心が映すもの

画像1 見る……とは、心が見るのだなと……。
画像2 いま、目にしているものは、心にあるものを見つめているものなのだなと……。
画像3 目を閉じれば、或いは目を開けていても、心の思うままに、世界を見ることができるのだと。
画像4 ぼんやりとしていてもいいし、よく思い出せなくてもいいし、そもそも、好きなように思えばいいんだなと。
画像5 なぜそれを見たいのかというと、それには、不思議なほど理由がなくて、それこそ心の思うままに見たいだけなんだけれど。
画像6 見ている自分と、見つめている世界は、心を通して一つになっているんだなーと、うっすらと、ぼんやりと、おもったり……。
画像7 自分の意識とやらを、細かくして、隙なくものを見なくても、あちら側から心を通して、光が沢山届いていて、溢れるばかりの細やかさで、世界の美しさを伝えてくれるのだなーと。
画像8 或いは、そこに無いものさえ、見ることができるだろうと。確実に失われたと思ったものも、心を通して見えているに違いないのだから。存在なんて、それくらい、柔らかものなんだろうと、感じられてならない。
画像9 真っ直ぐで凛としていながらに、微笑みを浮かべているそれが、自分の心にも届いていて、自分自身も、同時に見出しているという不思議。世界というものの有り様を、もっと自由にしてもいいのだなと、春の日に思うのでありました。

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