美空ひばりの「津軽のふるさと」(米山正夫作詞作曲)の「津軽」の意味について
美空ひばりの「津軽のふるさと」を聴きます。
若い頃はあまり聴くことは無かったんですが、最近になって好きになりました。「津軽のふるさと」は哀愁があっていいですね。
「津軽のふるさと」は「川の流れのように」と同様にYutubeで聴いています。美空ひばりの歌は、こころに入ってきます。
ところで、いままで「津軽のふるさと」の意味がもう一つよくわからないでいました。「津軽」を地名ととると、「ふるさと」とのつながりがちょっとしっくりこなかったのです。津軽という地名にふるさとがある、というと
なにかヘンですよね。
そこで、ネットを見ていたら、
《「ことの起こりは戦国時代まで遡り、野辺地戦争など、両地方で繰り広げられてきた争いが語られます。江戸時代の藩とは今の感覚でいうと別の国ですね。津軽と南部は藩境塚(はんきょうづか)で明確に線引きされ、行き来には手形が必要でした。だから文化や言葉も違っていたんですね。現在も平内町と野辺地町の間などに藩境塚が現存しています。
藩境塚とは
今でも南部の人が津軽の人を言い表す時、こんな言い方がされるそうです。「津軽はすぐ○○るから」でも、津軽の人はこう言います。「津軽は情報を集め、時代を読んで行動したのだ・・・」》(「たびこふれ」青森の人が語る「ホンモノの青森」講座より引用)
という記事や
《津軽藩祖 津軽為信は元々南部の家臣だったと言う因縁 それと戊辰戦争時当初は 南部 津軽両藩共 奥羽列藩同盟(幕府側)だったが のちに津軽藩は官軍側に寝返り南部攻めを行う この二つの因縁から南部側から言わせると「津軽人はすぐに裏切る」と言う事になった》(5ちゃんねるの記事より引用)
という記事が目に留まりました。
「津軽はすぐ○○るから」という使い方からすると、「津軽」は「津軽の人」という意味に受け取っていいと思います。
そうすると「津軽のふるさと」は「津軽の人のふるさと」となり、ようやく納得することができました。
さらに「津軽のふるさと」の歌詞を踏まえると、「津軽のふるさと」の「津軽」は、「津軽から離れて暮らす人」と拡大解釈することができるように思います。