玉井裕也
私の住む我孫子について
借家の庭に茶花や山野草を育てています。茶庭を作るのが楽しみです。
ちょうど1年前の関市に引っ越してきたとき、色んな場所で見かけたポスターがあった。新しく公開された映画のポスターだと思って見ると、「フラワーズブルーム」という関市の観光PRドラマだった。YouTubeでも無料で見られたし、関市内の観光施設で大きな画面でも見られた。アイドルを目指す高校生が主人公のいわゆる青春映画だ。観光PRにもなっているので、関市内のあらゆる場所が舞台になっていて、観光した気分にもなれて楽しい。 ストーリーは以下の通りで、キャストのほか、どんな場所が登場するか
防災行政無線チャイムが、朝・昼・夕の三回流れる。よほどの都心でなければ、日本獣で流れているはずだ。私の住んでいる関市では、午前8時、正午、午後6時(10月~3月は午後5時)に流れる。朝は「歓喜の歌」、昼は「関市民のうた(のぞみ新たに)」、夕は「ふるさと」だ。それぞれのチャイムが次のYouTubeにあったので載せる。 どこの学校にも校歌があるように、自治体にも歌がある。関市の歌が「関市民のうた『のぞみ新たに』」である。何度も防災行政無線のチャイムを聞くうちに覚えてしまった。歌
名古屋港金城ふ頭のポートメッセなごやで開催された第14回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会に参加してきた。そのついでにすぐ近くにあるJR東海のリニア・鉄道館に行ってきた。正式名称は「リニア・鉄道館〜夢と想い出のミュージアム〜」というそうだ。名前のとおり、「夢」として未来の鉄道技術の展示と、「思い出」としての過去の鉄道の歴史などの展示がある。とても見ごたえのあるミュージアムだった。 個人的に懐かしく感じたのが、食堂車だ。海外旅行に行くと時々見られることもあるが、国内で食堂
ホタルが出てくる季節だ。きららくらぶ(広報誌)に「関ホタルの会」の活動が載っていた。河川の清掃などをずっと続けてきたそうだ。旧関市の範囲では、寺田川と関川のホタルのことが書かれていた。せっかくなので私の家からもすぐなので、夕食後に歩いて行ってきた。だいたい5月下旬から6月上旬の午後8時から午後9時ごろまでが観察しやすいそうだ。 ホタルはきららくらぶの記事の通りで寺田川のホタルの看板のある長良川鉄道関市役所駅あたりから、西本郷通近くで関川に合流して関市文化会館の裏あたりまでで
森美術館に初めて行ったのがこの展覧会だったかもしれない。LOVE展のことは今もよく覚えている。とても印象深い展覧会だった。パソコンの中からその時に撮影したらしいビデオが出てきた。草間彌生《愛が呼んでいる》 というインスタレーションの新作だ。途中で撮影している自分自身が写っているのが懐かしい。撮影し他日にちを見ると、2013年8月15日なので、お盆の休みを利用して東京に遊びに行っていたのだろうと思う。
手賀沼ディズニーランドという計画があったらしい。50年以上前にディズニーランドを誘致するために手賀沼を埋め立てて作った土地に実は私はいま住んでいる。誘致合戦に負けた今となっては、全くその気配はない。碁盤の目のように区切られた完全な住宅地になっている。 自治会報にこの場所ができて50周年の記念の文章が載っていた。そこで私は初めてディズニーランドがもしかしたらできたかもしれない場所だったということを知った。その当時の計画図を見ると、私の家のある辺りにも、なにか建物ができるはずだ
私の住んでいる我孫子市には、かつて水戸街道の我孫子宿が置かれていた。その我孫子宿は小金宿と取手宿の間にある。我孫子宿の場所というのは、現在の我孫子駅の南に少し歩いたところである。東西におよそ1キロぐらいのようだ。 私の家から我孫子駅に向かうときには必ず旧水戸街道を横切る。たいていは駅前の八坂神社のところだ。夏には八坂神社の祭礼がある。そこから取手方向に歩いていくと、門松本店がある、江戸時代は松島楼という名前の旅籠だったそうだ。実はこの門松本店には、一度泊まったことがある。我
葛飾県は、そのたった2年しか存在せず、明治4年には印旛県に統合された。印旛県に統合されたのは、葛飾県のほか、佐倉県、古河県、関宿県、結城県、生実県、曾我野県の合計7県が統合されたようである。千葉県民だより令和元年6月号によると、おおよそもと下総国の西半分が印旛県になって、残り東半分は新治県として常陸国の一部とまとめられたようだ。そしてこの印旛県も2年後の明治6年には千葉県に統合されて、現在の千葉県が誕生するわけだ。 印旛といえば、印旛沼なのだけど、現在いわゆる印旛地域という
明治2年になって、下総国はのあったあたりに葛飾県というものが置かれたようだ。現在の千葉県北西部、埼玉県東部、東京都東部や、茨城県西部に相当する地域だったらしい。県庁は流山市立博物館の近くにあったそうで、そこが葛飾郡だったから、葛飾県という名前になったとWikipediaには書かれている。そして、この葛飾県はその2年後の明治4年には印旛県に統合されて消えたそうだ。 葛飾は昔からある名前のようで、たしかに今もいろいろなところで葛の字を見る。私の住んでいる我孫子市も東葛地域と呼ば
私が住んでいる千葉県我孫子市は、江戸時代までは下総国相馬郡の一部だったそうだ。千葉県は、安房国と上総国と下総国の一部で成り立っている。なかでも下総国の地理は複雑で、現在の千葉県の他に、茨城県、埼玉県、東京都の一部も含むようである。その下総国相馬郡は、明治時代には、千葉県と茨城県に分かれ、それぞれ南相馬郡と北相馬郡になったようだ。 どうやら、相馬御厨という伊勢神宮に寄進された荘園が平安時代末期に存在して、そこから相馬の名前が出たたようだ。相馬氏はもとは相馬御厨にいついた千葉氏
コロナ感染流行第3波7日緊急事態宣言が出ている。不要な外出は感染拡大の原因になる。とはいえお寺や神社に行きたいこともある。そう考えてネットで検索したところ、「オンライン参拝」という言葉を見つけた。今は色んなライブストリーミング中継をYouTubeで見られるけれど、まさかと思って開いてみた。見てみるとけっこう面白い。お寺や神社の境内をストリーミング中継しているものは以前からあった。だけどはっきりいって面白いものではない。今回見つけたのは、お坊さんがお経を読んでいるところを写して
オダマキの花が咲いている。このオダマキがどういう品種だったのかすっかり忘れてしまった。忘れないように苗を買ったときの札をいつもつけたままにしておくのだけど、このオダマキの札はどこかへ飛んでいってしまった。なにか雅な名前をつけられていたような気がするのだけど・・・。 ちょうど風に吹かれている様子が良かったのでビデオに撮っておいた。日なたで見る花の清廉な雰囲気がいいと思う。
ミヤコワスレも二株買ってきて植えた。一つは赤みのある花をつけているもの、もう一つは青紫の花のものである。青紫の方は江戸紫という品種だろうか。園芸店の人によると、バイオテクノロジーによって濃い青色がでるようになった品種だそうで、これまではなかなか大きく育てるのが大変だったものが以前よりは強くなったよということだ。そうはいっても、赤みのある方の株のほうが丈夫で増えやすいそうである。 この写真はポットから植えかえてから3週間ぐらい経ったところだ。長いこと花が咲いてくれてるので気に
家の周りの庭や土の見える場所があるのだけど、全体的に日陰の場所が多い。だから日陰に強い植物を選んで植えるようにしている。ほったらかしでもどんどん増えているのがユキノシタだ。いつのまにか北側の塀とコンクリートの隙間のような狭いところにびっしり生えていた。 ほかにはシダも生えている。 さいきん、園芸店でダイモンジソウというユキノシタの仲間を見つけて買ってきた。これも日陰が好きだというので、アジサイの近くの柿の木の日陰のところに植えることにした。いまのところ元気そうだ。夏か秋に
ヤマアジサイの苗を2種類買ってきて植えた。ずっとアジサイを植えたい、できればヤマアジサイで気に入ったものが見つかればと思っていた。たまたま近所のユニディ(ホームセンター)で見つけることができた。 吉岡麗子さんという人が作った苗だ。花の付き方がおもしろいし、色もちょうどいいと思った。柿の木の横がすこし空いていて、いい具合に日陰でヤマアジサイに丁度いいのではないかなと思っていたので、そこに植えることにした。西洋アジサイほど大きくはならないだろうけれど、もう少し大きくなったらいい
家で過ごすことが多くまたAmazon Prime Video をよく利用するようになった。2009年の映画「感染列島」を見た。この映画を公開した直後に新型インフルエンザの流行があったそうだ。現在の新型コロナウイルス感染症流行の前にもなにか似た感染症のアウトブレイクを扱った映画の公開はあったのだろうか。 映画はおもしろかった。妻夫木聡はこの映画でも情に厚い現場の医師の役で、檀れいはWHOから派遣された医務官なのだけど実は妻夫木聡の大学の先輩で元恋人という役だ。展開そのものには