継続の価値
※2024年5月に、私の教室の会員向けに書いたコラムです。内容はあくまでも私個人の意見です。
「継続の価値」
先月は不覚にも発熱に倒れて、1日仕事に穴をあけてしまいました。関係者の方々には大変ご迷惑をおかけしまし て、申し訳ございませんでした。少し前から喉の調子が悪く、「黄砂の影響かな?」なんて言いながら騙し騙し仕事を 続けていたら、ある朝突然の発熱。よく考えると、それまで4月は1日も休みがありませんでした。楽しいことを仕事 にしているので、へっちゃらだと思っていたのですが、身体は少し前からSOSを発していたようです。身体の声を聴く ことが出来ていませんでした。反省します。そんなわけで、お休みの取り方を考えなきゃ、と思っている今日この頃で す。GW連休、皆さんも身体の声を聴きつつ、ご無理のないようにお過ごしくださいね。
さて5月のコラムですが、奇しくもまたしても「氣の学習の五原則」にあるテーマとなりました。これ、全く意図していな いのですが、これを書こう!と思いついたことが、たまたま「継続」に関するお話でした。そんなわけで、3ヶ月連続で すが、あらためて「氣の学習の五原則」です。
【氣の学習の五原則】
一、素直であること
二、飽きずに続ける
三、日常の工夫
四、潜在意識を変える
五、指導者たる心がけ
いつも私はVoicyという音声アプリを聴きながら、朝のルーティーンの身体のケアを行っています。Voicyを聴き出し たきっかけは、西野亮廣さん(漫才コンビ:キングコング)の毎日の配信を聴くことからでした。西野さんは、芸人なの にテレビに出ることに主軸を置くことをやめ、絵本を書き、それを映画にし、更に今はそれをミュージカルにしてブ ロードウェイに挑戦している、という、とても変わった経歴の持ち主で、抜群に頭が良くて発想が面白いので、毎朝勉 強させてもらっています。西野さんは何事にも取り組むのが早く、世間に認知される前に色々なサービスなどを利用 するので、それを叩かれて炎上していました。クラウドファンディング、オンラインサロン、NFT、生成AIなどを活用し て、エンタメで世界を獲ろうと海外でも作品を評価されています。そんな彼が、AIが普及していくこれからの世の中 で、何が価値が出てくるのか?そんな話をよくしています。
生成AIが、これまで人間独自の創造性に頼っていた分野のうち、かなりの部分を代替できてしまうそうです。確か に、AIで作られたイラストや実写に見えるような画像、動画、音楽、文章(脚本)も、どれも凄いクオリティになってい ますよね。そうした、機械化可能な部分については、余程のものでなければ、クオリティでは勝負できなくなります。 人間の手を動かして行うことには、人手と労力と時間の制約がありますが、AIはそれらをほとんど無視して制作して しまうからです。だからどうしようもない、と嘆いても何も始まりませんので、そういう環境下で、AIには作りえない価値は何なのか?、そんな話を西野さんの発信から考えていました。
AIでは生成できないもの。。。皆さんならどんなことが思いつきますか?西野さんが言われていたのは、「土地」「時 間(歴史)」「思い出」「癒着(人間関係)」などでした。私たちが行なっている、合氣道や氣圧など、肉体的な接触によ る感覚を伴うものも、これらの一つにカウント出来るのかもしれませんね。未来の技術の進歩によってはどうなるか 分からない部分もありますが。。
ここで、この「時間(歴史)」について考えたことから、タイトルの「継続」のことを思いついたというわけです。 あらためて、極々当たり前のことを言いますが、時間はお金で買うことの出来ない、恐らく最も価値のあるものでは ないでしょうか。我々は生きている生命であり、そうである以上、必ず「死」という生命の終わりを迎えます。なので、 生命の時間については、絶対に誰にでも制限があります。 何か時間をかけて行う作業を、お金を払って人にやってもらう、そういう形で「時間を買う」ということは、確かに可能 です。しかし、何かに取り組んで自らの糧にするために必要な時間、というのは、購入することは出来ません。つま り、学びを継続すること、というのは、お金では代替出来ない価値を獲得することだ、ということです。 考えてみたら当たり前のことなのですが、こうして改めて整理してみると、「継続」というのは凄い価値のあることだと 感じます。
そして、「継続は力なり」と言いますね。時間をかける、反復する、というのは、一見すると非効率的であり、昔のスポ 根の世界の「努力と根性」だけの前時代的な価値のように思えます。しかし一方で、積み重ねてしまえば、それは誰 にも奪うことの出来ない、真似することの出来ない、大きな価値である、というのも歴然とした事実です。私の合氣道 歴は、もうすぐ20年になります。正直、この世界の住人である先輩方は、30年・40年という方がザラなので、まだ まだヒヨッコなのですが、しかし、恐らく他のスポーツなどで20年以上一つのことを継続している、という人はあまり いないのではないでしょうか。長年やることで、楽しみや面白さ、奥深さが感じられるものだからこそ、皆さん長い年 月をかけて学んでこられているのだと思います。単に「やり方」「ノウハウ」を学ぶものであるならば、継続の必要は なく、適当な水準まで技術を学んだら、それで用済みです。あまり具体的な例を挙げると不満を抱く方もおられるの で避けますが、敢えて言うと、水泳などはそれに近いかもしれません。(少なくとも私がこどもの頃はそういう認識で 習っていました。)「泳ぐ」というスキルが得られたら、それで十分、という人が多いのではないでしょうか。もちろん、 それを競技レベルで高めていき、その修練を通じて人間性を高めたり人生の柱として構築するような人もいるとは思 います。念のため。
私は、学びを積み重ねて継続した時間というのは、人として生きるための柱となり軸となり、そして「自信」を形成するものではないかと感じています。私にとって、こどもの頃は剣道がこれにあたりました。小中高と12年間一つの武 道を継続した、という事実は、とても大きな、自分を支える柱になっている。就職活動で自己分析をした時に、改めて とても強く実感したことでした。今は心身統一合氣道が、大人になってからの自分を支えてくれているのを実感して います。そして、そういう柱があることの安定感、安心感を、たくさんの方々に知っていただきたいと思って、日々の 活動をしております。
氣の学習の五原則にあるように、「飽きずに続ける」ことで、とても広く大きな範囲が見えてくるようになります。学び の入り口の段階で、その奥行きを見ることも想像することも出来ずに、道を離れていってしまう人がいることは、とて も悲しく、とても勿体ないと、いつも感じています。それを感じさせてあげることの出来ない、指導者の力不足だとは 思いますが、「続けてみなければ分からない」というのも事実なんですよね。 ただ続けているだけ、そんな風に感じることがあっても、人は必ず成長しています。時間をかけて浴び続けた言葉や 情報、身体感覚などは、必ずその人の中に入っています。そのことが、お金では買えない、誰にも奪うことの出来な い「財産」です。
なので、メインメッセージとしては、まあ要するに、心身統一合氣道は続けましょうね、と言いたいわけです。少しでも 共感してくださる方がいれば、嬉しいです。