前厄です。
仕事以外の写真を撮らなさすぎて、ヘッダー画像に困るようになってきました。ほんの5分でもいいから、休憩時間をとっておさんぽ写真をするべきだな。主に休憩してるんだけど。
さて、今年わたくしが前厄ということで、妻から厄払いへ行くように、とっても丁重に言われています。
僕はそういうことを1mmも気にしないタチなので、ハイハイハイ、と言いつつ、まあわりと自分だけの問題じゃないだろうからと、ちゃんと行くつもりです。津駅の近くによい神社があるそうで、立春の2月4日から、行ってもいいそうなのです。
神社に電話すると、2/28と3/1に一斉にやるから、そのときにおいでと教えてもらいました。
ただし、僕がいついつに事故にあうと決まっていたとして、厄払いに行ったことでそれが消え去るのか、はたまた軽めの事故で済むのか、
もし厄払いに行ってなくて軽めの事故にあったとしたら、ソレミタコトカ、厄払いに行ってないからだ、となる。これって心の持ちようだけじゃないか。
でも、ちゃんと厄払いをしてそれらしい大人なコメントを発する人のSNSを見たとすると、妄想の自分では「えらいなあ、かっこいいなあ、見習いたいなあ、」と思うでしょう。しかし、リアルな自分のほうは、「そういうのあんまり気にしない、めんどっち」となる。
気にすれば実際に起きる。
気にしなければ、起きない。
自転車で半年間日本中を走り続けたときも、カギを毎回毎回つけるのがわずらわしいので、「誰も盗まないと信じる」ことにし、ほぼカギをかけなかった。
これがもし、常に盗まれると警戒し、コンビニに入るわずか2,3分でもカギをしていようものなら、たった一度の「かけ忘れ」で盗まれていただろう、なんの根拠もないけど。
そもそも汚らしい荷物が山積みになった自転車を誰も取らない問題があるというのは置いといて、気にして警戒するストレスより、信じて何でもバッチこいでいるフリーダム思考なほうが、よっぽどメンタルにいい、と思うのです。
調べてみると、気にする人と気にしない人、半々だそう。マイノリティと思ってえらそうに雄弁してみましたが、半々だそうです。
新年早々コロナになるし、仕事上の早急に対応が必要な問題もポツポツ起きるし、それを見た妻からホラきたホラきたホラきた言われると、さすがに少しはビビるわけです。
そういうわけで、厄年についてふれておきました。
それでは!