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ムサビ建築の大学生活

ムサビには毎日2時間かけて通学しました。建築学科でしたが、美大なので一年生のときは造形教育(一般大学の一般教養の感じか)として「共通絵画」という絵を描く時間がたくさんあります。彫刻も少し。
建築では構造や設備、施工など、仕事が各専門分野に分かれますが、美術系の建築学科に来る人は意匠設計を希望する人だけ。その辺りが、工学部の建築と特に違うところだと思います。

絵画や彫刻の時間は楽しかったのですが、ぼくは予備校でデッサンなど学ばずに入ったので、ある程度描ける人が多い中、自分は描けないなあということが常にコンプレックスとなりました。それなのに、なぜ自分は今、絵を描く仕事をしているのだろう。人生は不思議なものです。

2年生以降は、建築の設計課題を本格的にやるようになるのですが、最初は素人がいきなり設計課題をやるのだからなかなか大変。でも、そこはみんなだんだんと掴んでいく。大学では先生方が何か教えてくれるというよりも、自分がテーマを見つけて勉強する場ですね。

友人はみんな自然体でなかなか楽しい毎日でした。あれからもう20数年経っていますが、今も連絡を取ったり新年会で会ったりと仲良くしている友人たちがいます。ぼくはどっちか言うと、マニアックに建築知識がある根っからの建築好きといいうタイプでもなく、仲良かった友人たちもやはり同じタイプなので気が合ったのだと思います。

当時、一般大学ではサークルに入って遊ぶのが生活の中心と聞きましたが、そういうのは自分のまわりには無く(入ってない友人が多かった)、夜まで学校に残ってみんなで課題をやったり、時々寄り道して友人たちと遊んで帰ったりという毎日だったように思います。

ぼくは余裕を持って課題をコツコツ進めることができなかったので(今と同じだなあ)、3年生以降は設計課題の提出前は徹夜したりすることも多かった。課題を提出しないと進級できない。高い学費だし、とにかくすんなり4年で卒業せねばと思っていました。

優秀な人たちがたくさんいましたが、ぼくは建築に関して、まったく目立たない学生でした。4年生のとき、たまたま建築家の中村好文さん(ムサビの建築卒)の住宅設計をメインにした課題コースが生まれて、それに応募したら入れて。住宅は面白いなあと興味が深まり、当時は個人住宅を設計する仕事ができたら良いなと思っていました。

大学時代は課題をやらないときは時間もあり、ぼくは正直なところ少し持て余した感じもあって。大学院まで行く人も結構いたように思いますが、ぼくは学校へ通うのは4年間でもう充分だと思いました。建築の場合、実務と学校の課題はまったくの別ものだし、卒業して働いた方が良いなと。

美大では卒論は無く「卒業制作」。規模の大きな設計作品に取り組む人もいましたが、ぼくは最後に3つの個人住宅の作品にしました。普通すぎてまったく評価されないのもわかっていたけれど、最後は自分が将来やりたいと思う内容の作品で、ムサビ生活を終わりにしたかったのです。

伊豆だったと思いますが、最後に建築の同級生全体で卒業旅行に行ったのは楽しかったなあと思い出します。
今思えば、自分の就職活動の方法やアプローチはイマイチだったなあと感じますが、卒業後は建築設計事務所へ行くことになりました。

YUYA instagram
https://www.instagram.com/yuya_chokkin_kirie/


4年生の住宅コースでの課題の模型


卒業式


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