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人に奢るというお金の使い方は、ステキだと思う
僕は、奢るというのは、いいつながりを生み出すものでもあると思う。
もちろん、僕が知らないだけで、そういう使いみちがされない場合もあるかもしれないし、そう思わない人はいるかも知れないけど、少なくとも僕はそう思う。
大学2年生に進級したあたりだろうか。
僕は後輩が好きなのだけど、2年生になり大学に入って初めての後輩ができることになった。それで、ジュースとかをよくおごっていた。
ある日のこと。
バドミントンサークルで練習が終わった帰り道、駅で電車を待っていた。それで、後輩がいて、気分が良かったこともあり、後輩におごった。
そしたら、一緒に居た同期の子に「お金で後輩と仲良くなろうとしてる」みたいなことを言われてしまって。感じ的には冗談半分。でも、その子は、率直な物言いをする子だったから、冗談半分、本心半分くらいに受け取れた。
で、僕は心の中では「ちがう」と思ったけど、とっさ過ぎて、言葉が出てこなかった。否定したかったけど、そう思っていたところはあったのかもしれない。そのときは、笑って過ごした。
それで、帰り道、その言葉を思い返し、ほんとに僕はそうなのかと考えた。
結論から言うと、お金で仲良くなろうとしていることはほんとだった。でも、ただそうしていたわけではない。
僕の中で、先輩におごられるということが、嬉しい思い出として強く残っていたからだった。
話を大学一年生まで遡る。
大学一年生のときから、僕はそのサークルに所属しているのだけど、はいった当時は男子が六人居た。でも、一年生の11月ごろから、二人やめ、もう三人は全然サークルに来ていなかった。
だから、サークルに来るのは一年生の男子だと僕だけってことが多かった。僕は、バドミントン大好きっ子だったから、バドミントンができるという理由から、同期がいなくてもいつも練習に行っていた。相当な愛があるなと、我ながら思う。
で、そうなると、必然的に僕は先輩たちにかわいがってもらえることになる。実質的に、一人しか居ない”1男”(一年生男子)という特権を使って。
ご飯にもよく連れて行ってもらって、「一人だし、全然いいよ」って先輩がおごってくれたり、誘われたとき、「お金ないので、ご飯いけないです」って言っても「お金出すから、おいで」なんて言われたり。
正直言って、贅沢だったなって振り返っても思う。
ここで言っても説得力はないと思うけど、おごられることに慣れていなかったし、おごられることをいつも期待していたわけではない。
とはいえ、おごってもらうという、その行為自体がとてもうれしくて温かかったのは覚えている。
───。
ということが、僕の大学一年生の頃にあった。だから、恩返しというか、「してもらったことを今度は僕がしたい」という想いが、大学2年生になり、後輩と関わる中にあった。
とはいえ、たしかに、「お金で仲良くなろう」とすることであることは否定できない。
僕の行動の裏に、どんなストーリーがあろうと、そこは変わらない。
でも、こうした経験を振り返れば、お金を人と仲良くなるために使うことは、良い使い方だと思った。
お金で仲良くなるというと、聞こえが悪くなるかもしれないけど、そうだとしても、そういうお金の使い道はとてもいいものだと僕は思う。
あらためて。もうすぐ四年生だし、卒業まで一年と少しだ。
今年は、コロナもあり、奢ることはそんなにしていなかったけど、就活が終わったら、就活を手伝ってくれた後輩にご飯を奢る約束をしている。楽しみだ。
大学生とか関係なく、そういうお金の使い方をこれからもしていきたい。
だって、それが心を満たす使い方だと思うから。