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“ないものをねだる”より、あるものを大事にしよう

自分が欲張りだな、わがままだなって思ったことはあるだろうか。

たぶんだけど、口にはしなくても、「あ、今、私わがままなこと思ってる」とか、「これって欲張りなのかな」とか、ふわっと頭に浮かぶんじゃないかと思う。

僕は、たまに何かを求めすぎて、期待しすぎて、自分のわがままさ、欲張りにハッと気づく


タラレバを考えてしまう

最近、就職活動をしている。

志望業界とか、どういう業界に行きたいとか、色々考えないといけない。その中で、元をたどると結構な割合で、過去の経験がその選択に基づいている。

例えば、出版業界に興味を持ったのは、コトバへの興味がきっかけだ。それは、長期インターンで、記事を編集する仕事に携わっているからだし、学校のレポート試験の講義を中心にとって成績を上げられたからだし、こうしてnoteに書いているからだ。

でも、その時に、「あれ?もし自分が、映像系の学部に入り、動画編集のアルバイトをやっていたら、もしかしたら、マスコミ業界に興味を持っていたかもしれないよなぁ」と、考えてしまう。

「自分の欲望はその経験があったから生まれるもので、なかったらそんなものを欲しないし、欲望しないよ」と考えてしまう。

今あるものから目を背け、ないものをねだる自分がいる。

今あるものの価値から目を背け、知らない世界に勝手に憧れを抱く自分がいる。

こういう瞬間にハッと気づくのだ。「自分は今、わがままなことを考えているぞ?!」と。

自分が経験してきたものに価値がないとは思っていない。ありがたいことに貴重な経験をすることも多い。そう思っているはずなのに、なにか、たまたま選んだものが延々と続く「レールの上」を進んでいる気がするのだ。

たまたまかもしれない過去の選択が、現在と未来の自分を規定しているような気分になるのである。


向いていないことだって過去の話

今の選択肢につながる経験はさまざまにあるけど、その過去の経験が良い方に作用して、選択肢につながっているから、「それがなかったら〜」を考えてしまうんだと思う。

だって、過去にやったことが向いていないのなら、そんな経験に基づいた選択肢は頭に浮かばない。

例えば、一番最初のアルバイトは、自分自身の無力さを痛感したものだった。

この苦い経験から、「飲食業界はやめよう」と、考えている。実際、就活中に興味を持てなかった。

でも、この考えも過去の自分が決めている

とはいえ、今見ても変わらないから、考えが変わっていないだけなのかもしれない。

色んな仕事をすれば、「何が楽しいのか」、「何が面白いのか」、見つけたり、探したりすることにワクワクするはずだ。

しかし、そこには、限界がある。

飲食の仕事だって、ただ焼鳥が上手く焼けないだけであって、他のところは好きになれるかもしれない。全てをやったわけではないのに、わかった気になっているのだ

自分の狭さを自覚してしまう。だから、過去の自分がしていない「たられば」を考えてしまうのかもしれない。

自分がやってきたことは変えられないのに、自分が経験していないものに、目が行く。

知らないものを知りたいし、その上で決めたい。そう思うのは仕方がないことだ。

でも、自分がやってきたことが「なかったら〜」、「違かったら〜」なんてことは考えても意味がない。

だって、そんな世界線は今、存在しないのだから。わがままを言うのは良いけど、そういう自分の経験をきちんと大事にしたい。

それに、自分の経験がなければ、今のこの自分はない。noteだって書いているかわからない。変えられないものを嘆くより、きちんとあるものを理解し、大切にする。それが大事だなと、改めて思う。

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