行動こそが本質

〈2023年6月に私の教室の会員向けに書いたコラムです。内容はあくまでも私個人の考え方です。〉

いよいよ6月となりました。ずっとずっとご案内し続けてきた「関西地区心身統一合氣道体技発表会」、開催となります。これを書いている時点では、開催前です。今年は私の教室から総勢25名の皆さんがご参加いただけることになりました。本当にありがとうございます!!

いつも言っていることですが、合氣道には試合がありません。ですので、どうしても自分の(こども達の)上達度合い、成長度合いが分かりにくいです。そして、稽古をしていく上でのモチベーションとなるものも、昇級・昇段以外に見出しにくくなりがちです。そんな中、たくさんの道場教室から参加者が集まり、そのご家族なども見られるところで演武を披露できるという、この体技発表会はとても有意義な機会です。大会の性質上、「入賞」できる人とできない人が出てきますが、そんなことは副産物です。一つの目標を立てて、それに向けて継続して努力する、その経緯においてたくさんの学びがあります。「参加するだけで金メダル」、こども達にはそうお伝えしております。(実際に金メダルをプレゼントしています)今回ご参加されない方々、来年は是非、出場を目指していきましょう。

これまで蚊帳の外感があった大人の皆さん、来年は大人の方、特に初心者でも出場しやすくなるプランが実現できる見込みです。来年は、桁違いにたくさんの皆さんにご参加いただけることと信じています。お祭りに参加してください。みる阿呆よりも、踊る阿呆になりましょう!

前置きに想いが強すぎて長くなりました。本題に入ります。最近よくご指導をいただいているテーマについて、私なりの解釈で皆様に共有させていただきます。

この話は以前、もう退会してしまった小学生の子にお伝えしました。その子は長く稽古を続けていて、とっても良い子でみんなの人気者でした。明るくて声も大きく、教室の中でとても目立つ存在、いわゆるムードメーカーです。そんな子でしたが、一つ問題がありました。それは、稽古開始時間に間に合うことがほとんどなく、遅刻が当たり前になっていることでした。他の習い事や宿題など、いろいろ忙しいのだろうな、家もそんなに近くないから大変なのだろうな、と長くそのことは見過ごしてきました。しかし、あまりに頻繁なので毎回事情を聞くことにすると、「遊んでいて忘れていた」とか、「寝てしまった」とか、「話していて気づいたら時間が来ていた」などなど。そんなにきちんとした事情はありませんでした。その都度注意するようにしましたが、改善する兆しが見られなかったので、二人になった時に腰を据えてお話ししました。

それは、遅刻をする、という行動の意味は何なのか、ということです。話していると、その子には悪気はないように感じました。その時その時の遅刻の理由が、取り繕って嘘をつくような内容ではありませんでしたし、そういう雰囲氣も発していませんでした。ですが、稽古の開始時間に来られるにも関わらず、忘れてしまった、うっかりしてしまった、というように、結果的に遅刻をしてしまっているのが事実であり、その子の行動です。その行動には、「合氣道の稽古を大事に思っていない」という意味が表れています。皆さんはどうお感じになるでしょうか?
その子にそう言うと、最初はそれを否定しました。確かに、その子にとって合氣道は、どの習い事よりも長く続けているものだそうです。稽古に後ろ向きに取り組んでいるわけではなく、何だかんだ言いつつも、きちんと稽古して楽しそうにしていました。友達とも仲は良かったです。なので、「大事に思っていない」という言葉を否定する、その子の思いは嘘ではないのでしょう。

「そんなつもりではなかった」、「悪気はなかった」、「そこまで考えていなかった」、その思考自体には嘘はない。ですが、実際に現れている行動としてあるのは、「毎回のように稽古に遅刻してくる」という事実です。例えば、学校の授業には、毎日遅刻して行っているのか?塾や他の習い事の時はどうなのか?それらには遅れていないのだとしたら、それはなぜなのか?そんなことを、その子と話していきました。こうやって文字にするととても厳しく詰めている印象かもしれませんが、きちんと考えて欲しいので、怖がらせたり威圧したりということのないように、静かにゆっくりと話しました。

もし、学校や他の習い事には遅刻しない理由が、「怒られるから」「怖いから」「先生が厳しいから」などだとしたら、その子のこれからの人生はどうなるでしょうか。怒る人、怖い人、厳しい人の言うことだけはよく聴いて、優しい人、寛大な人に対しては、礼を欠いた行動をとる。そういうことが常態化してしまうと、その子の将来は、怒る人、厳しい人だけの言うことを聴く、というように、他人に流されてしか生きられない大人になってしまうのではないでしょうか?優しい人や寛大な人は、その子から離れていってしまうことでしょう。周りに残って、自分を評価する人間は、威圧系の人ばかりとなってしまいます。そんな人生を望んでいるのでしょうか?

結果的には、この話をしてからは、その子は無駄な遅刻をしないようになりました。とはいえ、その後学校の事情で退会してしまったのですが。。。

「心が身体を動かす」

行動は総て、その人の心の現れです。しかし、今回の話のようなケース、この子だけの問題ではなく、我々大人でもついつい色々な場面でしてしまっていることではないでしょうか。この子のように、我々もつい「いや、そんなつもりではなかったんです」「悪気はなかったんです」という言い訳をしてしまっていませんか?私にもいっぱい心当たりがあります。感謝しています、と言いつつ疎遠になってしまっている人とか。御礼申し上げます、と言いつつ、言葉ひとつで何の行動も起こしていないとか。やる氣があります、と言いながら、日々の生活に流されていつの間にか意識から消えてしまっていることとか。。。私自身が、この子に伝えた話が自分の心にグサグサと刺さってしまい、傷だらけになりそうです。

行動に現れていることこそが、その人の本質である。このことを頭に置いて、日々の行動を見つめていかなければならない、そう「思って」います。。。思っているだけでは、口先だけですね。行動を見られて、少しでも恥ずかしくない人間でありたいです。

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