外国為替市場における「非投資需要に基づく為替取引」の考察
外国為替市場における「通貨の取引(法定通貨の売買)」は、必ずしも、その全てが「投資」や「投機」を目的とする形で行われているわけではありません。
例えば、株式市場における「株の売買」においては、基本的にはその全てが「利益」を追求した上で行われているものであり、その全てが「投資」や「投機」を前提とする売買と言っていいと思います。
ですが、各国が発行している通貨(法定通貨)には、その通貨自体に「用途」があるため、純粋に通貨そのものを必要とする「需要」があります。
よって、外国為替市場で取引されている「通貨」は、投機や投資を前提とする需要(投資需要)に伴う売買だけではなく、それらとは異なる需要(非投資需要)に伴う売買も併せて行われています。
そのような「投資需要に基づく通貨の売買(為替取引)」と「非投資需要に基づく通貨の売買(為替取引)」は、主に以下のようなものに分類することができます。
この記事では前者の『非投資需要に基づく通貨の売買』における、
・入国者・出国者による通貨交換(非投資需要に基づく為替取引)
・貿易業者などの商取引による通貨交換(非投資需要に基づく為替取引)
この2つの為替取引について、その具体的なデータと共に、それぞれが外国為替相場に及ぼしている影響などを考察していきたいと思います。
『入国者・出国者による通貨交換』
これは旅行者、労働者、留学生などを含め、諸外国から国内への入国者による通貨交換、国内から諸外国への出国者による通貨交換が該当します。
例えば、あなたが旅行目的で海外へと出国した場合、旅行先での買い物や飲食のために日本円を旅行先の通貨(外貨)に交換するはずであり、逆に日本への旅行者は、自国の通貨(外貨)を日本円に交換するはずです。
通貨の売買とは、このような「自国通貨と外貨の交換(通貨と通貨の交換)」であり、このような旅行者などの通貨交換も「通貨の売買」に該当します。
そして、そのような旅行者は、大抵の場合、その国の通貨で「消費」を行いますので、その消費量が多くなるほど、帰国時点で外貨を自国の通貨に交換する通貨量は少なくなります。
自国の通貨を現地の通貨に交換した旅行者などが、その国の通貨を用いた「消費」を一切、行わずに帰国し、その全額を自国の通貨に戻すということはまずありえないと思います。
極論で言えば、世界中の人達が一気に日本へ来日し、各国の通貨を日本円に交換したなら、各国の外貨で日本円が大量に買われる形になるため、日本円の為替レートは「円高」の方向へ動くことになります。
逆に日本人の多くが一気に海外へと出国し、日本円を各国の通貨と交換したなら、各国の外貨を大量の日本円で買い漁り、日本円は大量に売られる形になるため、日本円の為替レートは「円安」の方向へ動くことになります。
端的に言えば「相対的に諸外国からの入国者が多い国の通貨(相対的に外国人旅行者が多い国の通貨)」は、通貨高方向への圧力がかかります。
対して「相対的に諸外国への出国者が多い国の通貨(相対的に海外旅行者が多い国の通貨)」は、通貨安方向への圧力がかかるということです。
入国者の増加は通貨高圧力。減少は通貨安圧力。
ただ、通貨安となっている国ほど出国者(海外旅行へ行く人)が減り、入国者(海外からの旅行者)が多くなる傾向があります。
そして、通貨高となっている国ほど出国者(海外旅行へ行く人)が増え、入国者(海外からの旅行者)が少なくなります。
日本(日本円)で例を挙げるなら、日本円が「円安」になるほど、外国人旅行者からすると、円安になる分だけ、日本が『リーズナブルな旅行先』になるということです。
当然、このような場合は、海外からの旅行者(入国者)が増えることになります。
逆に日本国内からの「海外旅行」は、円安であるほど高くつくことになるため出国者(海外旅行へ行く人)は減ることになります。
対して、日本が「円高」になれば、その分だけ日本が『割高な旅行先』となるため、入国者(海外からの旅行者)は減り、日本国内からの海外旅行は割安になるため出国者(海外旅行へ行く人)は増えることになります。
よって、この「入国者・出国者による通貨交換」は、為替レートを「通貨高」や「通貨安」へと進行させる要因なのではなく、むしろ、過度に「通貨安」「通貨高」となった為替レートを「均衡(安定した為替レート)」へと向かわせる要因の1つとなります。
ただ、入国者・出国者による通貨交換量の多寡は、単純な「入国者数」や「出国者数」の数(人数)だけで、その具体的な取引量までは判断できません。
そのため、出国者数、入国者数の増減は、あくまでも、その「目安」の範疇ということです。
出国者数、入国者数で捉える通貨としての「円」
では、ここで言及した『入国者・出国者による通貨交換』に該当する外国為替の取引量を「日本円」を対象に、出入国在留管理庁が公表している「外国人入国者数」および「日本人出国者数」から推定してみます。
BIS(国際決済銀行)が推計している外国為替市場における各主要通貨の取引高は以下のようになっていました。
上記の(注)の注意書きに記載がある通り、上記における個別通貨の取引額は、外国為替取引の両通貨のサイドからカウントして集計された取引高となっています。
よって、日本円(JPY)の実際の取引高は「6265億ドル/日」という推定値になり、この取引高から年間の取引額を算定すると以下のようになります。
尚、2022年10月まではコロナウイルスに伴う入国、出国の規制があったため「外国人入国者数」および「日本人出国者数」は、2023年度のデータを用います。
仮に入国者、出国者の一人あたりの通貨交換量を2000ドル(2023年度ドル円レート130~150円換算で26万~30万円相当)とした場合。
米ドル推計で入国者が外貨を日本円に交換した金額および、出国者が日本円を外貨に交換した金額は以下のようになります。
あくまでもこれは入国者、出国者が平均して米ドル換算で2000ドル分の通貨交換を行ったという仮定の上での数字です。
この仮定の上で言えば、入国者および出国者によって行われた外国為替取引の総額は709億ドルということになります。
ただ、実際には、この2~3倍、もしくは、それ以上の通貨交換が行われている可能性もあるため、仮に5倍までの幅をもたせたとしても、その取引総額は3500億ドルほど。
2022年度の外国為替市場における日本円の取引高313兆2500億ドルに対する割合としては、0.1%ほどの取引高でしかありません。
つまり、日本円の為替レートに関して言えば「入国者および出国者によって行われたであろう外国為替の取引高」は、これをかなり多めにこれを見積もったとしても、現実の為替相場に与える影響は、そこまで大きいものにはならないということです。
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なお、外国為替市場における日本円の取引高313兆2500億ドルという母数には、実際の為替レートの変動、および、長期的な変動には影響を及ぼさないような取引が、かなり高い割合で含まれています。
以下は2019年までのデータとなりますが、外国為替市場において実際に行われている「取引」を、その種別ごとに分類すると、その内訳は以下のようなものになっています。
上記の通り、取引高の約半分ほどを占めている取引種別は「為替スワップ」と呼ばれる取引であり、これは為替レートの変動リスクを回避するための、いわゆる『両建て取引』を意味するものになります。
具体例としては、米ドルを多く保有しながら日本円による商取引などを頻繁に行っている事業者・金融機関などが、米ドルの日本円による米ドルの現物を買います。
併せて、米ドルによる日本円の先物売りを同時に行うことで、為替レートの変動によって生じてしまう恐れがある損失のリスクを回避できることになります。
本来、先物取引というのは、このような商取引におけるレート変動のリスクヘッジなどが、その主な用途であり、こうした「為替スワップ」による取引が、外国為替市場における取引高の大部分を占めているということです。
よって、このような「為替スワップ」による取引は、実質的には「両建て」に該当するため、実際に取引の対象とした通貨のどちら側に対しても、通貨高および通貨安への影響を及ぼしません。
要するに外国為替取引の半分を占める取引(売買)は綺麗に相殺されている事になるため、現実の為替レートの変動に影響を与えるのは『その残り半分に相当する取引(取引量)』ということです。
つまり、2022年度の外国為替市場における日本円の取引高313兆2500億ドルで言えば、この取引高の半分を「為替スワップ」による取引だと推定した場合、実質的に為替レートに影響を及ぼすのは、その半分に該当する約156兆ドル分ということになります。
よって、本来はこれを「母数」とした上で、先ほど仮定したような「入国者と出国者による外国為替取引」による『差額』の割合を判断する必要があります。
とは言え、いずれにしても「入国者と出国者による外国為替取引」に相当する部分が、そこまで多くの割合を占める計算にはならないということです。
『貿易業者などの商取引による通貨交換』
国外からの仕入れ(輸入)や、国外への販売(輸出)といった「貿易」を行っている事業者は「輸入」を行う際には、自国の通貨を売って国際通貨である米ドル、または、仕入れを行う現地の通貨を買い、その通貨で仕入れにおける支払いをします。
逆に輸出を行う場合は、輸出先の国の通貨(外貨)を受け取る形で販売を行いますが、自国での事業継続に伴い、手にした外貨を売って自国の通貨を買い、それを再び自国での事業資金に充てていきます。
もちろん、輸出、輸入の形態によっては例外もありますが、大抵の場合、貿易業を営む事業者は、
このような流れで為替取引を行っていく形になります。
ゆえに、その国の全体的な比重において「輸入」を行う事業者の方が活発であれば、自国の通貨で外貨を買う為替取引の比重が高くなるため「通貨安」の方向への圧力となります。
対して「輸出」を行う事業者の方が活発であれば、外貨を獲得した事業者が、自国通貨を買っていく比重が高くなるため「通貨高」の方向への圧力となります。
輸入増は「通貨安」の要因となり、輸出増は「通貨高」の要因になるということです。
ただ、貿易業は、大前提として自国の通貨が「通貨安」であるほど、自国の商品を国外へ安く販売できることになります。
また、諸外国から見ても、同じ品質の同じ商品であれば、自国の通貨に対して、通貨高の国よりも、通貨安の国から輸入する方が、仕入れ自体を割安にできることになります。
そのため、そのような「価格競争」の観点でも、通貨安の国の方が「輸出」を有利に行えるようになります。
よって「通貨安」になれば輸出が有利となり、輸出が増えますが、輸出増は「通貨高」の要因となります。
逆に「通貨高」になれば輸出が不利になり、その場合は輸入が有利となるため輸入増となりますが、輸入増は「通貨安」の要因になるということです。
よって、輸出および輸入に対する為替レートには以下のような循環理論が成り立つことになります。
つまり、貿易業者などの商取引に伴う為替取引も『入国者・出国者による為替取引』と同様に、通貨高や通貨安への要因として寄与するよりも、通貨安または通貨高となっている過度な為替レートを均衡(安定した為替レート)に向かわせる要因となるということです。
輸出額、輸入額で捉える通貨としての「円」
以下は財務省が公開している、2012~2022年までの日本における輸出総額と輸入総額の推移になります。
上記から推計できる2022年度の貿易収支は以下のようになっています。
2022年度の輸出および輸入に伴う外国為替の取引高は米ドル換算で1兆4400億ドルとなっていました。
よって「貿易収支」は、輸出額を輸入額が上回っているため、米ドル換算で1355億ドル相当の赤字収支だったことになります。
その上で、先ほど提示した2022年度の外国為替市場における日本円の取引高313兆2500億ドルに対する、輸出および輸入に伴う外国為替の取引高1兆4400億ドルは、割合としては0.5%ほどでしかありません。
また「為替スワップ」に相当する為替レートに影響を及ぼさない取引量を全取引高の50%ほどと仮定します。
その分を除外した現実の為替レートに影響を及ぼす取引高、約156兆ドルに対しては、年間通算で貿易赤字分1355億ドル相当の日本円の「売り」に伴う外貨の「買い」があったことになります。
これも割合としては0.1%に満たないため、貿易業者などの商取引による通貨交換に伴う外国為替取引が現実の為替相場に対して与える影響は、少なくとも日本円の為替レートに関しては、それほど大きいものではないことが分かります。
輸出および輸入において生じる「貿易収支」は、現在の数十倍規模で大きくならない限り、貿易業者などの商取引による通貨交換に伴う外国為替取引が現実の為替レートに大きな影響を及ぼすことは、ほぼないに等しいということです。
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以上の通り、
・入国者・出国者による通貨交換(非投資需要に基づく売買)
・貿易業者などの商取引による通貨交換(非投資需要に基づく売買)
この2つの「非投資需要」に基づく為替取引は、外国為替市場における全体の取引量に対する割合としては、少なくとも「日本円」においては、さほど大きな割合を占めるものではないことが分かりました。
同時にこれらに基づく為替取引は、基本的には為替レートを「均衡(安定)」させる方向へと作用する可能性が高いため、いずれも通貨高や通貨安を押し進めるような形で作用するものではないと考えられます。
ゆえに外国為替相場の予測においては「入国者数や出国者数の推移」および「貿易収支の推移」などは、さほど有効な分析材料にはならないということです。
外国為替市場を形成する「為替取引」の分類
なお、外国為替市場を形成する「非投資需要に基づく通貨の売買(為替取引)」および「投資需要に基づく通貨の売買(為替取引)」については、他の各為替取引についての考察も行っています。
これらの記事も是非、併せて参考にしていただければと思います。