祖父の死が教えてくれた大切なこと

こんにちは、ゆうや(@yuyaman1986)です。

2019年3月末に祖父が亡くなったと知らされた。89歳だった。祖父とは確執があり、わたしが18歳に実家を出てから10年以上もまともに会うことはなかった。

わたしは長男である。

そのため、生前祖父としては当然わたしが家を継ぐものだと考えていたが、わたしの考えは違った。

18歳のときに両親は離婚し、実家には母方の祖父母、母、わたしの4人だけで住んでいた。わたしには姉と妹がいるが、ふたりとも実家を離れて生活をしていた。

祖父母とはほとんど干渉せず、正直仲が良いとは言い難い関係であった。少々複雑な環境に置かれていたと思う。

わたしは当時外国語大学に通う大学生で、英米語を専攻していた。外国に興味があり、英語圏の国に留学をしたいと考えていたし、将来海外に住むことや、海外で働くことに対して憧れを頂いていた。

そのため、祖父の思いとは裏腹に、実家を継ぐという意思は全くなかった。

そんな中、今でも忘れない18歳のとある夜であった。

普段あまり祖父とは関わることはなかったが、その日は母が止めに入るほど、激しい口論になった。

口論になった経緯は失念してしまったが、原因はわたしに実家を継ぐ意思がないことが祖父に伝わり、それに対し「お前はずっと腰掛けでいただけか。」などと罵声を浴びせてきたためだ。

そこで、わたしの何かにスイッチが入り、瞬間的に実家を出ることを決心した。決心したら行動は早かった。離婚して同じ市内にひとりで暮らしていた父親にその日のうちに電話をした。

すぐにでも、実家を出てそっちに行きたいと伝えると、ふたつ返事で「問題ない。」との回答だった。むしろ、そうなることを予測し、離婚しひとりで暮らしているにも関わらず、3LDKの広い部屋を借りていたと言う。

昔から父親は用意周到で几帳面だったが、そのときに改めて感じた。

そんなこんなで18歳から社会人となって東京で就職するまでの5年ほど父親と2人で生活することになった。

その間の生活はなに不自由なく、好きなことをして有意義に過ごすことができた。その点については、父親に感謝をしている。

そして、東京での就職、大阪への転勤、転職、結婚と目まぐるしく環境が変わって行くわけだが、その間に祖父に会うことはなかった。

ただの一度を除いては。

長期連休中に母親のいる実家に帰省することはあったが、祖父と鉢合わせないように、それほど実家に滞在することはなかった。

当時、姉からは祖父がわたしに会いたがっていることなどを聞かされていたが、取り合うことはなかった。

唯一、一度だけたまたま祖父と鉢合わせたことがあった。

夏休みに帰省したときだったと思う。

はじめ祖父はわたしに「どうも、こんにちは、はじめまして。」とあいさつをした。歳月が経って、わたしの見た目も変わり、認識できなかったようだ。

母がわたしの名前を言うと、祖父は涙した。

今では、そのときにもう少しやさしくしてあげればよかったと後悔している。そのとき、祖父に「飯でも食いに行こう。」と言われたが、取り合わなかった。18歳のときに浴びせられた言葉が深く心に残っていたのと、わたしが思いのほか頑固だったのかもしれない。

それからどれくらいときが経っただろう。

恐らく、3、4年だろうか。

2019年1月に祖父が入院したと知らせを受けた。年末に急に腹痛を訴え、救急車で運ばれたらしい。そのとき、お見舞いに行くべきだったが行かなかった。

結局、姉や妻の説得があり、ゴールデンウィークの5月に地元に戻り、お見舞いに行くことにした。

2019年3月末、祖父が亡くなったと連絡を受けた。

お見舞いに間に合わなかったのだ。入院しているとはいえ、どこかで間に合うだろうと考えていた。

お通夜と葬儀のときに祖父の顔を久しぶりに見た。なんとも言えない感情がこみ上げてきた。わたしが幼いころ可愛がっていてくれた近所のおばさんからは「おじいさん、いつも心配してたよ。最後にちゃんと顔見てあげなさいよ。」と強く言われた。

葬儀場から、棺桶を外に運び出すときに、涙が溢れてきた。

めったなことでは泣かないのに涙が出るなんて。

自分は薄情だとそのとき思った。


祖父が亡くなる数年前に父方の祖母が亡くなったときは、涙は出なかった。生前にこちらからできることはしてあげたと思えたからだ。祖母には少なくとも年1回会っていたし、可愛がってもらっていたので、わたしも慕っていた。

だが、祖父のときは違って涙がこみ上げてきた。

それは、後悔の涙だったと思う。

「できたはずのことをやらなかった。」という後悔。

自分自らできたはずの選択肢を絶った。


祖父の死後、時折考えることがある。

もし、「自分が本当にやりたいことをやらなかったら、後悔しないか。」とか。

妻とけんかをして、気まずい思いのまま会社に出かけるとき、「今日もし、妻が死んでしまったら、お互い最後に気まずい記憶のまま死んでしまう。」とか。

祖父は最後に「やらないで後悔することがないように生きる大切さ」、「ひとは生きている間しか誰かに何かをすることができない。」「自分自身も生きている間しか何かをすることができない。」ということを教えてくれた気がする。

わたしは、今でも祖父が入院したときにお見舞いに行くべきだったと後悔をしている。だから、今後は後悔のないように生きたいと思う。

皆さんも「今何かやりたいことはないでしょうか。」「やっていなくて後悔していることはないでしょうか。」

この記事があなたの一歩踏み出すきっかけになってくれれば幸いです。

最後まで読んで頂きありがとうございました。   






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