
必要とされてないって
自分が必要とされる場所ってどこにあるのだろうかと昔悩んでいた。
例えば自分の場合、ミュージシャンは上手くてなんでも出来れば仕事が来ると思っていた。あの人は大きい仕事をやっていて、あの人は稼いでる、なんて。
その反面自分はライブだったりの本数は恐ろしく多かった。様々なミュージシャンたちと交流もしている。なのにそんなふうな気持ちになるってのは何故だったのか。
人は無いものねだりをしてしまう。
どんなに強い人も目の前に望むものが落ちていれば、手が届きそうと思えば一瞬それしか見えなくなって、その一瞬で多くのものを失ってしまう。
不思議なもので、自分が眺める誰かの強い弱いなんて真実じゃないことのほうが多い。そんな上辺の何かに人は踊らされてしまう。ある日の自分もそのうちの1人だった。
俺はあまり群れるのが得意ではなかった。いろんな人たちと交流し、いろんなコミュニティーに属してはしばし会わなくなりってのを繰り返してきた気がする。その都度考えていた。自分を本当に必要としている人はどんな人なんだろうって。
時が経つにつれて本だったり映画だったり、語学交流だったり、はたまた先輩の言葉だったりに胸を打たれ、ふと顔を上げた時にはだいぶ景色が変わっていた。
何が変わったって、自分にとってどういう人かというのが少し分かるようになっていたんだ。
こんなにいろんな人たちと交流してきた中で、自分の居場所がないだなんて嘘っぱちだ。必要としてくれる人はいつも目の前に現れていたんだ。それを蔑ろにはしてないまでも、受け入れきれていなかったのは自分自身を受け入れていないのと同じだったのではないか。
人は自分の鑑だ、なんて話は本当に本当だ。自分を見つめることだけで精一杯なのに、誰か必要としてくれないかなーって受け身でいては、それはそれは相手も受け入れきってくれやしない。
いつしか、誰かを必要とするようになっていた。
気付けば必要とされていることを実感出来るようになったと言えばいいのか。
12月にKimくんのワンマンライブでギターを弾いた。彼の誘い文句は、クマガイさんに弾いてもらいたいんです、だった。嬉しかった。どんなに払いのよい仕事をやるよりも嬉しかった。自分のためだけじゃない演奏をさせてくれた気がした。
そういう経験って色々やってる中でもそうは多くない。だからこそ、また音楽で会いたいと思えた。
そういえば、昔より偏った仕事みたいなのはやらなくなった。というより来なくなった。フェーズが変わったと言えばそうかもしれないけれどちょっと違う気がしていて、自分を必要とする周りの人々が鑑として俺自身をどう映してたかはっきりしてきたからかもしれない。
自分を見つめ続ければこれからも変わっていくと思う。そう、いつだってそれなら変えていけるのだ。そしてまた、自分の変わらない要素を面白がってくれる人たちと一緒に居続けるのかもしれない。
居場所がないなら自分で探せばいいだなんてもう言わない。自分も見つけようとしてた人だから。
きっと自分の居場所は自分の心にあって、そして人はそれを姿として見ているんじゃないだろうか。
俺はあなたを必要として、あなたは俺を必要とする。そして、それぞれの周りにいる人々を伝ってそれが自身の居場所っていうものになるのだろうか。
実際に群れてるのと心で伝っていくのとは訳が違う。例えおひとり様だったとしても、ひとりじゃない。(そして俺はそんなおひとり様に激しく頷く)
もっと誰かにとって生きやすい場所を作る。それが今年からの未来への明確な目標になった。
そんな1月の始まり。
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?
良い正月でありますように。