浮気はなぜ悪なのか?
浮気が悪であるということは、パートナーに何らかの不利益が生じているからだと思います。
理由としてよく耳にするものを挙げると
感情的な不利益
浮気してしないと嘘をつくことによる信頼感の欠如、パートナーの好意が他人に向かう嫉妬や不安、等生理的な不利益
性病の蔓延や、浮気相手を抱いた体に抱かれるのは生理的に気持ち悪い、等経済的な不利益
キャバクラ通いで家計が圧迫される、デート代をケチるようになる、等時間的な不利益
パートナーよりも浮気相手を優先する、浮気の結果別れることになり一緒に過ごした時間が無駄になった、等
端的にいうとパートナーが幸せにならないから浮気はすべきではない、ということだと思います。
ここで疑問に感じることが2つあります。
パートナーが幸せなら浮気してもよいのか?
嘘も付かずパートナーの安心感に欠かないくらい十分なコミュニケーションを取り、経済的な余裕もあり、性病もしっかり対策していれば許せますか?浮気する側の幸せや充実を、浮気される側が喜べないのはなぜか?
例えば、インドア派のパートナーとはカフェ巡りを楽しみ、アウトドア派の浮気相手とはキャンプを楽しめば、2倍充実した人生を送れそうな気がしますが、パートナーが充実した人生を送ることを喜べないのはなぜでしょうか?
上記のような理由から、私は自分のパートナーが浮気をすることを否定しません。
むしろ、いろんな人と過ごして充実した人生を送ってほしいと思っています。
なぜなら、パートナーの幸せが私の幸せだからです。
もちろん、嘘をつかずに浮気してくれればいいですし、病気をもらいたくはないので対策はしてほしいですし、私とデートするお金や時間の余力は残しておいてもらう前提です。
そして、逆に私にも浮気をする自由がほしいと思ってします。
私は縛られることが嫌いです。
実は浮気否定派のパートナーでもしっかり話し合って、どこまでなら許せるか、見解が合わない場合はどうすればその問題を解消できるか、などお互いにアイデアを出し合ったり価値観を確認し合って、納得することができれば浮気を容認してもらうことができます。
もちろん、初めは反感を買うので感情のコントロールや関係の維持にはかなりの困難が生じますし、別れることになるリスクはかなり高いですし、お互いが納得感を得るには時間もかかることでしょう。
しかし、本音で話し合うことは、隠れて浮気したり自分を正当化するよりもよっぽど誠実なことです。
時間をかけて話し合ってもうまくいかないということは、コミュニケーションの問題もあるかもしれませんが、おそらく根本的にパートナーと価値観が合わないということなので、むしろお別れした方がお互いのためだと思います。
ただし、皆「現実」や「体裁」というものがあるので、そんな理想通りにいくはずはありません。
訴えられるリスクは誰でも怖いですし、周りからはどうしても白い目で見られてしまいます。
人生を楽しむために本当に戦うべきは、この「現実」と「体裁」なのだと私は思っています。
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