“掃部勇哉”とは
皆さん初めまして。掃部 勇哉(かもん ゆうや)です。まずは自己紹介させて頂きたいと思います。
僕は今は…プロサッカー選手を夢見る『ただの』サッカー小僧です。なのでこのようなオフィシャルなサイトで僕が様々な事を語り、考えや想いを述べた所で誰かに大きく影響を与える事は難しい。逆に『何カッコつけてんねん、イキってんなあいつ、気持ち悪い』等の多くの批判を頂ける事の方が多い。これは確実に言える事で今ここで断言できます。それは文頭にも書かせて貰ったように何も成し得ていないただのプロサッカー選手を夢見るアマチュア選手だからです。
先程批判を“頂ける”と表現した事には大きな意味があります。それは、自らの意思で批判されに行っているという事。『ドMやん!気持ちわる!』こういう評価は有り難い。
僕はこういった評価をして下さる人達のおかげでそれが今を生きる活力になり、僕の中の反抗心が湧きたち、力になります。なので僕の成長スピードを上げてくれる。非常に貴重なトレーニング要素なのです。
それに、こういったオフィシャルな場で理論や考えを書いて公表する事で口だけじゃ終われなくなる、表に出した以上結果で示さなきゃいけないと自分にプレッシャーを与えられる素晴らしい場だと思ってきます。TwitterやInstagram、facebook等のSNSもそうです。公の場で大口を叩く事で弱い自分が逃げられない状況を先に作ってしまう。そうしないと自分に甘えちゃうから。こういったいくつかの動機でこのノートを始めさせてもらいました。
僕は今20歳です。5歳頃からずっとサッカーをしてきました。小学5年までは地元の街クラブで、そこから2年間奈良のクラブへ移籍しました。このクラブは特別で人工芝やナイター設備、元日本代表、Jリーガーといった経歴を持つ方達がいる環境の元親に頭を下げて大金を払ってもらい、毎日車で送り迎えをして貰って通わせてもらいました。この頃楽しいだけでやっていたサッカーに対して少しずく感情が変わっていき、本気でプロになりたいと決意しました。
中学はJの下部組織でプレー。それなりに結果も出すことができ2年時にはユースへの昇格の話も頂きました。ですが3年の時結局ユースへは上がれないと告げられました。ショックのあまり自分の中で高体連はあり得ないという強いこだわりがあった中所属先クラブの進路に凄く頭を悩ませました。そんな時出会ったのが母校である興國高校でした。ここはまるでJクラブでもなくヨーロッパの育成組織の様な雰囲気でシステムもすごかった。A〜D、1年A〜Cと多くのカテゴリーに分かれていてトレーニング内容も驚くほど特殊。部員も300越えでFC,Barcelonaのfootballを目指すような高校で凄く魅力的だった。だからここに進学する事に決意した。この3年でプロになる。そう誓って入ったがこんなに挫折を味わったのは初めてだった。3年間トップチームだったが試合にも出たり出なかったりで自分が思い描いていたfootball人生とは大きく異なった。現実を受け入れられずメンタルもボロボロでとても苦い思いをした3年間だった。
そして3年時進路を決めるとき早くも関東の大学から正式にオファーを頂いていた。ここで関東に出て大きく飛躍すると決めたつもりだった。だがインターハイで姫路獨協大学から声をかけて頂いて最初は興味どころか知りもしない大学で何度も断った。だけどそこのコーチングスタッフはナイターのリーグ戦も見に来て下さり、怪我をしていても見にきた。そして長いミーティングが終わる頃も待っていて下さっていて練習だけでもと熱を持って誘って頂いた。ジュニアの頃の恩師との繋がりもあり、関東の大学が決まっていたけどとりあえず練習だけ行く事にした。そこで感じた事は正直『レベルの低さ、自分との温度差』思い返せばネガティブな事しかなかった。帰りの車の中でも両親に『ここはほんまにないわぁ〜』とぼやいていたのを今でも鮮明に覚えている。だけど帰宅して布団でふと頭によぎった。それは『あのチームに入ったとしてもし強豪チームと対戦して自分がいいプレーしたり勝ったらどーなんねやろ〜』という事。あまりにも単純に考えすぎだしそんな上手いこと行くはずがないと思った。だけど考えれば考えるほど本気で思ってしまった。“ここで結果出して真の実力でプロへ行く。”
姫路獨協大学は興國から行った選手はかつて0人。1人もいなかった。そして監督やスタッフの繋がりもない。まさに誰も自分のことを知らない場所。唯一監督とジュニアの頃の恩師が知り合いというくらいだった。
ここなら自分の本当の力を試せる。ここで結果出して見返したい。と考えていくうち俺は本気でここでプロになりたいと思った。
そして覚悟を決めて高校の監督に『姫路獨協大に進路変更したい』と物申した時、マジでふざけんなというくらいボロクソに言われた。本気で反対された。だけど自分の意思は揺るがなかった。そして最後は自分の意思を組んでくれて監督も姫路獨協大学へ送り出してくださった。
自分で決めた選択。誰のせいにもできない自分の硬い意思で決めた進路。必ずここで結果を出す。そして批判してくださる方へいつかは“あいつやりよった”とビビらせるくらいの選手になる。
僕はこういう人間です。思った事はすぐ言うし軽く受け止められる方の方が多い。
だけどその一つ一つに自分は責任を取る覚悟だし深く掘り下げた表現がそれだと言う事。
最初にも書かせて頂いたように今の僕が何を語って考えや想いを述べたところで大きく影響を与える事は難しい。
結果を出さずに終わった時、自分が終わりと決めた時その時は“やっぱりあいつ口だけやったな”で終わるだけだしそこから何も減らないし生まれない。無だ。
だけど本当に結果を出した時、“あいつほんまにやりよった”と驚かれたビビらせるように本気で毎日闘う…
こんな僕ですが少しでも記事を読んで元気や勇気を与えられたり、悩んでいる方、苦しんでいる方がまたやるぞというスイッチのキッカケになれたらなとおもいます。
それが今まで僕に携わって頂いた全ての方々への恩返しでもあると思うので。
これから様々な記事を定期的に載せたいとおもいます。もしよろしければ読んで頂けたらありがたいです。
以上で自己紹介とさせて頂きます。
最後まで読んで下さった方ありがとうございました。
#YK40