ミュージカル刀剣乱舞感想まとめ~あつかしからあおさくまで~
単なる個人的な主観ではあるのですが、刀ミュのお話ってあつかし‐つはもの、ばくてん―むすはじ、みほとせーあおさくで続き物って認識だったんですよね。まああつかし―ばくてん、あつかしーみほとせの繋がりもあるんですが……そこは本題ではないのでおいておきます。
あとあおさくでシステム三日月宗近という新設定が出てきたことを踏まえ、2020年春の七作目が、今までのお話が一区切りした後の新作になるんじゃないかなー?と思ったので、これを機に現時点としての感想としてさっくり各シリーズの雑感をまとめておこうかなと考えました。というか自分で初見感想を書いたり書かなかったりしているのと、その際ツールも違うものを使っていることも多く、単純に見返しにくかったというのもあります。そういう意味では自分用の備忘録的なまとめになりますかね。ちなみに一部のお話部分だけなので二部はないです。基本二部はかっこよかった!!って記憶しか残らないのもあり……でも良い歌多いですよ!
①阿津賀志山異聞
通称あつかし。全ての話の原点。トライアルは見ておらず、初演と再戦はどちらもライビュで観劇。DVDは初演と再演を所持しています。
あつかしはシリーズの最初なだけあって話の構造が分かりやすいというか、主人公を加州清光と定義すると、加州清光が「今剣と岩融が元主の歴史を守る過程で葛藤する」という物語の中で、実戦刀加州清光の対比対立構図にいる御神刀石切丸と衝突、和解を経験し、その結果加州清光が刀でも人間でもない「刀剣男士」という存在になるまでの話だと感じました。三日月と小狐丸はこの話においては皆のサポートに回ってくれているのですが、再演では後のつはものを踏まえた関係性なんだなって思える仕込みもされているなあ、と感じるシーンもいくつかありましたね。
初見感想としては、加州と対立・対比する構図に石切丸を持ってくるというのが新鮮で面白いなー!と思った記憶が未だにあります。ここでの経験を踏まえて加州はばくてん、石切丸はみほとせに繋がっていくので、そういう意味では本当原点の話なんだなあと思いますね……。
ミュ加州の当初の価値観は新撰組での実戦刀としての経験を元に作られているなと感じるんですけど、それは全ての刀たちには当てはまらないことなんだ、と理解するまでがとにかくめちゃくちゃ早くて、それを反省するのも早くて、そこが素直でいいなあって思いました。あまりに素直だから苦言を呈した石切丸もびっくりしているのが面白かったというか……。ミュ石切丸は基本は皆にさん付けなのですが、話の中で呼び方が加州清光さん(通常)→加州清光(マジ怒りモード)→清光(和解後)って呼び方が変遷していくのがめちゃくちゃ好きでした。石切丸の中の呼び捨て、つまり対等な関係ってことなのかなー?って思うけど、この辺適切な言葉が思いつかないなあ……。
石切丸、矛盾という名の蕾の歌のあたりで見れる不意をつかれたびっくり顔が好きで、あれつまり急に心の内側に踏み込まれたからの表情、って認識しています。あの瞬間石切丸にとって、加州清光が一定の距離を置くべき他者でも、加護対象の年下でもなくなったのかな、って認識。ただみほとせ石切丸の内側には絶対に踏み込ませないガードの固さを見ていると、実はこのときの加州清光すごいことしていたのでは?と思った。だかららぶフェス2016が物騒な加州清光過激派みたいなことになってたのかな。笑
今剣と岩融については、ゲーム回想の「どうして歴史を変えてはいけないの?」を掘り下げてきたなあ、と思いました。しかし初演もすごかったが再演の「貴方は義経公じゃない!」の今剣の叫びがすごくて、再演はVS義経がすごく迫力増していて、とにかくすごかった……。すごいしか言えないのか?はい。殺陣も初演と違うところあったのかもだけど、その辺詳しく説明できず悔しい……。重傷からの戦線崩壊、後は真剣必殺の流れが素敵でした。何気に真剣必殺演出あつかしだけなんだよなー。
再演だとつはもので、「今剣と岩融は史実において存在しない」という歴史について言及があるためか、岩融が弁慶の薙刀見てびっくりする演出とか入っていたかな。俳優の皆さん、セリフも初演と再演を比べると演技や台詞の言い方に違いが出ていて、同じ流れの話でもこんなに違うものに感じるのかあ、と演出や演技のすごさに改めて気付くお話でした。
・幕末天狼傳
通称ばくてん。リアル事情もあって現地には行けず、ライビュで1回観劇。DVDは所持していて何度も上映会はした。再演がまだないので全力待機中のお話。ちなみに最推しはここにいる。大和守安定くんです。
ばくてんは新撰組の話ではあるんですが、主人公誰?って言われたら圧倒的蜂須賀だと思っています。主題としては蜂須賀が新撰組の物語を通して、真作贋作問題にある程度の落としどころをみつける話だったかな、と。あとはやっぱり物でも人でもない「刀剣男士」という存在については引き続きやっていて、その身はすでに物ではないっていう話は特に強調されていたテーマであったかな、と思います。
あと蜂須賀、真作贋作問題に落としどころを見つけるとは言いましたが妥協はしておらず、認めたのはあくまで「長曽祢虎徹」と名乗る贋作がいる事実のみ。そう名乗る事情がわかったら、名乗るのを止めろとは言えないんだよなあ。しかし蜂須賀のポリシーとして贋作を兄弟とは認められない。でも長曽祢さんとしてはそれで十分なんだよなあ、って思って嬉しくなった話ですね。
加州はあつかしの経験を踏まえて、新撰組というホームでの対比構図にいる安定との関係に落としどころをつけたり、悩む蜂須賀にアドバイスをしたりする役割で、成長がわかって嬉しいポジションだった。価値観の違いからの対立経験者の加州だからこそできるアドバイスだよ……嬉しい。あと蜂須賀がめちゃくちゃ素直に皆の話を聞いてくれるのさいこーーーーーーーーーーでしたよね。素直だ。嬉しい。蜂須賀は良い子なんですよ……って五体投地した。
蜂須賀と長曽祢の話続けていいですか?とにかくこの話、キャラの解釈が私に合いすぎてて大好きなんですよ……長曽祢さんは言葉が足りない、ってのもなんだけど、長曽祢さんの理想って近藤さんで、近藤さんみたいになりたい、って気持ちが先行して心が追いついていないところがある。本来の長曽祢さんって結構年下メンタルなところもあると思うんですが、それを見た目と本人がそうありたいって気持ちで乗り切っているというか……。で、そこまでして近付きたい、そうなりたいと慕っている近藤さんを殺さなきゃいけない、ってとき、絶対辛いはずなのに一人で抱えて自らの手で殺す決断をした長曽祢さんにキレて殴る蜂須賀のシーン、すごく好きです……大好き……。どうして一人で抱えるんだって怒れる蜂須賀は本当に良い子だ……。
虎徹の真作贋作問題って結構繊細な問題だと認識しているんですけど、そこを丁寧にやってくれたのめちゃくちゃ脚本に対する信頼が生まれましたよね。
で、最推しの話していい?大和守安定くんのことなんですけど。沖田組が対比構造なのゲームの段階からわかってたけどやっぱテンション上がりますよね!わかりきっている対比構造だけどテンション上がる。この辺のテーマ、選ばれなかったもの/選ばれたものの葛藤が描写されているんですけど、「だから選びたいんだ 何が出来るかを 自分の意志で」っていう安定の歌がもお~~~好きです。ありがとう脚本の方。すでにこの身は物ではないからこその葛藤を丁寧に描写してくれてありがとう……。
安定くん、沖田くんの歴史に介入しようとしているのでは?って危うさを感じなくもないんだけど、メンタル面はわりと落ち着いている方なんだよなあ。蜂須賀、安定を信頼してくれてありがとうね……。
あと沖田組尊いポイント。血を吐く沖田くんに出来ることはあるか?何もないってどうしようもない現実にショックを受けた経験が加州にはあって、安定までそんな思いをすることはない、って言っていたのがまず拝んだ。でも自分とは違う他者との対立を経験している加州だからこそ、押しつけたくないって思って、安定のやりたいようにやらせよう、あいつは大丈夫だってなったのがほんと成長していて好きだなあ、と。それを安定には絶対に言わないのも関係性としてめちゃくちゃ解釈通りでした。信頼しているし、万が一信頼を裏切られるようなことがあったら、俺があいつのこと殺すって言ってたのとかもほんとさ……好き……こんな解釈通りでいいんですか?最高だった。
土方組についてはサポート役で、ここむすはじで2人の関係についてはがっつりやってたので、もし再演あるならその辺テコ入れとかあるんですかねえ。いや本当再演待ってます……
・三百年の子守唄
通称みほとせ。初演も再演も見に行きました!もちろんライビュもね!初の刀ミュ生観劇。DVDは初演のみ所持しているのですが、再演も欲しいなあ。
この辺からお話のテーマが入り組んできたなあ、と思います。物でもない人間でもない刀剣男士という存在、って話は続いていると思うんですけど、みほとせは任務の性質上がっつり人間寄りに寄せてからのそれでも自分たちは人間ではない、っていう自覚が重かった……。
子育てする話、間違いではないんですけど、ほのぼのではあるんですけど、その結果得てしまった命を尊いと思う気持ち、それを持っていても任務の前に切り捨てなければいけない命があるのがあまりのも重すぎた……。
石切丸と信康の話で揉めたときの物吉くん、あの二人の台詞と表情がどっちも本当に辛かったことを覚えています。再演だとそれぞれの葛藤がわかりやすくなっていたなあ、って思いました。セリフの言い方と表情の違いですねよねきっと。流れは変わらないのにすごいなあってのはあつかし再演でも思った流れです。
みほとせは石切丸がメインの話ではあるんですけど、彼自身の成長話ではないなあと思います。というか石切丸はすでにある程度完成された刀剣男士としての自我があるんですよね。だからかみほとせは周辺人物皆それぞれにスポットがあたって、それが集まって一つの話になった、というイメージです。そういう意味ではあつかし、ばくてんとはまたお話の構造が違ったかな、って認識しています。
テーマとしては、やっぱり「役割」かなあ。それぞれがそれぞれの役割を全うしよう、でも傍には仲間がいるよ、って話なのかなって。石切丸の内側には入っていけないけど、自分を肯定してくれた石切丸をずっと気にかけて傍で支えている青江。妖刀として、徳川を殺す役割を請け負うつもりだった村正。徳川を守る存在であれと村正に祈られた物吉。同じ村正派として、村正を支えたい蜻蛉切。辛い思いをすることをわかっていたから、人間になりたくなかったからちゃん。結局、全員自分のやりたいようにやって、辛いことの共有はしなかったんですけど、楽しいことの共有はできるよねって終わり方で、それも一つの仲間の形だな、って思ったかなあ。
ばくてんだと、辛いなら誰かに分ければいい、辛いなら辛いと言え!!って話だったと思うんですけど、そうじゃなくてこういう形で、楽しいことなら共有できる、って方向の歩み寄りもあるんだなって思って良かったなあ。 やっぱりキャラによって最適解な対応って違うと思うので、色んな正解のパターンを提示されたのが視点の広さとしていいなあと思いました。ちなみに好きなシーンは物吉くんが家康を看取るときに言った、「貴方が気付いた太平の世は~」のセリフが本当に大好きです。役者さんの表情、本当にすごかった。
・つはものどもがゆめのあと
通称つはもの。TDCに見に行きました!アイア卒業!ライビュも見た。DVDも持っています。
面子的にはあつかしの続き物って感じの話でしたけど、あのとき掘り下げられなかった三日月と小狐丸の話がメインだったのかなあ、って思いましたね。
つはものの話のテーマはなんだったかなあ、って思うと、存在が確かなもの/存在が不確かなものの対比かなあやっぱり。あとは「歴史を守る」という使命に対する新たな切り口の提示かな。義経の生き残り説を採用したのは普通に驚いた。
新たに追加された源氏兄弟が安定感あった。理屈はわからないながらも何度も同じことを繰り返している三日月曰く、「いつもいるわけではないが頼朝の佩刀だったことがある」っていう髭切ならではの立ち位置が好きでした。見えないところも、ちゃんと月だったよ、の台詞が素敵。あと髭切の好きなところなんだけど、髭切は自分が存在していた刀かどうかはわりとどうでもいいと思っていることがセリフから推測できるのだけど、それなんでかって考えたら、そうだとしても今現在傍に弟がいるこの現実が満足だからなのかな、って思えてね……なんでそう思ったのかなあ。でも髭切、弟と一緒にいるときめちゃくちゃにっこにこでさ。それのせいかもしれない。
あとこれは当時の感想なのだけど、あそこで今剣が義経に今剣って名乗れたので、後世に創作でも義経の短刀としての今剣の話が出たのかなあ、と。卵が先か鳥が先か、みたいなことも思ったりしました。最近はほうき星宗近とかもあるしね!
小狐丸と三日月の対立は、存在するもの/しないものとしての二人の立ち位置対比だなあと思いました。小鍛冶の話が核にある小狐丸は、ある意味後世の創作補正のみの今剣・岩融と立ち位置が一緒なんじゃないかな、は思ったけど、そこについては特に言及なかったんだよなー。でもそういうことですよね……?
三条太刀2人の関係性として、小狐丸が「貴方が間違っているとは思わない。でも正しいとも思わないことにした」って三日月に寄りそって今まで通りの関係を続けるのが大人だ……!ってなったんだよな。変わらない関係のままということは、小狐丸は三日月が一人で抱え込むことは正しいこと、と認識していないし、それは今後も全力で阻止したいとは思ってそうなのよね。でも、三日月が主のため、皆のためでやったことそのものは正しいことって認識してくれている。それ三日月視点めちゃくちゃ嬉しいだろうし、救いになっただろうなあ、と思ったのよね。ある意味日常の象徴なんだろうなあとも思いました。
そしてこの話でははっきりわからなかったものの、ここからシステム三日月宗近が始まったのでした。今のところわかっているの、歴史上の人物にも協力してもらっていること。というか歴史から消された人だけじゃなく、現代まで遺体が残っているなど存在がはっきり残っている人にもアプローチかけているんだよねえ。システム三日月宗近がむすはじ……というか幕末時空では働いてなかったのも不思議なんだよな。この辺は今後またわかってくることなのかなあ、と思いました。単純に幕末まで手が回らなかっただけの可能性も考えているけど。
・結びの響き、始まりの音
通称むすはじ。むすびねって言っている人も見るかな!こちらも現地で観劇してライビュも見ました!最早恒例行事になっているまである。もちろんDVDも持っているよ!推しが出ています。二回目です!
むすはじはわかりやすく巴ちゃんの成長物語でした。かつ敵にスポットを当てた話が出たなーと。敵の設定、後のあおさくでもちょっと出たけど、名のある刀剣(持ち主に感応)パターンと、名もなき刀剣たちが敵になるパターンがあって、むすはじは後者だったかな。
明言されてはなかったものの、巴ちゃんと名もなき敵との違いはなく、顕現された場所の違い、主義主張の違いしかないっていう話だったのかなーと。
あと巴ちゃんの成長物語はそうなんですが、兼さんの成長物語でもあったかなあ。でも兼さんは誰かが導いてくれる系ではなく、むっちゃんの背中を見て自ら学ぶ系だなって思いました。土方組の関係性が本当好きで、堀川くんが兼さんのために暴走したとき、お前がいなくなったら意味わかんねえだろって怒る兼さんがほんと解釈一致で……。セリフはわりとうろ覚えだけど言い回しがツボだった記憶。
むっちゃんはもう完全に修羅場くぐってきたむっちゃんで、元主の死についてはもう泣けるだけ泣いて綺麗に思い出にしているんだよね。それで自分の役割も理解している。辛くても悲しくても、それを抱えたまま貫く意志がある。息苦しさも痛みも全て抱えたまま貫く刃であれですよほんとあれむすはじのテーマソング閑話休題。
最後の兼さんが殺すことができなかった土方さんをむっちゃんが撃ち殺すシーン、あれ、ばくてんの近藤さんを殺した蜂須賀と重なるところがあってなあ……初期刀組のあのメンタルの強さなんなんなの?好き……となった。
安定くんはばくてんから一転、むすはじではサポート役に徹していて、巴ちゃんや土方組に色々気を回していたのが印象的でした。特に対巴で。巴、って呼び方が優しくて好きだった……。あと「この戦いが終わったら~(中略)今度は、一人で!」って修行に行きたい話を長曽祢さんとしているときに思ったんですけど。幕末刀剣たち、元主が核ってところは同じなもののそれぞれが抱える痛みは違っていて、だからそれぞれがそれぞれの痛みに向き合わなければいけない、って雰囲気は感じたのよね。仲が良いことは悪いことではないし、抱えられない痛みは共有すべきなんだけど、それはそれとして、自らが乗り越えなければいけない痛みはある、って感じ?それが修行の話なのかなあ、って解釈しました。つはもの、むすはじと続いて一部が修行に出てしまったけど、今後極で出て来るのかは気になるところだなあ。
・葵咲本紀
通称あおさく。恒例の現地観劇、ライビュでもう一回見ました。DVDは予約待ちなんですが、配信をついに買ってしまった。
みほとせ系列の話ってのもあるけど、あおさくのテーマは「家族」だなって思います。人間組の徳川一族はわかりやすく家族の話なんですけど、刀剣男士組も刀派っていうくくりで篭手切江と敵側の稲葉江、来派……というか蛍丸に対して思うところがありそうな明石、お互いがお互いを想っている村正派、と家族的な繋がりの話が多かったなあ、とう認識なんですよね。
あと今回で「刀剣男士と時間遡行軍に違いはない」という見解がはっきり聞けて、だからこそ心が壊れないようにふるまう明石と、それでも自分のエゴ・偽善を貫き通す篭手切江の対比が印象に残ったかなあ、と。明石の心境は人間寄りでわりとわかりやすい反面、篭手切江の思考は難しかったな……。行動だけ見たら人間みたいにふるまっているけど、本人は「人間ではない」って言い切れる。自分という存在をそういうものって認識できていて完成されているからぶれることがない自我、みたいな強さは感じた。
あとは篭手切くん、自己と他者の線引きも明確で、自分がこうだから他人もこうかも、みたいな感覚があんまりないのかなあ、って。自分は自分、他者は他者で、他者に何を言われようが曲げない強い自我が完成されている。もちろん他者の考えも完全に否定はしないし、踏み込みすぎない。新人なのに自我が完成されきっているのはすごいキャラだよなあと思った。
あとあおさくから追加面子と、みほとせから継続の蜻蛉切と村正はやっぱり人間臭さに違いがあるのが面白かったなあ。村正派めちゃくちゃ人間みあるんだよ……。御手杵なんかは人間の感情に振り回される枠で、久しぶりにそういうスタンダードな反応みたから安心してしまったまであったね。
あと鶴丸国永が三日月宗近を匂わせてからの最後にシステム三日月宗近が判明する流れね。いつか鶴丸と三日月の共演は見たいなあと思った。ところで鶴丸、遊びと真剣さのバランスがちょうどよくて、見ていて安心感があった。七作目も楽しみ。
あおさく、見返せば見返すほど新しい発見があって楽しい話だなと思うので、今後も配信をちょくちょく見返していきたいなあと思います。