【.*新しいことは、できるかできないかよりやるかやらないか.*】
【令和元年にやりたいこと】
わたしはいぬと盆栽を育てている。
ただの枝が、まさか花開いてハートになると夢にも思わなかった。
これから「お花が咲いたときにどんな形になるかな」って新しい視点が生まれた。これが新しい考え方のスタンダードになっていったらもっとみんな楽しく生きられるのではないだろうか。
脱線してしまった。
令和元年にやりたいことということで、
この春から10年の病院看護師生活に幕をおろし
新しいスタイルを模索している。
ビジョンはある。
しかし前例がない。
あるのかもしれないけどモデルを見つけられない。
職業的にも名前があるのかもわからない。
半月たったが、今でも医療から離れてよかったのかと
日々葛藤している。不安にもなる。
なんとなく気付いてきたことがある。
人は割とできるかできないかに着目しがちだ。
でもそれって比較対象があるから、
どこからどこまでができていて、
どこからができてないって評価基準がなんとく出来上がっている。
じゃあその評価基準って?
結局その限られた範囲での経験に基づいている面が多い。
私でいうと、各病院・各部署。
そこそこで基準が違って、
ここではそこまで求められて怒られた。
でもこっちではそこまで要求されてなくて、逆になんでそこまでするのって怒られる。
どっちにしてもそこそこの基準に当てはめて怒られる(笑)
自分が納得できる基準で動いている組織に出会えた人は幸運だ。
ずっと続けていけるのだろう。
でもわたしには難しかった。
だから探したわけだ。
全国にはたくさんいた、納得させてくれる偉人たちが。
でもその人の属するコミュニティがすべて納得でできているかというとそうではない。
上に立ち、統率することの難しさったらもう。
そんなものをたくさん見てきてたどり着いたのが、
組織を脱することだった。
できるとか、できないとか、
そんな評価やバッシング?
そんな世界なんてくそくらえだ。
そもそも上には上がいて、頂点というものが明確なもののほうが少ない世界だと思う。
できるなんてこの世に存在するのだろうか。
まあでも結局人は批判をしたい生き物だ。
「そんなことできるわけがない」
それしか言われたことがない。
なのでわたしは、
できるかできないかって枠ではなく
やったかやらないかで生きていくことにした。
宇野昌磨くんがとてもいい例だ。
できたかできないかじゃない、
そこでやったかやらないかだよね。
かっこよかったよ、試合での3A+4T。
そこから自分だけじゃない、周りが動き出す。
きっとみんな練習しだして試合で使いだす。
宇野くんが、きっと世界を変える。
人の論点はできたかできないかが多いけど
人を動かすのはやったかやらないか、それに尽きると、思う。