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映画『366日』 感想のようなもの

公開からちょうど1週間のタイミングで、映画『366日』を鑑賞してきました🎞️🩵


我らが中島裕翔様がご出演なさるということで元々観に行くつもりだったのですが、流れてくる鑑賞後レポを眺めている限り評判がめちゃくちゃ良かったので、かなり期待値が上がった状態での鑑賞となりました。ですが!!!!この上がりに上がった期待値をものともせず、なんなら超えるレベルで素晴らしかったと感じています。


はじめに映画の外側のお話を少ししておきます。平日のお昼なのにとにかく人が多かった…!私が前日の夜にインターネットでチケットを取った時には私が取った席以外全て空いていて、「貸切で観れるじゃ〜ん😋」と思っていたのに、いざ行ってみたらめちゃくちゃ人いました。当日券で観た人が多かったんでしょうね…。私のよく行く映画館はいつも人が少ないのですが、ここにこんなに人入ってるの初めて見ました。公開から1週間後にここまで人が入ってるってなかなか凄いんじゃないでしょうか。これからさらに大ヒットしてほしいものです。



さて、内容の感想に入っていきます。
記憶だけで書くので、もしかしたら実際の内容と異なっているところがあるかもしれません。温かい目でお読みいただけますと幸いです。






⚠️このnoteは映画『366日』のネタバレを含みます。ネタバレが嫌だという方はここでお戻りください。このあとは自己責任でお願いします。






全編を通して、デッカい愛と繊細な心の話だなぁと思いました。美海ちゃんの幸せを想って理由を告げずに美海ちゃんとの別れを選んだ湊くんも、夢を諦めてでも湊くんと一緒にいたくて、それでも妊娠を湊くんに伝えられなかった美海ちゃんも、別の人に恋する好きな人をずっと近くで見守りつつ、最終的に美海ちゃんの全てを包み込んだ琉晴くんも、それぞれがそれぞれの愛と弱さを抱えていたなと。

でも一番、自分には一生生み出せないかもしれないと思った愛を持っていたのは、やっぱり琉晴くんかな。別の人と好きな人との子供を自分の子供として育てる、愛すと決めるって、どんなにその人のことを愛していたとしてもそう簡単にできることじゃない。美海が両親に妊娠を告白するシーン、あそこでの琉晴の立ち回りがあまりにもカッコ良すぎて、「おいおいどこにそんな顔も中身もイケメンな男がいるんだよ…」となりました。さらに好きだったのがその後。美海に寄り添うと言っても言葉通りただずっと一緒にいるだけじゃなくて、「びっくりさせてごめんな。でも俺は美海がずっと好きだったから、なんだって受け止められるよ。またね」みたいな感じ(超意訳)で、想いを伝えつつここで一旦場を去りましたよね。この場面、琉晴はそうすることで美海にいろんな心の整理をする時間を作ってあげたんだろうなと思えたんです。ここで私が琉晴に恋しました(やかましい)。美海さん、まだ湊が好きなら琉晴は私に譲ってくれてもいいんですよ…🥺でも琉晴は一生美海ちゃんに一途なんだろうなぁ、、はぁ、、でもそんなところも好き🥲これが……ッッ香澄ちゃんの気持ち…………ッッ( ; ; )

そんなデカすぎる愛を持っているにもかかわらず、いや、持っていたからこそなのかな、それが壊れるのが怖くて美海から湊へのMDを盗んでしまった琉晴。あそこは彼の弱さだったのかなぁと思う。一番弱さを描かれなかった人物が琉晴だよね、湊くんと美海ちゃん(特に湊くん)の弱さって結構描かれてたと思うんだけど、琉晴くんはいつでもどっしり構えていた印象です。あれ好きだったなぁ琉晴くんが道の真ん中で両腕掲げて「美海〜!!」とか「陽葵〜!!」とか呼びかけるシーン。私も中島裕翔にアレされたい。

一見ものすごく強い人に見えるんだけど、その裏に弱さとか自信のなさを常に持ち合わせていたのが琉晴という人物だったんだと思う。美海と美海と湊の子供を愛し抜きたかったのは彼にとっては本心でしかなかったかは、彼自身は自分が強いと思ったことはたぶんなかったんだろう。だからこそ病床にふせる美海に対して、「最期は本当の家族と一緒に過ごしてほしい」という言葉が出たんだと思っています。この映画、私は開始5分の時点から泣き始め(早い)、常にうっすら泣きながら観ていたんですが、その中でも1番泣いたのがこのシーンです。陽葵ちゃんはたしか中学生くらいでしたよね、正確な年齢は覚えていない(そもそも言及なかったかも、あったらすみません)のですが、仮に中学2年生だとして考えると、約15年。15年ですよ、15年美海と陽葵の家族として生きてきたんですよ。どう考えたってあなたが本当の家族だろうよ…😭😭😭😭それでもまだ、「自分は本当の家族ではない」という気持ちがずっと、15年間ずっと琉晴の心のどこかにはあったんです。この自尊感情の低さというか、自己肯定感の低さというかは、琉晴の心のとても見えづらいところにある繊細な部分だと感じました。彼自身にも繊細な部分があるからこそ、美海を思いやることができたのかもしれないですね。美海ちゃんが「最期はあなた(琉晴)といたい」と言ってくれて本当に救われました、私が。(お前がかよ)
琉晴も少しでも救われてくれていたらいいな。


美海ちゃん自身は意識していなかったかもしれませんが、美海ちゃんが湊くんに思いっきり恋できたのは、琉晴くんといういつでも自分の全てを受け止めてくれる幼馴染の存在が大きかったんじゃないかなぁとも思います。恋というものを一言で語ることは到底不可能ですが、恋に限らず何かを好きになる時って、自分の中で確固たる好きなものがすでにあるからこそ思いっきり他にも好きなものを増やせるって側面はあると思っていて。好きなものって自分を形作るものの本質、アイデンティティの結晶なので、自分という存在は好きなものがあってこそ認識できると思うんです。逆に言えば、自分という存在がわかっていない状態で好きなものを増やすのって実は難しいんですよね、自分のことが分からないってことは自分の好きなものも分からないってことだから。もちろん、恋が人生の唯一の光になる場合だったり、実際にやってみて自分はこれが好きなんだって気づく場合だったりもありますので一概にこうだとは言えませんが、こういう場合もあるよねということです。これを考えると、琉晴くんという大好きな幼馴染の存在があったからこそ美海ちゃんは湊くんを好きになれたのではないのかという考察も、あながち的外れとは言えないと思いませんか?これ、琉晴には伝えられませんけどね、切なすぎて。琉晴くん、一生切ない役回りだなぁ、あんなに明るい太陽のような人なのに。。。

琉晴という名前も良いですよね。名は体を表す、まさに琉球(沖縄)の美しい太陽と空のような人。それにしても、このキャラクターの役名を「太陽」とか「空」とかじゃなく「琉晴」にしているの、かなり粋だなと感じます。製作陣も琉晴には並々ならぬ思い入れがありそう…。対して美海は結構安直だけど。あれれ。


「俺はずっとここにいるから」「俺はいつでも美海の味方」

美海に対して琉晴はよくこのような言葉をかけていました。これって、「ずっとなんてない」と美海に伝えた湊とはすごく対照的なんだよね。でも、「だから琉晴の愛の方が大きいよね、湊の愛の方が小さいよね」ということが言いたいわけではありません。これはただそれぞれの愛の形が違うというだけで、美海に対する愛は2人とも比べることができないくらい大きかったと思います。早くに両親を亡くした湊の愛は、失うことの怖さと、遺されたものの強さを知っているからこそあのの形だったんだろうなって。これが結局すれ違ってしまったわけですが、陽葵に「君を育ててくれたお父さんが、君の本当のお父さんだよ」と声をかけたり、「最期に彼女のそばにいるべきなのは、俺じゃない」と美海の気持ちを正確にわかることができたりしたのは、間違いなく愛の力だったと思います。私は湊の気持ちもわかるからこそ切ない。頼むから全員幸せになってくれ。


突然過去の話をしますが、高校生時代にダイジェストで流れてた美海ちゃんと湊くんが惹かれあっていく様子で少しだけ写っていた琉晴の顔。あれ、気づいてたよね、美海ちゃんが湊くんに恋していることに。好きだからこそ気づいちゃったんだよね。。。あそこ切なかったなぁ…そしてこれを表情で演じられる中島裕翔の演技力ね。


陽葵ちゃん役の子もすごく良かったですね〜〜めちゃくちゃ芝居うまかった。琥太郎くんも良かったなぁ。そして彼が「虎太郎」じゃなくて「琥太郎」なのもなんかわかる。漢字知らずに行って、帰ってから「琥太郎」かな?って調べてみたらやっぱりそうでした。王編がつくと一気に沖縄味が出ますよね、やっぱ琉球が両方王編だからなのかな?

そういえば、脇役含めてこの映画に嫌な奴って1人も出て来なかったね。香澄ちゃんが美海ちゃんのライバル的立ち位置っぽかったので、「ここで一悶着あるか…!?」と思ってたけど、そんなこともなかったし。嫌な奴が出てこない。これも鑑賞後の爽快感の一因なのかもしれないです。


ところで、前情報をほとんど知らずに観に行ったので、最初突然裕翔くんが父親役として出てきたのには驚きました。悲恋映画であることはわかっていたはずなのですが、この時は純粋に「エ!?萌歌ちゃん裕翔くんと結婚してるの!?エ〜〜〜!!!赤楚くんは!?!?!?!?!?」と思ってしまいました。「裕翔くんがパパ!?!?!?!?!?!?」という衝撃はもちろんのこと。

この後、陽葵ちゃんが美海ちゃんに頼まれて開けた箱の中に湊くんの写真が入っていたところで、「もしかして陽葵ちゃんって琉晴くんじゃなくて湊くんの子…!?」と思ったのですが、それだとあまりに琉晴くんが切なすぎるので「そんなわけないない🙂‍↔️」とこの予想を胸の中にしまいました。(この予想をまさかまた引き出すことになるとはこの時は知る由もない)



最後に、映画全体の感想を一つだけ。この映画で素晴らしいと思ったのが、モノローグの少なさです。映画というたった2時間前後の枠の中で、物語を第三者目線の役者の芝居だけで観客にわからせるのってすごく難しいので、最近の映画(特に恋愛映画)は基本的にモノローグが多用されている印象がありました。しかし今回の映画でのモノローグは湊が美海に別れを告げた真相のところで使われているのみで、そのほかはすべて役者の芝居でそれぞれの感情が表現されていました。役者の演技力あってこそ可能になる脚本・演出。本当に素晴らしかったです。ロケーションも最高でした。沖縄の海、綺麗すぎる…!!!沖縄に行きたくなりました。


私はJUMP担といえど髙木担なので、ある程度客観的な感想が書けるだろうと思っていたのですが、気づいたら嘉陽田琉晴、中島裕翔贔屓の感想になってしまっていましたね。そんなつもりで書き始めたわけではなかったはずなのに。。これが中島裕翔の役者としての引力……………。今後の芝居も本当に楽しみです。

さんざんネタバレありの感想を書いた後に書くことではないかもしれませんが、予告なども観ず、本当に「赤楚衛二くん、上白石萌歌ちゃん、中島裕翔くんが出る」こと以外何も知らない状態で観に行きましたが、この分量の感想が書けるくらいにはとても楽しむことができました。何も知らない状態で行っても楽しめる映画ですので、まだ観に行っていないという方は観に行かれることを強くお勧めします。そしてもう観たという方は、ぜひあなたの映画366日の感想も聞かせてください、語りましょう。マシュマロに投げていただければご返信します。noteのプロフィールに私のXへのリンクが貼ってありますので、そこから飛んでいただけますと幸いです🫧366日語りたい欲が収まらない…!という方はぜひご活用ください🙂‍↕️💭



最後になりましたが、映画「366日」にかかわってくださったすべての方へ。素敵な作品を届けてくださり本当にありがとうございました。




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