午後八時の人、認知症だった母の不思議〜*落書きnote
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母の生前。高齢になって認知症が進み、何回も同じことを繰り返す。「ふんふん」と聞いていた時、突然「おまえ口では生返事するが、目が怒っているよ」といわれドキッとしたことがある。
正常と痴呆が混在していたのである。
母の認知症が相当進んだ頃。「人格変貌」という不思議な出来事に遭遇した。
普段は穏やかで、やさしく、ぼけていても何かにつけ「ありがとう」という母だった。だが午後八時ごろから人格が変わった。
信じられないような汚い言葉を使ったり、痰を平気で床にはき、同居している長男の私に「どちら様?」と真顔で尋ねてくるのだ。
母は一時、老人保健施設に入っていて、その時刻になると、就寝の仕度に入るため、スタッフが巡回してくるらしく、在宅介護をするようになっても、私を息子ではなく、老健のスタッフと思い込んでいたふしがある。
かかりつけの医師に聞いても、「そういうケースはよく聞くよ」と言うだけで、なぜそうなるのかわからないという。
しばらくすると異常な言動は、私や妹など家族に向けられるらしいことがわかってきた。なぜ、人格が変わるのか。そこが不可解だった。
しかし翌朝になると元の穏やかな母に戻っている。
私たち家族は、母を「午後八時のヒト」と呼ぶようになった。
人間の脳には短期記憶の海馬、長期記憶の側頭葉があるらしいが、それをもってしてもわからないという。
母は生前、息子の私に「あのう、あなたはどちらさまでした?前にお目にかかったことがあるような気がするのですが」と時々言った。こちらが「はあ?」と困惑したことがたびたびある。
いろんな介護ブログを読んでも、同じような書き込みが多い。
ケアマネージャーに聞くと、不思議なことに認知症の人は、一番身近な人、愛情を持っている人から順に忘れるのだそうだ。そういう病気だと思うほかない。
「お金より何より大事ちり紙が」という「介護川柳」。介護は心身ともに想像を絶するエネルギーが要る。だから川柳という笑いの力を借りてそれを乗り越えようとする人々が非常に多い。
この川柳を読んで、母を思い出した。彼女もハンドバックにちり紙をいっぱい詰め込んで大切?にしていた。そのくせ、現金や入れ歯、補聴器はどういうわけか無くなっていた。
専門家に聞いても、この不思議な行動を意味づけることができる人はいなかった。母は天寿をまっとうして九十七歳で亡くなったが、今となっては懐かしい思い出になっている。
さて、あすは晴れるのか?曇るのか?
*フォト ▽小野小町袖架けの塀(玉津島神社=和歌山市和歌浦)
*俳句巡礼 爽かや寝顔に笑顔別に在り(池内 友次郎)
季語は「爽やか」で秋。赤子が無心に眠っている。夢でも見ているのか、笑っているようだ。見ているだけでも心が洗われるように爽やか。
【池内友次郎=いけのうち・ともじろう】は東京生まれ、音楽家、高浜虚子の次男、俳人としては父の主宰する俳句文芸誌「ホトトギス」にも参加していた、1906年(明治39年)~1991年(平成3年)
【俳句手控え】水原秋桜子(1892年〜1981年)は伝統俳句の作法として ①無季句を詠まない②季重なりを避ける③字余りを詠まない④感動を誇張しないーなどをあげている。
だがこれは秋桜子の私見であり異論もある。特に無季句、自由律句については様々な意見があり、未だに論争が続いている。