映画「アメリカン・サイコ」初見時の備忘録

ミュージカルのチラシビジュアル公開をきっかけに、観るのを先延ばしにしていた映画「アメリカン・サイコ」をようやく鑑賞しました。

これから考察のために何度も観ることになるとはいえ、初見の感想というのは生ものなので。2025年1月11日深夜3時現在、鑑賞直後のリアルな感想を心の赴くままに書き連ねていきます。まとまっておらず読みにくいところもあるかもしれませんが、ご容赦ください。完全に自己満の備忘録です。


⚠️このnoteは、映画「アメリカン・サイコ」のネタバレを含みます。まだ映画を観ておらずネタバレが嫌だという方は、ここでお戻りください。また、センシティブな内容(ベッドシーンや暴力的なシーンなど)の話も含む予定ですので、そのような話が苦手な方もここでお戻りください。また、一部ドラマ「MIU404」のネタバレも含みます。なぜ「アメリカン・サイコ」の話なのに「MIU404」の話が出てくるのか、今の時点では意味が分からないと思いますが読んでいただければ分かります。こちらのネタバレが嫌な方も、自衛のほどよろしくお願いいたします。











作品紹介

鑑賞したのはこちら💁🏻

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映画「アメリカン・サイコ(吹替版)」です。AmazonPrime会員ならプライム特典で観られます。字幕版もレンタルすれば鑑賞可能です(字幕版の方はFODでもレンタルできます)。


率直な感想

率直な感想としては、うーーーん!難しい!一度で全てを理解するのは無理そう!といったところです。

シーンとシーンの繋がりが見えにくいところがあったり、登場人物が多くて名前と顔を一致させて覚えられなかったり。他にも、パトリックのはずなのに違う名前で呼ばれてるシーンが多々あって、え、どういう状況?と何度も疑問に思いました。知らない音楽、知らない単語(ドーシアなど。これは高級レストランのことらしいですね)もたくさん出てきました。ここら辺は繰り返し観たり調べながら観たりすることで理解していくしかないのかな…という感じ。今の時点では分からないことの方が多いです。

何より、ラストシーンにものすごく疑問が残りました。え、結局何だったの?というモヤモヤラスト。ここに関しては後ほど考察しますが、何度も観たり他の方の見解を知ることでまた変わっていく部分かもしれません。

でも、なんとなくいいものを観られたなという感覚はあります。どうしても私は「雄也くんがこれを演じる」という前提から抜けられないので、勝手に雄也くん補正がかかって好きになってしまっている可能性は否めませんが、観てよかったなと思えています。雄也くんを好きになっていなかったら一生知ることもなかったであろう作品を観て、抱かないはずだった感情を抱けている今がすごく幸せです。

これを…これを雄也くんがやるのか……。マジかぁ、どう魅せてくれるんだろう。楽しみすぎる。どうミュージカルになるのかも楽しみ。ミュージカルってなんとなく感情が昂った時に歌い出す?みたいなイメージがあるので、パトリックの感情が昂るシーンは割とたくさんありそうで、歌に繋がる部分はたくさん作れそうだなと思いました。


パトリック・ベイトマンという人物

さて、どんどん細かい感想を書き留めていきます。

まずはパトリック・ベイトマンの肉体美について。雄也くんがなぜあそこまで節制して鍛えているのか、理解がたやすくなるほどの体でしたね。これを求められてるのヤバすぎる。そして開始5分で半裸から全裸のダブルコンボをキメられて、おいおい落ち着け、早すぎるだろとなりました。雄也くんがラジオやライブで「(アメリカン・サイコでは)脱ぎます!」と宣言しているの、正直理由が分からなかった(なぜサイコパスもので脱ぐ必要が…?と思っていた)のですが、その理由も同時にわかりました。めちゃ脱ぐやんコイツ。自分の肉体にものすごく自信があるというナルシシスト的側面を感じました。

ただ、肉体美というのはあくまで表面上の美しさな訳で。表面は美しいのに裏(本性)には人間的な醜さ(常に周りを見下しつつ、自分より優れていると感じた人物に対しては嫉妬に狂う)を隠し持っているというのが、昼はエリート、夜は殺人鬼という彼の二面性と上手い具合に対応しているなと思いました。

最初の方でも、婚約者から父親の会社で働いていることについて触れられた際すごく嫌がっていたので、やっぱり肉体的にも社会的にも「周囲からの見え方」というものを本当に気にする人なんだろうなと。

また、周囲に影響されやすい人なんだろうなとも思いました。女性同士のAV?みたいなのを観た後に実際自分も二人の女を呼び出してやらせてみたりとか、チェンソーが出てくるテレビを観た後に実際自分も全裸チェンソーやってみたりとか。パトリック・ベイトマンという人物の中身、本当に空っぽだよね。本体がどこにあるのか全く分からない。「パトリック・ベイトマンという存在はあるが、それは幻影である」という彼の言葉通りだと思います。こんなにもよく自己分析ができていたのに、いつから自分をコントロールできなくなってしまったのか。

探偵に詰められてる時にめちゃくちゃ動揺してボロ出まくってたのも気持ち悪かったです。あんな殺し方しといて今更オドオドすんなや。

てかパトリックはアレン殺害後、顔を変えずに各地で「私がポール・アレンです」みたいなことしてたけど、あれって大丈夫なの????ポール・アレンとして会った人物に探偵がパトリックの写真でも見せに行ったら一発アウトなのに。お父さんの会社だからコネ入社でエリートの皮被れてるだけで、パトリック自身は別に頭良くないんだろうな。しかもアレンの部屋手袋もせず触りまくってなかった????なぜ一発バレしないのか不思議、と途中まで思っていたのですが、最後まで観て、このようにさまざまな痕跡を残しておきながらもバレないくらい現実社会でパトリックの存在がないものとされているということなのかもしれないと思いました。これはラストシーンにも繋がる重要な示唆です。

あとこれはどうでもいいことですが、パトリックの部屋、舞台東京輪舞の予告を撮られている部屋にちょっと雰囲気が似てるなと思いました。白い感じとか(根拠薄め)。

今見るとあんまり似てなかった。


パトリック・ベイトマンの殺人

ここからは、主にパトリックの殺人シーンとそれにまつわる所感を記録していきます。

ホームレス殺害シーン、コンビニでパン買うみたいに人殺すじゃんって思いました。あまりにも普通の、日常に溶け込んだ殺人という感じで、ああこの人はこれが通常運転なんだと思うことができました。

ただ、アレンの殺害過程はちょっとなぁ…。名刺のカッコ良さ競って、それで負けたと思ったからって殺すのは、流石に精神年齢低すぎて引きました。これが1980年代ヤッピーのリアル…ほんとに…?1980年代アメリカについての勉強もする必要がありそうです。アレンの殺害シーンについては他のところと絡めて書きたいのでまた後ほど。

お馴染み(!?)の全裸チェンソーのシーンは、油断してる時に突然やってきてマジで心臓止まるかと思いました、血まみれの死体の応酬流石に怖かった😭音も急にめっちゃ大きくなるから、イヤホンで聞いてるこっちも死にそうになってました。なんなら怖すぎて一回止めちゃった。もう一回再生するのも怖かった。でも逆に言えば、ここ以外でめっちゃ怖い!ってシーンは個人的にはなかったかな、でもここはほんとに怖かったです。てかなんだっけ、エリザベス?はなんか噛みちぎってなかった、、??え、吸血鬼?ってなっちゃった。パトリック、殺し方がいつも独特。

この後(?ここらへん時系列謎)の連続射殺シーンは、深夜とはいえ明らかに周りに人がいなかったりして、なんか非現実的な感じだな、夢?と思いました。ラストまで観るとますます妄想っぽく思えてしまいますよね。

でもあの告白シーンは謎に泣いてしまいました。もともと涙腺は弱い方で、映画というモノや映画館という場所自体がものすごく好きなせいでコメディ含むどんな映画でも基本泣いてしまうんですが、「アメリカン・サイコ」で泣いたのはここでしたね。これは私個人の感覚なので全然参考にならないと思います、気にしないでください。でもここのパトリックの鬼気迫る感じは、ああ、自分をコントロールできなくて苦しいんだろうな…頑張れ…と少し共感してしまいました。
きっとこう思うべきではないし、演出の意図とも違うと思うのですが、やっぱりこの役を大好きな雄也くんがやるんだっていう前提に常に立ってしまっているので、どうしてもパトリックのこと完全には憎めないんですよね……


演出で気になった部分

演出で気になったのは、右の顔と左の顔の使い分け。最初にこれに気づいたのはポール・アレンの殺害シーンです。返り血によって、パトリックの顔の右側は真っ赤に染まっている一方、左側はほとんど血がついていませんでした。アレンを殺すときはパトリックが画面右側の方を向いていることで顔の右側だけが映っていたんだけど、殺した後はアレンの向かいの椅子に座る(だったかな?記憶曖昧)ことで顔の左側だけが映るようになって、そこでこの違和感を覚えました。

他に同じような演出がされていると感じたのは、終盤の二つの電話シーンです。夜の電話での告白シーンでは顔の右側にだけライトが当たっていて、逆にこの後の、電話ボックスからのジーンへの電話シーンでは顔の左側だけ映っていました。明らかに意図のある撮り方だと思います。

ちょっと調べたところによると、左の顔は右脳が管理していて右の顔は左脳が管理している、ということで、感情を司る右脳に支配されている左の顔の方が本心が出やすいそうです。パトリックの場合、殺人を行うときや殺人を告白するときに強調されるのは決まって右の顔(本心が出ない方の顔)です。こう考えると、パトリックの本質は殺人鬼ではないのかもしれないという考察すらできてしまいます。この<右の顔/左の顔>という観点は、もう一度観返すときに一番注目したいポイントです。


サイコパスの表象

全体を通して、そもそもサイコパスの定義についても再考する必要がありそうだと思いました。もともと個人的に、サイコパスには「人の心を持っていない」というイメージがあって、「常人には全く理解することができない人」のことを指しているのかなとなんとなく思っていました。でもこの映画を観ると、意外とそうでもないなというか。もちろん殺人欲求を抑えられていないところは全く理解できない(ここがパトリックをサイコパスたらしめている部分なんでしょうが)ですが、「自分が一番でありたい」「自分よりいいものを持っている人が羨ましい、妬ましい」って気持ちは、結構分かるなって。誰でも一度くらいは持ったことのある感情なんじゃないかなと思いました。これこそ、雄也くんがコメントmovieで言っていた「人間の中身の面白さ」という部分なんだろうなと。サイコパスのことなんか全く理解できないものだと思い込んでいた自分にとっては、かなり衝撃的な描かれ方でした。

一旦雄也くん挟みましょう。ここで前述の「人間の中身の面白さ」について言及されています。

映画を観てからこれを観ると、雄也くんの言っていることにより共感できる気がします。


ラストシーンの考察

そして、疑問の残るラストシーン。殺人は全て精神に異常をきたしたパトリックの妄想だったという可能性もありますし、パトリック含め周りの人たちはみんなヤク中だったっぽいので、ヤク中のせいでラリって幻覚見てました、という「MIU404」的なオチ(かなりかいつまんでます、本当はもっと深いですがここでは便宜的な表現)である可能性もなくはないのですが、個人的にはそうは思いません。
(余談ですが、パトリックがヤク中ならミュージカルでは東京輪舞のヤマナカタツヒコ氏をまた感じられるかもしれないなって思いました)

パトリックが実際殺していると考えると色々と辻褄の合わない部分は出てくるのですが、そこはフィクションならではの演出というか。殺人という、人間としての最たる異常性を発揮しつつ、それすらも認識してもらえないパトリック・ベイトマンという人物の虚無性を描きたかったのではないかと思っています。正直、これを描くことに関しては、実際殺してるのか殺してないのかってあんまり重要ではない。実際どうかは分からないんだけど、とにかく本人は殺したと思っているのにその殺しすらも認知されないということの方が重要なのではないかと思いました。これは、前述した「さまざまな痕跡を残しておきながらもバレないくらい現実社会でパトリックの存在がないものとされているということなのかもしれない」という考察とも合わせて考えることができます。

映画「アメリカン・サイコ」は、そのタイトルから想起されるものよりも過激な描写がずっと少ないです。目を背けたくなったのは全裸チェンソーのところくらい。なにで見たかは忘れてしまったのですが、原作の小説にはもっと過激でグロテスクな描写が多い一方、映画はパトリックの内面性に焦点を当てるために「あえて」そのような描写は抑えて演出されたらしいです。このことも踏まえると、ラストシーンのこの解釈も割と妥当性を帯びてくるんじゃないかなと思っています。


おわりに

雑多な長文感想&考察をここまでお読みいただきありがとうございました。
このnoteをここまで読んでくださっているということは、おそらく映画「アメリカン・サイコ」を鑑賞済みなのだろうと思いますので、ぜひあなたの感想及び考察も聞かせてください。語りましょう。(noteのプロフィールに私のXへのリンク貼ってます。マシュマロにでもリプにでもDMにでも、24時間いつでもお待ちしております。)

とりあえず一旦映画を履修できたということで、今後は映画の復習をしつつ、アメリカン・サイコに関する英語論文(調べたらいっぱい出てきた)を片っ端から読んでいこうと思っています。舞台開幕までに、雄也くん以上に「アメリカン・サイコ」という作品及びパトリック・ベイトマンという人物についての解釈を膨らませて、自分なりの根拠のしっかりした考察を持つことが目標です。

これからどんどんと考察を深めていくのも舞台自体も、ものすごく楽しみで今からワクワクが止まりません。こんな感情にならせてくれている雄也くんに改めて大感謝…!雄也くん、いつもありがとう〜!!!!大好きです!!!!





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