先がすごい色をしている。ぶくぶくに腫れて(むくんで?)いる。写真に撮っておきたかった。

踵の手術(経皮ピンニング)

受傷して10日後、左踵骨の手術をする。

粉砕骨折

折れている骨に長いピンを突き刺して固定、皮膚からピンが飛び出したまま過ごし、安定したら外から引っこ抜くらしい。人間ってすごいこと思いつくな。
本当は両足ともやる予定だったけど、右は想定より綺麗だったらしくて左だけになった。

すごすぎ

当日の朝に刺された点滴の針のところがあまりにも痛くて、そこから麻酔を入れられている間ずっと「痛い……」と泣きそうになりながら意識を失った。あんな死に方は嫌すぎる。

目が覚めたのは手術室で、2時間ほど経っていた。異様に寒く、電気毛布をかけてもらった。
覚悟はしていたけど術直後は本当に痛かった。この痛みが腰の時と同じようにしばらく続くのかと心底嫌になったけれど、翌日には拍子抜けするくらいなんともなくなっていた。

リハビリとか生活とか

やる予定の手術は終えたので、まずは車椅子に乗るための練習が始まった。とは言っても足に体重をかけられないのでベッドから寝たまま転がって移乗できるリクライニング式の車椅子。
2週間くらいずっと寝たきりだったので最初は立ちくらみで長く座っているのも無理だった。

寝たきりだった頃に「桜は来年だね〜」と言われていたけれど、リクライニング式の車椅子に乗せてもらって、病棟をまわって窓から桜を見せてもらった。気持ちが本当に嬉しかった。

車椅子でトイレまで行けるようになったので、尿カテを抜くことになった。でも結局自力で排尿できずまた入れることに。「神経やられてるのかもね」と言われてめちゃくちゃ不安になったけど後日トイレで再チャレンジしたらあっけなく成功した。たぶん人間の体って慣れてないと寝たまま排泄できないつくりになってる。

ジェルネイルをしていた爪がさすがに限界かなと思って爪やすりで削りまくった。救命病棟とかいう人の多いところでくっせえリムーバーを使うのは躊躇われたため。時間だけは有り余っていたので綺麗に削れた。

前髪も伸びてて鬱陶しかったので看護師にはさみと鏡を借りて自分で切った。文房具のはさみは無理。医療用(?)だと余裕で切れる。前髪用のピンとかあるといいかも。

受傷後20日くらい、コルセットができる。

でかい

これは退院してから撮ったやつだけどま〜暑い。そして邪魔。そのぶん安定感はすごい。

車椅子で移動をするリハビリも始まる。
私は障害のある人を介護するための資格を持っているため、操作を一通り覚えていたのが役に立った。上手かったらしく褒められた。「怪我したことある?」「ないです」「運転免許持ってる?」「持ってないです」「? 操作上手いね!?」「あ、介護の研修で乗ったことあって……」←下手ななろう系? 行間を読めないASDのリアル

リハビリの先生は快活な人で楽しかった。おかげで今でもいやーリハビリ頑張ったな自分!みたいな気持ちになれない。なんか楽しく喋りながら動いてたら動けるようになってて草という感じ。プロってすごいなあと思った。

まだ車椅子への移乗の際には全介助(抱っこのように抱えてもらう)が必要で、これは男女の筋力差を如実に感じられて面白かった。男性の看護師だと安定感が段違いだった。もちろん女性だ!不安!みたいな思いをすることはなかったけれど。

ベッドの上で筋力をつけるためのリハビリもした。
「ハイハイの姿勢は腰にもかかとにも負担がかからないからやっていいんだよ」と言われて確かに……と目から鱗が落ちた。
四つん這いになって手足を伸ばしたりした。痛みはなかったけれど、さすがに動いてない期間が長くて筋力が落ちていてしんどかった。

座っていられる時間も増え、入院して1ヶ月後には1日のほとんどを車椅子の上で過ごすようになっていた。この頃とうとう私が死んだのかと思った友達が家に来てくれたらしく、遠方のフォロワーからも手紙がきた。
精神疾患を公言している人間が急に音信不通になると本当に死んだと思われるのでみんなは気をつけてください。

シャワーの許可が出た。といってもまだ左かかとからはピンが飛び出ていたので怖くて直視出来なかった。
足を床につけることも腰を曲げることもできなかったので全てを看護師に頼りきりだったけど、1ヶ月ぶりのお湯は最高だった。
お風呂は心の洗濯←マジすぎ

かかとの手術から3週間後、突き刺さっていたピンが抜かれた。
朝の回診のついでに抜くよ〜えいっ!て感じで。処置室などですらなく普通にベッドの上だった。
そんなに痛くない、見た目が怖くて泣く子はいるけど痛みで泣く子はいないと聞いていたのにだいぶ痛かった。足の下に置いていたクッションに血が結構付いていて相応の痛みだったなと思った。私は大人なので泣かなかったけど子どもだったら普通に泣いてたと思う。
同時に足を固めていたギブスも外れた。

(退院直後)あれがデネブアルタイルベガ(和室界隈)

ピンが抜かれてしばらくして、かかとの装具ができた。
青竹踏みの要領で土踏まずを埋め、踵骨への負担を減らす算段らしい。片足ならともかく両足なので完全に浮かせるのは無理だけど……とのこと。

装具 これも退院直後
今見ると浮腫んでいる

当時は足がぶっくぶくに浮腫んでいた。体を起こして足を下にするとより酷くなる。普段より2cm大きいスリッパすら入らず、トイレに行く際には手術の時に頭に被るやつをはめてもらっていた。
解消するために寝ている時は足を心臓より高くするといいよとアドバイスを貰ったので素直に実践していたらスリッパが入るようになった。

足に体重をかけられるようになり、歩く練習が始まった。
最初は歩行器を使って腕に頼りきっていた。両足ともしばらく足首が固められていたので可動域が狭まっていて大変だった。あと筋力もなくてすぐに疲れる。

歩行器に慣れてからは松葉杖にも挑戦する。無理だった。手すりや壁を伝って歩くのはいけたので、家の中で過ごす分には問題ないと思うとの言葉を頂く。

松葉杖でなく老人が使うようなT字の杖に変えたらどんどん歩けるようになっていった。杖に体重をかけるのではなく足にかければいいんだ、と気づいてからは杖もほとんど必要なくなった。

階段昇降の練習もした。昇るのは難なくいけたけど降りるのが難しかった。足首が曲がりにくいので体を完全に横向きにしないと降りられない。これは今も若干残っている。

退院(受傷後2ヶ月)

ようやく退院の許可が下りる。外はいつの間にか暑くなっていた。

「腰を曲げない、重いものを持たない、立つ時には絶対に装具をつける(一度忘れたまま立とうとした)(ドアホ)」を厳重に注意された。あとはひたすら筋力をつけるしかできないそう。

当初は車椅子借りてた

一見怪我していることが分からないから、杖を持っていると周りから避けてくれて便利だよ、とのことで購入。折りたためるタイプは自転車のカゴにぶち込めるのでおすすめです。
自転車は移動手段としてちょうど良いのだけれど、周りに話すと「乗っていいの!?」とびっくりされる。思いっきり足を着くなどしなければ問題ないです。安全運転で。

受傷後3ヶ月

退院して1ヶ月、踵骨は両足ともくっついた。完治!
装具も外していいとのこと。最初はかかとの丸さと不安定さに驚いた。
そしてまだ痛い。痛みは残りやすいと言われた。

よく分からないけどくっついたらしい

腰は骨ができてないのでまだコルセット着けててねと言われた。でも暑すぎて家では外していた。来月になっても改善の気配が見られなかったら人工骨とかで埋めるのを考えた方が良いかもとのこと。ビタミン取りな魚食べなと言われる。腰を曲げない動きが上達する。バイト(子ども相手なので危なくて行けてない)もできす暇なので友達と遊び回る。

受傷後4ヶ月半

腰の骨ができてきた。魚食べてミロ飲んでたおかげかも。
コルセット外していいよと言われる。暑かったので嬉しい。

右が現在

まだ曲げるのはご法度らしい。腹筋と背筋?が弱ったのか起きた姿勢を維持するのが辛い。人をダメにするソファに本当に救われている。

今のところ2024年3月(受傷後1年)を目処にボルトなどを抜く予定。
受診するたびに「歩けるようになったのって本当に凄いことなんだよ」と言われる。凄いのは綺麗に治してくれた先生たちです……。

後遺症はといえば、アキレス腱が固まってちゃんとしゃがめなくなった。これはもう動かしていくしかない。やっぱりかかとは痛くてたくさんは歩けない。あと両足ともガリガリになった。
腰は曲げられないからそのぶん筋肉が落ちていてしんどいけれど、使えるようになれば改善すると思う。
この程度で済んで本当に良かった。

歩けない時期を経験したので、今こうして不自由ながらも歩けることの自由さを実感している。

話は逸れるけれどこの間中央線に乗っていたら杖に気づいて席を譲ってくれた人がいて本当にありがたかったです。優先席じゃなかったのに、優しい世界。

おまけ

飛び降りる3日前
行きたかったな、推しのイベント……

おしまい
また進展があれば追記していく


追記

受傷後1年

受傷してから1年が経った。

死ぬほど痛い思いをしたにもかかわらず希死念慮が完全に消えることはなく精神科に医療保護入院させられたりしていた。

骨はといえば

1年前と現在

主治医いわく「もう外しても大丈夫だけど外さないデメリットもないからそんなに焦らない方が……」とのことでまだスクリューは入っている。腰を曲げない生活にももう慣れたのでなんの問題もない。全治2年と見ているらしい。

ちなみに、

正面から見た背骨

ここの上の空間は他の組織が入り込んでいてもう骨が出来ることはないらしい。一生背骨欠け人間として生きていくことになった。

あと、かかとが潰れたせいで足のサイズが大きくなって愛用してたマーチンが履けなくなり泣く泣く売り飛ばした。杖こそ必要なくなったが痛みも残っているので柔らかいインソールがないと長時間歩くのが結構しんどかったりする。

次回の検査は半年後で、その時の結果次第でスクリュー抜去できるかな……?という感じ。

また半年後、追記します。

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