#211 センスも育てることはできる
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
何度かご紹介した一橋ビジネススクールの楠木建先生の考え方が大好きなのですが、今日は楠木先生の本をご紹介しつつ、私が考えたことも添えていきます。
今回ご紹介する本は、「仕事ができるとはどういうことか?」で、「スキル」と「センス」の違いについて言及しています。
「スキル」と「センス」の違い
本書は、「ビジネス本は世に余るほど送り出されているのに、現実に仕事ができる人は希少。仕事ができる人はなぜ希少なのか」というシンプルな問いを出発点にしています。
確かに、これだけ色々な情報にアクセスできるようになったのであれば、それに比例して「仕事ができる人」も多く輩出されるはずですが、現実的に周囲で「仕事ができる人」は希少ではないでしょうか。
それは、世にある様々なビジネス本はいわゆる「スキル」を対象にしたもので、本来「仕事ができる」ために必要な「センス」を対象にしていないからです。
「英語が流暢」、「プログラミングができる」、「ファイナンスの知識がある」、はいずれもスキルの話で、センスの話ではありません。
以前、記事にもしたことがありますが、「英語が流暢だから仕事ができる」ということはありません。
英語が流暢でも、仕事はイマイチな人もいます。ただ、仕事ができる人が英語も流暢であれば、さらにできることが増えるというだけです。
スキルは、指標にして説明がしやすいので教科書ができますが、センスはこれができれば「センスがある」と明確に説明できないので、教科書が成立しません。
ただ、「センス」は直接的に育てられないが、育つものではあります。
これは、人材育成の観点からは希望です。
なぜなら、「どんなに育成を頑張っても育つのは本人次第」となると、人材育成そのものに取り組む意義や情熱を見失ってしまいますよね。
確かに、「結局は本人次第」の要素は大きいと思います。フィードバックの受け止め方にもセンスが顕著に現れますから。
センスがない人ほど、自分にセンスがないということを自覚していないことが多いのも、この問題をややこしくしている。「センス」は言い換えると「モテる」ということで、モテる人がなぜモテるのか、を何らかの要素を一つ取って説明するのは難しいですね。
モテない人が「清潔にすればモテるはずだ!」と爪を切ってもすぐにモテるようにはならないように、センスのない人が「これをやればセンスを伸ばせる!」という具体的な一つの指標を持ち出せない。センスはその人の総体、スキルは個別の話で、個別のスキルをいかに極めても、それが集まってセンスになるわけではないというところが、「センスを伸ばすのは難しい」とされる所以です。
何がセンスを殺すのか
センスを殺すキーワードとして腑に落ちたのは「アウトサイドイン」と「インサイドアウト」という考え方です。
どんなにプレゼンが上手くても、話がつまらない人は「アウトサイドイン」。
自分の外に最適解が転がっていると理解し、外部にある情報をブワーと探し、そこからピックアップして上手く並べようとします。結果、「世の中では、こういう予測になっていて、こういう影響でいつまでにこうなります」という「で、あなたは何がしたいの?」が抜け落ちた話になるから、つまらないのです。
逆に、プレゼンの構成は破茶滅茶でも大いに話に引き込まれる人は、「インサイドアウト」。「それはどうなるか分からないけれど、自分はこうしたい」という話し方をします。「アウトサイドイン」と違うのは、自由意志が存在する点です。
つまり、行動の価値基準が自分の外にあるか中にあるか、という話に通じます。本来仕事は自由意志がベースにあり「こうなった方が喜ぶ人が増えるはずだ」、「自分はこうなるのがいいと思う」という信念に基づき取り組むものです。
そのためには、自分の価値基準(=モノサシ)を持つことが大事。
アウトサイドインの人は「言われたからやる」が全ての行動のベースになっていて、「問題」を自ら定義することなく「問題」が外から与えられるのを待っています。
担当者であれば、与えられた問題を「スキル」を使ってとにかく解いていれば「優秀」と言われますが、管理職は、いかによりよい問題を定義できるか、が仕事です。そして、メンバーを惹きつけ、成果に繋がる「より良い問題」を作る仕事には「センス」が必要ですから、本来はマネジメント職を担う前から、センスを身につける必要があります。
しかし、日本では「スキル」がある人をスクリーニングして管理職にして、そこから「センス」がある人をさらに上位管理職にしていく流れが一般的ですが、本来は「センスある人」を管理職にしていくべきです。では、若いうちからセンスを身につけるためにはどうしたら良いのか?
センスの伸ばし方
センスの伸ばし方は、次の2つのアプローチになると捉えています。
1つは「センスがある人と行動して、洞察すること」です。
これは!と思う人を見つけて、ひたすら観察し、そして洞察します。表面的な部分を注意深く見ながら、見えていない部分まで見抜こうと努めるのです。
「なぜ、この人はこの局面でこれをして、これをしなかったのか?」を常に考える。上述したように「スキルは個別、センスは総体」ですから、その人の一部ではなく、一挙手一投足を「全て見る」ことが必要です。
私にセンスがあるかどうかは別にして、私は「センスがある!」と感じる先輩たちと一緒に仕事をする時間を多く持てたのがラッキーです。
「会議室を出る時のドアの閉め方」、「メール宛先の設定」、「カバンの持ち方」、「お金の使い方」など、全方位にわたる細部にセンスというか、人間的なカッコ良さと愛着を感じるのです。
まずは、センスがいいと感じる人の全てを徹底的にパクる。はじめから「私は自己流でいく」と言っている人にセンスを感じることは、私は残念ながらありません。
もう1つは「打席に立ち続けること」です。
センスがいい人は、自分の土俵を知っています。自分は自然にできるけれども、他の人がやるよりもお客さん(社内の上司や同僚を含む)に多く喜んでもらえることを理解し、そこで勝負することを選び取っています。
そのためには、「自分の土俵を知る」ことが大切ですが、自分の土俵は決して自己評価で決めるものではなく、究極的に他者評価に委ねられるものです。
自分が得意だと思っていても他人がそれを求めていなければ「土俵」にならないし、自分は苦手と思っていても、他人がそれをあなたの価値だと評価していれば、それはあなたの「土俵」です。
はじめからいきなりピンポイントで「自分の土俵」に出会うことはできませんから、とにかく打席に立ち続けて「何となくしっくりくる場所・戦い方」を見極める必要があるんですね。
で、ここでは評価されたけど、ここはイマイチだった、ということを肌感覚として掴んでいく。そうするうちに、自分が力まずに力を発揮できる「土俵」を見つけていけます。
「センスは直接的に育てられないが、育つもの」と言いました。
マネジメント視点でメンバーのセンスを高めたいのであれば、まずは自らがこれらを通じてセンスを高めながら、自分の一挙手一投足を見せて、メンバーにひたすら色んな打席に立たせ続ける。その中で、メンバーのセンスが磨かれていくのを待つしかないのだと思います。
即効性があるものではないので時間はかかります。だから、花開いた時の感動を待ち侘びながら、育てる過程を楽しんでいくのが良さそうです。
それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!