私のとって「人生の機転」になった2022年を振り返る

初めましての人ははじめまして、
ちーずと申す者です。

2022年は自分にとって、人生の転機と言っても過言ではないくらい濃い一年だったので、人生初の振り返りポエムでも書いてみようと思います。

noteには初投稿になりますが、
下書きには就活の記録や退職エントリーなど、公開できなかったポエムが沢山葬られていました。笑

人にお見せすることを目的にすると途中で恥ずかしくなってしまい、
お蔵入りにしちゃうので、今回は感謝を伝えたい人と自分のために書きたいと思います。

軽く自己紹介

名古屋生まれ名古屋育ちの26歳(2022年12月現在)の女性フロントエンドエンジニアです👩‍💻

今年の8月までは株式会社エイチームで働いており、
9月に転職して株式会社マネーフォワードで働いています。

早速、本題の振り返りに入っていこうと思います。

低迷期の1〜3月

1月から3月は、思い出せないくらい何もない3ヶ月間でした。
仕事でも特に大きな変化がなかったため、仕事とは一切関係のないFlutterでアプリ作って遊んでみたり、そもそも何もせずYouTubeでも見てぼーっと過ごしてたり、今思うと勿体無い3ヶ月間を過ごしていました。

というのも、昨年の12月に1人アドベントカレンダー(12月1日から25日まで毎日技術記事を投稿すること)にチャレンジしていたのですが、文章を書くことが得意ではないが、手抜きはしたくない自分にとって思った以上にハードなチャレンジでした。笑
そのチャレンジで結構身を削ってしまい、その反動で何事もやる気が出なかったです。

まいっちゃった4月

3月後半くらいから、なんとなく力が入らなかったり、さらにはめまいがするなど、身体にあまり良くない症状が出始めていました。

うつ病診断を受けた

めまいの症状が悪化し、コードを長い時間見づらくなったことをきっかけに4月に精神科で光トポグラフィーという検査を受けたところ、「重度なうつ病」という診断結果が出ました。

自分の性格上、ちょっとシリアスに考え込んでしまう部分はありますが、普段は明るく人間関係や仕事に対して大きな悩みを抱えてるつもりはなかったため、本当に驚きな診断結果でした。
結果を受け取った時に、あまりにショックを受けて病院で泣いてしまったことを今でも鮮明に覚えています。

医者からは、「真面目すぎる」「気を遣いすぎて、本音が言えない」「自己犠牲の傾向がある」と言われ、多少心当たりがあるものの診断結果を受け入れられずにいました。

そこから、お仕事をどうするか、誰に伝えるべきか、今後の人生どう向き合ってくべきかなど、沢山考えました。

まず、仕事に関しては当時の上司に打ち明けて、仕事を調整してもらいました。
過去にも部下にうつ傾向だった人がいたらしく、色々なアドバイスをいただき、ものすごく助けられました。
また、忙しい時期にもかかわらず、仕事を調整してもらい、急遽数日間のお休みをいただきました。
私の病気に真摯に向き合って温かくサポートしてくださり、本当にありがとうございました。

誰に伝えるべきかに関しては、こんな事を記事に残すのは少し恥ずかしいですが、まず最初に恋人に伝えました。
とても優しい彼は、診断後に一緒に居てくれて、たくさん話を聞いてくれました。
ありのままの自分をさらけ出すことができる存在でいてくれたからこそ、この診断結果と向き合って前に進めることが出来たと思ってます。本当にありがとうございます。

家族に伝えるかに関しては、相当悩んで伝えない判断をしました。
私の父親は身体に障害を抱えており、母親がサポートして生活しています。そのような中、自分の娘がうつ病になったと告げられたら、親の心労がさらに増えて負担になると思いました。
家族が大好きな自分にとって、負担にはなりたくないという気持ちが1番大きいかったため、心に秘めながらたまに実家に帰るようにしていました。

今後どうしていくべきかに関しては、1番考え込みました。
お仕事は好なのでやめたくないと思いましたが、医者からは無理すると悪化すると言われたので、1〜2ヶ月くらい休もうか考えました。
ただ、自分がうつ病であることが信じられなかったのもあり、まずはセカンドオピニオンに通うことにしました。
そして、もう少しお金のかかる脳の診断をしたところ、うつ病の傾向は軽度であり、「不安障害」の傾向が大きいという診断結果が出ました。
私は当時、キャリアや技術力、さらに自分自身の存在意義にまでも不安を抱えており、何か少しでも不安な要素があると過剰に反応していたため、この診断結果は納得がいくものでした。

その後、心療内科に通ったり産業医に相談してみたりしましたが、うつ病はそこまで重症ではないことがわかり(そう言い聞かせて)、仕事は休まず続けることにしました。

この経験は、自分にとって良い経験だったなと今は思います。

自分の特性や身体へな危険信号と向き合って生活ができるようになったこと。
自分に期待しすぎて過度なプレッシャーをかけないようにすること。
ポジティブに転換して物事を考えた方が前に進めること。
「自分」をちゃんと知ることができたのは、この診断結果のおかげだったと、今は少し感謝しています。

その後は、めまいや脱力などの症状はほぼなく、健康に生活することが出来ているので、うつや不安障害を多少は克服できたかな?と思っています。

大好きな先輩の退職発表

4月には、自分にとって大きな出来事がもう一つありました。
それは、自分とキャリアが近く、一緒に切磋琢磨して働いていた先輩の退職発表です。

自分のようにデザイナー職でエンジニア組織で働いていた先輩から、普段利用してるサービスのフロントエンドエンジニアになると聞いて、寂しいと思う反面、夢を叶えていく姿がとてもかっこよく見えました。
また、自分自身も今の場所に居続けるべきかをよう考えるようになりました。

光が見えた5月

うつ病疑惑の症状も落ち着き、通常に業務ができるようになった5月。
自分は環境を変えたいと強く思っていたため、社内の異動制度を用いて、フロントエンド寄りの業務ができるデザイナーチームに異動する応募していました。
そこに1通のメールが届きました。
株式会社マネーフォワードからのスカウトメールです。

転職を検討し始める

スカウトメールの内容には、過去のイベントの登壇やQiitaの記事などをみて私を知ってくださり、自分をフロントエンドエンジニアとして興味を持ってくださったことが書いてありました。

自分がうつ病になった時に「デザイナーでいる決意をしたが、本当はエンジニアになりたい」という本音に対しても色々考えていたため、
フロントエンドエンジニアとしてお声かけいただいたことが何よりも嬉しかったです。
私を見つけてくださり、本当にありがとうございます。

その後、カジュアル面談でお話しさせていただき、取り組みや拠点コンセプトなどに共感して選考を受けましたが、アルバイトからずっと働き続けていたのもあり、なかなか転職する決断できず悩んでいました。

ポッドキャスト配信を始める

このタイミングで、友人からの誘いでポッドキャストの配信をゆるく始めました。
この配信は、自分の意見や気持ちを言語化できる良いきっかけになっております。
よろしければぜひお聞きください。


とにかく考えて決断をした6月

徐々に選考も進み、決断の時が迫ってきていました。

社内の異動制度にも応募しちゃっていたため、そのようなタイミングで転職するのは会社に迷惑をかけてしまうのではないか?
マネーフォワードで本当にフロントエンドエンジニアとして働ける技術があるのか?期待を裏切ってしまうのではないだろうか?

などなど、色々と不安もあり思い詰めてしまう時もありました。
ただ、当時の仕事に不満があるわけではないが、自分にとってエンジニアとして挑戦していきたい思いが強く、多少苦しい思いをしてでも環境を変えたいと感じていました。

一人で考え込んで視野が狭くならないように、周りに相談もしました。
昔の上司や当時の上司、異動したい部署の先輩や子会社の社長など、色々な人に相談に乗ってもらいました。
周りに恵まれていることを実感し、離れたくない思いが強まっていた中、うつ病の時に支えてくれた上司に「心の中では決断できているんじゃない?」という言葉が後押しになり、転職をすることを決意しました。

お別れの7〜8月

エイチームを退職する

退職が決まってからは、お世話になった人たちとランチや飲みに行って、できる限りの感謝を伝えていきました。
アルバイト時代を含めると5、6年も働いていたため、お世話になった人が次々と思い浮かんだことを今でも覚えています。

また、私のお別れ会として大阪旅行を企画してくれる同期がいたり、「自分の部署に来て欲しかった」や「いつでも帰ってきていいからね」という温かいメッセージをもらったりと、周りに恵まれていることを実感しながら退職日を迎えました。

改めて、退職しても関わりをもっていたい人が多い環境で働いていたことを、ものすごく誇りに思いますし、新卒で入社した会社がエイチームでよかったなと今でも思います。

はじまりの9月、立ち上がりの10月

マネーフォワードで働き始める

9月1日から、マネーフォワードで働き始めました。

エンジニア職として新しい一歩を踏み出せることに、希望を抱きながら研修を数日受けて、すぐに開発に入りました。

エイチームでは同期コミュニケーションが多かったため、非同期コミュニケーションが多いことに慣れずいましたが、文化の差はそこまでなかったため、わりとすぐに環境には馴染めたかなと思います。

実務に関しても、最初はドメイン知識があまりにもなくインプットに苦しみましたが、周りのサポートが手厚かったりドキュメントが充実していたのもあり、1ヶ月の間でなんとか1人で開発を進められるようになりました。

マネーフォワードには、チームワークを大事にする文化が根付いており、少しでも躓いたらすぐに手を差し伸べてくださり、その文化があるからこそ思った以上に早く実務も自走でき、環境にも馴染めたのかなと思っています。
改めてこの場でチームメンバーに感謝をお伝えしたいと思います。

また、一緒に働くリードフロントエンドエンジニアは、インフラからフロントまで精通しており、いつもプロダクトのためになるエンジニア目線の意見を残しており、とてもかっこよく見え、すぐに自分の憧れの存在となりました。

無力さを思い知った11月、燃え盛る12月

2ヶ月間働き、自走ができるようになってきた11月。
機能開発はおおむね任せていただいて、やりがいを感じていました。

11月には、1人のデザイナーが入社、1人のフロントエンドエンジニアが異動で、チームメンバーが増えました。
この2人は、ものすごく積極的にチームに新しいことを導入しており、ジョインして早々チームの制作を加速させていて、とても感心していました。
対して、自分は受身に機能開発を進めており、チームの貢献度としては足りていないと反省しました。

周りが本当に優秀だからこそ、技術力や推進力が足りていないことは身に染みて感じていました。
ただ、少し不安に思うことがあっても、それ以上に焦らず一歩ずつでも成長していこうという前向きな気持ちが強かったです。

この11月から英語研修もはじまり、英語が苦手な自分にとって不安でいっぱいでしたが、思った以上に楽しく勉強ができています。

最後に

うつ病診断を受けたり転職したりと、波の多い一年でしたが、
何よりも周りの人に支えられて今の自分がいると実感することができました。

どの経験も、自分にとって宝物のような経験でした。
来年は、より健康に少しずつでも成長できるような一年にしていきたいです。


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