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ラスト・サマー

 「最後の夏」

 大学の外では既にセミが鳴き始めていることに気づいた頃には、9科目もある前期末試験にどないしろ言うねん!との感情で嫌々立ち向かうことになっていた。答案のノリに一喜一憂しながら、一日だけ既修の後輩と自習室にベンチを持ちこみ惰眠を貪りながら、なんとか各科目の期末試験をこなし切った。試験が終わった翌日、天満屋屋上のビアガーデンでローの同級生たちと飲んだ一杯目のビールの美味さは忘れられない。試験が終わった週の土曜、今度は高島屋屋上のビアガーデンで吟詩部のメンバーと飲んだビールの美味さも至高だった。2024年の夏、始まる。

 ~桑組若頭・本田~

 この夏の大仕事、一つ目はHyocamであった。
 5泊にもわたる長期野営は、思い返してみれば2年前の18NSJ以来。諸般の事情によりあれから体力も精神力も劣り切った自分は、果たしてこのHyocamを乗り切れんのか?とか多少の心配をしつつ、初日のバスに乗り込み、ロクロシまでの徒歩移動と機材揚げで無事HPを切らした。
 2日目にノコギリで左親指を切って以来、丸2日くらい幻滅していた自分だが、「動くな言うとるのに、なんでそんな麻紐の割りに力注いどんねん!」と他のRSからツッコミを受けるほどキャンプクラフトへの熱は強かった、ようだ。4日目には有り合わせの材料で食器台(仮)をほぼ一人で(厳密には浅井RSらの手伝いもあって)仕上げた。永澤RSお手製のハンモックやイスにもインスパイアされ、隊サイト全体のレイアウトにもほぼ皆無な我がセンスを凝らした。結果として、自隊や他隊のスカウトに影響を与え、地区広報にもお褒めの言葉をいただけた。嬉しい。なにせ、こうやってローバーが集まり、一つの班としてサイト作りやら野営生活を行うのは最初で最後であろうが、実力の集合体でもあるわけで、非常に楽しかったキャンプであった。次の機会を伺いたいところだ。
 そんな自分の神戸2隊内での最大の業務、それは桑隊長の代理、通称「若頭」である。なんとも仰々しいネーミングであるけれども、言わば隊長と上級班長との間を取り持つ「副隊長」的な存在であるが、自分で言っててようわからん。思うに、これはRSだから許されるパワープレイであり、正式な指導者であればちょっと怪しかった。そりゃあ自分もBSの課程別研修を修了しているのだから、隊長⇔上級班長⇔班長⇔スカウト の流れは鉄則であることくらい百も承知なのだが、隊長⇔本田⇔上級班長(+偶に班長) というアウトらしからぬ立ち位置を振る舞っていたのであった。まぁ思い返せば、お隣の隊もRSが上級班長務めるパワープレイぶちかましてたので、自分の立ち位置もセーフだろ、知らんけど。
 細かい議論はさておき、実質的に隊運営の中枢として、タイムスケジュールの管理や班長への伝達、VS班への指導・助言といったことは概ね任せてもらえた。実にパワープレイ。一方で広報作業はほとんどすっぽかしていたことはこの際忘れて欲しい。隊本部の運営や後方支援を成人指導者にお任せすることで、好き放題暴れることができた。こんなパワープレイが許されるのも、今年で最後か。
 もう一つ、自分に課されたデカめの役割は、神戸地区ユース副委員長として、神戸地区のRSを取りまとめることである。石松コミからRSサイトの提案を受けて、それを白紙にする代わりに地区イベントの取りまとめをやらせろと言った手前、下手な失敗は許されなかった。神戸1隊の唯一のRSは60名近いスカウトを取りまとめる上級班長も務めているから変に圧をかけるわけにもいかないし、神戸3隊のRSはそもそも絡みないしで、どうなることやらと思いつつ、地区会議にもお呼ばれ、当日事前の軽いMTでやはり経験のあるRSの実力を結集し、ひとまずは2日目のアイスブレイク大会を成功させた。流石に営火は事前準備が必要だろうと、各隊のサイトにお邪魔したり、神戸2隊のRSに無茶振りで薪組みをお願いしたり、各隊から出てきた出し物の順番をあーでもないこーでもないとこねくり回したり、なんやかんやあって迎えた4日目夜。神戸2隊RSはみんな「火、着くか?」着かなければ本田のクビが決まる!みたいな緊張感の中、営火長をお願いした石松コミの松明が無事薪組みに引火したときには、思わず安堵の溜め息が出た。営火自体が終わった後、更に翌朝に各隊のサイトに挨拶に伺った際には、「良かったよ」「久しぶりにあんな盛り上がったスカウトの顔が見れた」「周りの本部のリーダーも感動してはったんちゃう?」などとお褒めの言葉が多数で、本当に引き受けてよかったと思うばかり。
 とはいえ、神戸2隊では長期野営お馴染みのケンカもあり、本来あってはならない金銭トラブルもあり、なぜかVS班でもケンカがあり。こんなことを経験して大人になっていくんだよなとしみじみしつつ、これからはスカウトの立場ではなく、指導者の立場としてこんな光景を見届ける必要があるんだなと、なんとも言い表しがたい心情がね。
 今回のHyocam、事前準備にはほとんど関わっておらず、ぶっつけ本番!感が強かったのだが、再来年に控える19NSJやら、その後の諸々のイベントやら、関わり方を模索しないといけないねとも思いつつ、来年は合同隊で夏野営をすることなので、ガッツリキャンプクラフト!ガッツリ、何!?早速どういう立場で関わるか考えねば。

 ~お役御免~

 夏が始まる前に受けた期末試験の結果が発表され、なんとかフル単であったことを確認したのも束の間、Hyocamの1週間後の土日には月の輪キャンプであったが、スカウトにとっても指導者にとっても完全に消化試合、って言ったら各所より怒られそうなので、あまり大きな声では言わない。とは言え、CS指導者、特に月の輪隊長の浅井RSからすれば、クマスカウトを送り出す大切なイベントであることは間違いない。
 そんな大切なイベントで自分に与えられた仕事は、・・・ない。国旗関係と計測のあの辺りを教えて、CSが「ちかいとおきて」を教わっている横で、BSにスカウトソング章の細目認定を行い、夜と朝と撤営後の点検を行い、BSのBBQに邪魔し、BVS・CSのデザート作りに邪魔し、以上。なんやカスなRSやんけ。なにせ、月の輪隊長の浅井RS、帰省中の岡本RS、本田といった「通常神戸に居ないメンバー」でキャンプを回したわけだが、後輩の2人が上手く回してくれるので、本田的には何もすることがなかったわけだ。まさに「お役御免」である。
 大串隊長が呟いていたこと、「俺的には計画書さえ団に提出してしまえば、あとはRSが上手いことやってくれるから、ラクできていいねぇ。」後輩を育てることのメリットを「自分がラクできる」ことに求めるのには、些か自分は若すぎないか!?とも思ってしまうが、やはり今回自分がラクできたのも、浅井RSや岡本RSが適切に月の輪キャンプを運営できたことにあるといえよう。それもそうだし、ここは後輩が成長してくれたことを素直に嬉しがっていいのではないだろうか。うん、誰目線だ?
 まぁ、偶にはこんなゆとりあるキャンプもいいよね、ただ次のキャンプはいつになることやら。

 ~vs風~

 月の輪キャンプに遅参する前夜、岡山にサイクリング大好きコンビが突撃してきた。バイト終わりに彼らと合流し、岡山の本田宅にて一泊。大串RSの自転車に怪しい点がありつつも、翌朝に西へ向かう彼らを見届けたのであった。
 月の輪キャンプ中も彼らの話題で持ちきりである。「LINE来た!」「ブレーキワイヤーが切れて修理!?」「快活で泊まりやんけww」などと、前途多難な彼らを彼らの親とワイワイしながら実況するのである。
 ゲホゲホしながら岡山に戻り、台風と自分の喉の様子が怪しいなと思っていた束の間、永澤RSから一本のLINE通話。「フェリー欠航したので、エスケープで車をお願いできないか。」やりやがったな、あいつら、と思いつつ、その日の翌朝にまぁまぁ面倒臭めな雨の中厚生町までチャリを漕ぎ、バネットで高速に飛び乗ったわけである。既に二輪車通行止め、四輪車時速50km制限が敷かれている瀬戸大橋も、ちょっと気を抜けばハンドルをとられてスリップ激突はいお釈迦~並の風が吹き荒れており、「命の危険を感じたイベント・オブ・ザ・イヤー」を更新するのであった。その後無事、四国中央市の川之江で彼らを拾い、岡山までピックアップし、荷物とバイクを本田宅に置いて単身陸路で神戸に帰る彼らを見送ったのであった。
 ちなみに、上進式では、永澤隊長に散々謝られた。上進式翌日に、彼らを引き連れ岡山まで鈍行旅。荷物をまとめ彼らは無事神戸まで帰ったとさ。
 岡山に神戸の人間が来るのは、本田家の家族を除いて初だったので、ちょっとだけ嬉しかったんだとさ。瀬戸大橋ドライブも実は普通に楽しかったわけで。今後、サイクリングに限らず、エスケープ要員としてどこに呼ばれるんだろうなと、少しばかりワクワクしてしまうな。まぁホントはこんなことないのが一番なんだけどね。

 ~授与表示+顕名(民法99条1項)~

 Hyocamが終わった翌日、RSを集め機材整理とお疲れ様会を執り行う。この日は小雨がパラパラ、焦げ付いた炊具をガリガリ、余ったキャベツをポイポイ、終わった後は王将でモグモグ、すずらんの湯でポカポカ、既に咳がゴホゴホ。RSの積極的な自活だね。やはり、主体性のあるスカウトを育てることが大事なのだと思う、別に自分が主体性あると言いたいわけではないよ(汗)
 上進式の前日にはRS会議。岡山からきびだんご持って直接ルームへ。この日はトークがめちゃくちゃ盛り上がって、5時間も語り明かしたようだ。夜は何気初の花山来来亭。感想は特になし。
 そして迎えた上進式、祝声の練習を自分がした後に、一番初めに精励章授与で自分が祝声を受ける意味わからん展開。知ってはいたが、まさか自分がRS精励章の審査に通るとは思ってもいなかったので、ダメもとで出していただいた大串隊長に感謝。あとは任命式、Hyocamにて「代理など要らん!」「じゃあ受けてもらおう」と団委員長と押し問答したところ、やはり年齢制限があったようで、3月までは「VS隊長代理」を名乗ることになった。隊長代理なんて言ってしまうから、スカウトにとってはピンと来てなかったようだが、まぁそれは今後の動きでなんとかしようか。
 BSからVSへは、無事3名が上進することに。進級課程の再改定により、VSの進級計画が立てやすくなったこともあり、進級に燃えている現VS二人を先頭に、是非ともVS諸君には隼や富士を狙ってほしいところだ。
 個人的には、上進式後の団会議にて、VS・RSの活動報告をしたのが、大串隊長から引き継いだ感あって感慨深かったね。

 ~残り半年を彩るために~

 上進式が無事終了した1週間後の金土日、あっさりRSを楽しんだ3日間となった。金曜の夜は、とある中学時代の旧友とラーメン→酒→カラオケ。まぁなかなかクセのある旧友であることには変わりなく、彼も彼とて変な人生を謳歌しているようだ。彼とのトークで話題となったのが、自分がVSの頃まで世話になったとある指導者の話。その指導者は団の上層と揉め、他団に移籍したところをそこでも揉め、今は彼と同じく子ども会の役員のポストに流れ着いたそうな。その指導者も一癖ある人だったので、彼とは揉めてるんかなと思いきや案の定。ちなみに、この翌日に別のOGから、その指導者が彼の悪口を言い、それを本田に伝えとけと言われたから、との連絡。もう自分、高校生じゃないんだよねぇ。
 土曜は昼からラウンド、スキルマーケットから参加するのは何気に初。16団RSが勢揃いで三枝コミに言及されたのが個人的見どころ。ユース副委員長の任期も残り半年に迫っており、村岡委員長とユース増強を約束した。10月には地区のイベントが目白押しなので、準備が必要だなぁ。夜は村岡委員長も交えて、中華→高速長田の快活。翌日にCSの菊水山登山を控えた浅井RSまで参戦したのは、もうなんかいかついね。そのまま日曜の朝になって、VSの清掃活動を視察。清掃活動後の松屋が美味くて最高だったさ。
 日曜の夜はOB会。国際会館のビアガーデンはめちゃくちゃシャレオツ空間であった。3個下のメンバーが就職を控えていて、時の流れの速さにビビった。なんだかんだ定期開催になりつつあるので、近況報告以外に真新しい話題は特になく、思い出話もそこそこ。よく会える存在のままでいいと思うんやけどね。何人か戻ってきてくれたら嬉しいな。

 ~ラスト・サマー?~

 お気付きだろうか、実はこの4週間(厳密には5週間)、毎週岡山⇔神戸を往復していることを。軽くホラーである。親からは毎度呆れられる。「いい加減あんたの部屋の片づけしてよ!」私の部屋をタマネギ倉庫にしたのはどこの誰だ?
 そんなこんなで、もう9月も中旬。昼の暑さは夏のピーク時とそんなに変わりないが、夜は幾分か過ごしやすくなっている。気にしていなかったが、もうセミもほとんど鳴いていない。大学の夏休みもあと半月、模試やガイダンスがあり、なんだかんだ大学に行く機会しかないが、それでも3連休には同回との旅行が控えてたり、終盤にはBBQが控えてたりと、まだ夏は終わらないぞ!と声を大にして言いたい。

 そんなことより、この駄文の本題である。なぜ今年の夏が「最後の夏」なのか。
 2025年3月、自分のスカウト登録が終了する。すなわち、もうスカウトではいられなくなる。自分がスカウトでいられる最後の夏、それが今年の夏だったわけだ。
 次に長期野営に参加する際には、自分は指導者、順当に行けば「VS隊長」である。今回のHyocamみたいに「若頭」のようなパワープレイなんかできるわけない。後輩RSに任せて自分はキャンプの仕事をサボるなんてできるわけない。ユース委員会に片足を突っ込んでられるのも、ましてやユース副委員長の肩書を使えるのも、今年で最後だ。来年からは団会議にも強制参加となるし、指導者関連のイベントにも必ず参加しなくてはならない立場になる。OB会の帰り道、小雨が降る中、大串RSと別れる時にちょっとだけ切なくなったのも、「最後の夏」が終わってしまいそうになったからだろうか。
 そして、来年の夏は、自分の人生を決める司法試験の在学中受験がある。いつまでもフラフラしてはいられない。できることなら一発目の試験で決めてしまいたいと願っている。そのためにも、今のうちからしっかり勉強して確実に受かりに行かなくてはならない。

 夏の終わりが近づいてくると、どうしても思い出してしまうものが二つ。フジファブリックの名曲「若者のすべて」と、東海オンエアの名作「逆田蝉丸」である。夏の終わりを彩る最高の作品たちであるが、これらは夏の後に来たる秋、冬、そして次の夏への想いを馳せたような、そんなメッセージ性を感じる。
 「若者のすべて」からワンフレーズ、これにてこの駄文を締めたいと思う。秋以降の本田に、乞うご期待。

  ―――すりむいたまま 僕はそっと歩き出して


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