大学生になるまでの僕は父を超えることだけを考えて生きてきた


こんにちは。

がっきーです。

今回の記事は少しエモい感じになってます。笑


僕は大学生になるまで常に父を意識し、父という存在を超えることだけを意識して生きてきました。


そう考えて生きてきたのはなぜか。


できない息子である僕を父に認めさせたかったから。



僕が中学生の頃、本当にやんちゃで勉強もさぼり倒した挙句に担任の先生からは「お前は行く高校がこのままだとないぞ。」と本気で言われていました。  


スポーツにおいてもサッカーと陸上をやっていましたがどちらも全くの才能がありませんでした。  


陸部の練習では女子部員から「ファイト〜!」と煽られる日々。(高校で爆発的に成長)  


本当にセンス、才能という部類からはかけ離れていました。


ある時、「さすがにこのままじゃダメだな」と思う様に。



当然こんな何もできない僕を父はあまりよく思っていなかったと思います。


なぜなら彼はスポーツも勉強もできる万能選手でそれこそ厳しい教育受けてきた影響もあったからでした。


スポーツでは副キャプテンとして大学ラグビーで関西選抜になり、社会人チームからのスカウトもあったのだとか。  


勉強面においては、某有名大学出身の秀才。


そうしたこともあってか父から褒められたことはなく、よく叱られていました。


当時の僕と彼の経歴とはまさに正反対。 


そこから僕は父をどの分野でも良いから超えなければと強く意識する様になりました。



これ以上、ダメ息子と思われない様に。いつか自慢の息子と胸を張ってもらえる様にとまずは学区内で1番の高校を目指すことを決意。


しかし道のりは大変険しいものでした。  


担任からは相変わらず、「お前が目指せるはずがない。真面目に考えろ」などもはや相手すらされていませんでした。  


元々学習塾に通っていましたがこれまでは完全に受け身でサボり倒していました。


そこから意識を少しずつ変え、まずは授業を受けて課題をちゃんとやる。そんな些細な改善から始まりました。


高校3年になる頃には、ようやく志望校を目指せる位置にまで来ることができました。


これから受験勉強の期間となるのだが、  


なお担任からは「仮に受かったとしても、まず授業のレベルについていけないよ」とまだ言われていました。


本当に当時は悔しくて仕方がない、やるせなさがありました。


一方でだからこそこの悔しさがバネとなりモチベーションにも繋がっていたことは言うまでもありません。


絶対に受かってやる!そしていずれ父を超えてやる!


なんて思いながら奮闘した結果、第一志望校に合格。


しかし担任の言葉は間違ってはいませんでした。  


入学してすぐの学力テストでまさかの下から3番目。


人生は甘くなかった。

結果の用紙を持っていた手は震えていました。

今でも鮮明に覚えています。


出鼻を早速挫かれましたが、そのおかげで授業に前のめりに取り組める様にもなりました。  


高校3年の時には学年でもそこそこ上位につけることができていました。


そしていよいよ大学受験。  


僕の第一志望はもちろん【父と同じ大学学部】です。



考える余地もありません。一択です。


当時の僕は父を超えることだけを考えて生きていたのでここを狙わない理由はありません。


さすがにスポーツでは超えることができないと踏んでいたのでこうなったら学力しか残っていませんでした。


そんな状況の僕はわずかな希望をもちながらも死ぬ気で勉強する日々。


しかし、結果は第一志望に行くことは叶いませんでした。


僕は絶望しました。 


わずかな希望に死力を尽くしました。  

父を超えて、僕のことを認めてもらう為に。    


ただただ悔しいと自責の念に駆られていました。  


そして僕は両親にこんな相談を持ちかけます。


「浪人させてほしい」




それに対し両親からは 



なぜ浪人するの?


東進にもいかしてしかも受かった大学があるのになぜ?


僕は即答していました。


「これだと父を超えていないから。納得がいかない」と。


すると父から衝撃の発言。


「何か勘違いしてないか。そもそも俺は現役はどこも行く大学がなかった。浪人して〇〇の大学に行った。でもお前は現役で国立に受かってる。すでに俺を超えてるよ」と。



続けて母からも「あんたが父を目指しているのは知っていた。その姿も見てきた。もう背負いこなくて、自由に生きたら?とっくに父さんは認めてるよ」


それを聞いた僕は気がつけば泣いていました。


なぜかはよく分かりませんが、赤ちゃんみたいに大泣き。(今思えば超恥ずかしい!)


ただ、これまでずっと肩にのし掛かっていた【何か】がスッとなくなっていました。


この日以降、父を目指すのではなく自分の生きたい様に、そして自分の人生を生きられる様になりました。


でもやっぱりスポーツでは超えられませんでしたね。笑  


口ではなく背中で語る偉大な父です。


大学でもサッカー部に入りましたがまぁ無理でしたね。笑


でも部活は純粋に楽しめたので良かったです。


確かに僕は才能、センスというものに心底嫌われていました。  


しかしだからこそ【努力する】という人生におい重要な教訓を得ることができました。


ということで今回は過去の僕の生き方生きる目的についてエピソードを交えながら書いてみました。  

不可能というは誰かが決めるものではない。自分の後天的な努力次第でいくらでも道を開くことができるのではないかと僕は考えています。


この記事を通じて、誰かを応援できたり、少しでもポジティブな感情になってもらえたら嬉しいです。  

最後は読んでくださりありがとうございました。



いつも記事を見てくださりありがとうございます! 皆さまの貴重な時間をいただき、本当に感謝しかござません! これからもチャレンジャーであり続けます。 一緒に夢を追いかけましょう。 プロフェッショナル稲垣