「正月」

「○○さん、お迎えが来ましたよ!」

隣にいたお姉さんが私に声をかけた。お姉さんの視線の先を追うと、見知らぬ若い男女がこちらに手を振っていた。いや、知らない訳ではない。以前にどこかで会ったような記憶があるが、私にはどうも思い出せない。

「さぁ、○○さんおウチへ帰りましょうか〜」

このお姉さんは何を言っているのだろう。私の家はここのはずだ。一体自分はどこに連れて行かれるのだろうか。さっきから若い男女が早口で何かを言い合っている。何を言っているのかはちっとも聞き取れない。きっと外国語か何かで話しているのだろう。

「あけましておめでとう、○○さん。さぁ、クルマに乗っておウチへ帰るよ、みんなもう集まってるから」

若い女の方が自分の耳元で声をかけた。やっと聞き取れた。私の帰る家だと?さっきから周りは何を言っているんだ?それから、「みんな」って誰のことだ?

私の家には、たくさんの家族がいる。どの家族も私と違って、年を召した人ばかりだ。中には私と同じくらいの年齢の人もいる。今日は正月なのに、家族はみんな誰かが迎えに来て、どこかへ行ってしまった。私にも迎えが来たというのか。それで、私はどこに連れて行かれるのだろうか。思い出そうにも、この家にいるとなかなか思い出せない。

私は若い男女とお姉さんに言われるがままに、大きいクルマに載せられた。男の方が運転し、女の方が自分の隣に座って、頻りに話しかけてくる。女の方は時より何を話しているか聞き取りづらい。声は大きいのだが早口すぎるのだ。

しばらく乗っていると、小さな公園の前でクルマが停まった。

「おばあちゃん、降りるよ〜」

女の方は何を言い出すんだ。私のことをおばあちゃん呼ばわりだなんて、なんて失礼なんだ。そもそも私は… 何才だったか、自分でも思い出せない。どうも私は記憶の節々が飛んでいるようだ。大事なことがいつも思い出せない。


狭い家に押し込まれた。私の家の方がもっと心地よいし、もっと便利だ。居間のような場所にあった椅子に座らされた。この家には階段があるのか、上の階から先の男女と同じ年恰好の複数の男女が降りてきた。自分が入ってきた扉からも数人の男女が押し寄せてきた。不思議なことに、その誰もの喋る声が私には聞き取れない。外国にでも連れてこられたのだろうか。

「おばあちゃん、2階でご飯食べますよ」

別の女性が私に声をかけた。腰が重いが言われるがままに立ち上がり、狭くて急な階段を上った。声をかけてきた女性が頻りに「大丈夫ですか?」などと声をかけてくる。何が大丈夫なのか?この階段が急だから、私には上れないと思っているのか?バカにしているのか?突然私を家から引きずり出しておいて。一段よろけてしまったが、上り切れるに決まってるだろう。

2階に上がって更に狭い部屋に押し込まれた。部屋の中のちゃぶ台の上にはおせち料理が並んでいた。これはいつも食べている料理よりも美味しそうだ。広々としたイスに座らされると、私は一目散に箸を伸ばした。

どれくらい経っただろうか。目の前のおせち料理は粗方なくなっていた。どうも私はお腹いっぱいで眠っていたらしい。ちゃぶ台の周りには見慣れない男たちが取り囲んでいた。先程同様、よくわからない言語で喋っている。

私は途端に帰りたくなった。これ以上はこの奇妙な現実を受け入れられない。私は徐に立ち上がり、部屋から出ようとした。同じ部屋にいた男の一人が立ち上がり、向かいの部屋に駆け込んで行くのが見えたが、私の知ったことではない。向かいの部屋から私を迎えに来た女が出てきて、「おばあちゃん、トイレ?」などと聞いてくる。そもそも私はおばあちゃんじゃないし、トイレに行きたいわけではないし、もう帰りたいのだ。いや、やっぱりトイレには行きたくなってきた。別の男が私の腕をとってくる。何をしたいんだ?階段を下りる。寝てすぐ起きたせいか、足腰が上手く動かない。

なんとか、あの狭い部屋を脱出したが、目の前の公園でバテてしまった。最近運動をしてなかったからか。「じゃあ写真撮ろうか」私を迎えに来た男がそう言いながら何かを準備し始めた。家の中にいた男女がみんな外に出てきた。9人ほどいたようだ。周りはバタバタしていたがどうやら写真は上手く撮れたようだ。

「おばあちゃん、家に戻るよ」

女が声をかけた。やっと私の家に帰れるのかと思ったのも束の間、さっきの狭い家にまた押し込まれそうになった。あまりにしつこいので、ついに私は叫んでしまった。

「ここは私の家じゃない!」

みんな顔を見合わせて何か言い合っているようだったが、女が「じゃあ帰ろうか」と私に言い寄ってきた。男が別の女からカバンを受け取りどこかへ向かったと思えば、さっきのクルマを運転して戻ってきた。さっきの女とクルマに乗り込んだ。やっと家に帰れるのだ。私の嬉しさを察してくれたのか、周りの男女はみんな笑顔だった。

私の家に着いた。いつものお姉さんが出迎えてくれた。お姉さんは先の男女に話しかけに行ったが、気にする話ではない。また眠くなってしまった。もう一人眠るとするか。こんな温かい環境で、気にすることは何もないんだから。


「○○さん、おウチでどんな様子でしたか?」

「最初は落ち着いていたんですけどね、私が大きい声で喋らないと何も聞いてないみたいだし、コロナのせいで動かなくなったから足腰もだいぶ悪くなってるみたいだし、そもそもわたしら自分の娘と息子も、孫の顔や名前も、もはや自分の年齢も何も覚えてないみたいだし。やっぱり進むところまで進むんやろね」

「まぁでも、やっぱりこのホームでの暮らしに満足してるみたいですし、今更あの家に引き戻すのは流石に無理ですもんね。これはこれで幸せなんやったら、我々としては別にそれでもいいかなと思ってはいるんで…」


fin.

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