いきものもけものももののうち。vol.3
『あこがれがれ、俺らがモルト』
少女と呼ばれる頃、30歳と云えばもう随分大人だと思っていた。
おじさんだしおばさんだし、
1999年にわたしは死ぬんだから大人にはならずに死ぬのダワとか
思ってた時代に生きてた。(否、時代の所為ではないけど)
そもそも学生時代から先輩に憧れる感覚がわからず
同級生にしか向かないなんなら同じクラスオンリーな超狭い視野を持っていたので年上に恋をすることがなかった。
一度だけ同じ部活の女子たちと憧れの先輩を重ならずに選ぶみたいな
もうほぼごっこ的なのに付き合いで参加したことがあったけど
あれは本当に違和感しかなくて
外枠からきゃあきゃあごっこの時はまだよかったけど
気を使われて「ほら、チャンスだよ!」って話す機会を与えられたけど
嗚呼あれはただただ異生物にコワくて気持ち悪さを感じていたのだよわたしは。ごめんよ先輩。
あの頃は知らないところに居るひとに興味が沸かないし、長く居ないとよくわからないからきゅんともこないし、そもそもともだちと同じ温度できゃあきゃあするタイプでもなかった。嗚呼そうだった。
然う云えば、小学校の頃担任の先生を好きになってたともだちが本気で泣いてたのもあんまりピンときてなかった。
憧れと恋はちがったのかもしれない。
わたしにとって憧れは「なりたいもの」「なりえないないけどすきなもの」であって、其れは「=異性への恋」ではなかった。
憧れの基準値がわからんね。
対異性の憧れ。嗚呼、ファンとかも然うなるのか。
でもなりたいものではないしな、つう。
「憧れています」なんて最早「尊敬してます」レベルだし
それなら「スキです」ぐらいのライクの方が相応しいと思う。
まてよ、
「憧れています」が恋愛感情を差っ引いたものだと考えると、此の言葉を使うことによって「憧れてはいるものの個人的にどうこうは望んでません」って云うスタンスを示せるってことかな。
若しくは、まったくもって成り行きを相手に委ねている場合、ズル可愛い女子は好意を持ってても使うのかもしれない。
世間的には都合のいい此のズル可愛い女子の解釈を一般化してるのかもしれない。
そして男は「ファン=抱ける」って云う妄想を現実に抱くわけだ。
んで「ファンです」って言葉に破廉恥味を加味して云いづらく・・・
嗚呼、めんどうくさいなッ。
もういいよ「スキ」一本化で。いやいや。
日本人の奥ゆかしさが薄れゆき、なんでもかんでも注意書きが必要な世になって仕舞ったのだった。
明白なものが安全だとは限らないのに。
めんどくさがっててはいけない。
相手の気持ちがわからないから恋愛は面白いのであって(もうそんなパワーないけど)はっきりしたところでひとの気持ちなどうつろいやすいものなのだから其れだけが真実とは限らないし、明白にしなければ続くものもあるだろう。
何の話だ。
幼い頃、母に歌番組や当時のアイドルなんかが出ている番組を観て誰がすきなのか問われた答えを、のちのち延々云われて、其れがわたしのタイプであるかのようにもうすっかり自分でも何故そのひとを選んだかもわからないし本当に其のひとを選んだのか?って云う年齢になっても他言していてうんざりしたのも、こゆ思考を持つ一因かもしれない。
其れからは慎重に選んで、民生とかオザケンのポスターを貼るようになるまで女子のポスターしか貼ってなかった気がする。
あこがれ。こいこがれがれ。あこがれがれ。
山崎努さんとか藤竜也さんとかシっブいおじさんには憧れますけどね。
夏木マリさんみたいな大人になりたくて、一時は大嫌いな煙草を吸ったりしてまんま憧れ道まっしぐらになりかけましたけどもええ。
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