サイン(お知らせ)として捉える
※この記事は2022年2月に、私の教室の会員の皆様へ向けて書いたコラムです。
「サイン(お知らせ)として捉える」
2月に入り、気温は低いのですが、寒さが少し優しく感じる氣がするのは私だけでしょうか?暦の上ではもう春です。新年度の行事に向けた動きもどんどん始まっています。氣持ちはもう春を迎えて暖かくなっている、つもりで風邪などひかないように過ごしたいものです。(うかつに風邪もひけない世の中になりました。。。)
さて今月のコラムは、私が良いと思っていて日常行っている心の使い方についてお伝えします。これが正しい、ではなく、こうしていると氣楽だよね、病まないよね、というお話です。私は「シンプル」「楽」「氣持ちいい」が好きなので、私がお勧めすることは、基本的にそういう方向に向かった内容となっております。
●物事は捉え方次第である
私が社会人になった頃(なんと27年前!)は、メンタルヘルスとか心療内科とかはあまりメジャーな言葉になっておらず、心を病むということがそれほど身近には感じられていなかったような記憶です。現在と同じ、というより、今よりも労基法などの運用がもっともっと甘くて、サービス残業もいっぱいで持ち帰り仕事も山のようにありましたが、今ほど病む人が多くはなかったはずです。(いることはいました)現代社会は、コロナ下に入るよりもっと前から、メンタルヘルスケアの必要性が叫ばれ、実際に身近で病んでいる人に接することも多くなっている感じがしますよね。私自身、銀行員時代に病みそうになった経験もあります。同僚などで、通院・投薬を受けている人もいました。
心が病みそうになっている時には、色々な言い方が出来ますが、一つ挙げると「選択肢がない(少ない)」という感覚が強かったように感じます。問題となる事象に心が囚われた状態になり、視野が狭くなっているため、どうすれば良いか、という選択肢が狭まってしまっているのです。「心が自在に使えない」状態ですね。そうなると心が追い込まれていき、何をしてもダメと思い込んでしまいます。絶望して最悪の選択をする人も、そういう心理状態だからこそでしょう。
しかしどんな事象でも、物事には多面性があり、こういう見方があれば、ああいう見方もあるもの。マイナスな側面ばかりではなく、捉え方次第ではプラスの側面もあるものです。よく聞く話では、発明王のエジソンは、一つの発明の裏には何千何万の失敗事例があったはずですが、それら全てが「この方法ではダメだということが分かった」とプラスに捉えていたそうです。負け惜しみと言われようと何であろうと、自分でそう考え、先に向かって歩みを進めるのならば、確かにそれは失敗(マイナスなこと)ではないと言えますね。そして、そういう捉え方をしている以上は、心がマイナスに囚われることはなく、成功に向かって次の一歩を進めるだけなので、全ては成功への「過程」の一つに過ぎないのです。失敗なんてない、そう言っても間違いではないと言えるでしょう。
エジソンは実際に成功したからそんなことが言えるのだ、と言う人もいるかもしれません。しかし大切なのは、実験の失敗というマイナスな(と感じられる)事象が起こった時、エジソン自身もまだ「成功」に辿り着けるかどうかは分からなかったはずだ、ということです。だからこそ病まずに続けていき、遂にはそれが成就したわけですよね。
物事の多面性を知るためには、大局をみる、とか、俯瞰してみる、という視点が必要になります。それが出来るのが「氣が出ている」という状態です。「氣が出ている」時は、広く周囲をみて感じ取ることが出来、部分に囚われず全体で考えることが出来ます。「今だけ」「ここだけ」「自分だけ」という狭い考え方を脱することが「氣が出ている」時には出来るのです。心を停止状態にせず、落ち着いて冷静さを保つことが出来る時でもあります。
こうして多面性があることに氣付けたら、あとはどの側面を見ることを自分が選択するか、です。プラスの側面を見ることが出来れば、希望を捨てずにその道を未来へ向かい進み続けることが出来るでしょう。マイナスの側面を見ることを選択すれば、その道は険しくなり、継続するのではなく断念することへ向かうでしょう。どちらが良いかは、その時その時で異なります。仮にマイナス面に光を当ててその道をやめる決断をしたとして、その決断が正しかったと思える時もあるでしょうし、その場の感情に囚われて選択したことを後悔することもあるでしょう。
ですから、多面性を知る客観性を持つことが出来たら、次はその選択を「何が正しいかが分かる心(=霊性心)」に基づいて出来ているか、自分の心を見つめ直してみることが大切です。どう捉えるかの選択肢は、自分にしか持つことが出来ないのですから、その自分を信用出来る状態で物事を決断するべきなのだろうと思います。
●なぜ問題が起こるのか
日常を振り返ってみると、何か問題が起こった時にも、この「捉え方」が発動していますよね。その時の自分の心理状態を観察してみるのは、その問題に振り回されないようにするためにすごく役立ちます。その起こった問題の、どの側面を自分は見つめているのか?その原因がどこにあったと思っているか?プラスの側面を見い出すことが出来ているのか?そんな視点で、自分の心を観察してみてください。人によるのかもしれませんが、結構な確率で「嫌なヤツ」に成り下がっている自分に出会うのではないでしょうか。(笑)
問題のマイナス面を捉えて、その原因を、「自分はちゃんとしているのに、ダメなアイツがやらかした。」「自分は注意したのに、やっぱりアイツが失敗した。」「何でアイツはいつもこうなんだ。」等々。。。とりあえず、相手(自分以外の何か)のせいで問題が発生したことになっていたりします。しかし、この捉え方をしている限りは、問題はただの悩みの種に過ぎず、解決方法もあまり生産的なものにはなりません。ミスをしたアイツが悪いので、ペナルティを課したり、「お前が変われ」と命令するだけ。その時の状況や環境のせいにするだけ。
しかしそこで、問題の捉え方を多面的にすることで、エジソンのように考えることが出来れば、その問題によって人や組織が成長していくことが出来るようになります。
問題はなぜ起こったのか?それは、それまでのシステム(仕組み)が上手くいっていないことを知らせるサインであるはずです。
工場のラインで不良品が発生した時は、そのシステム全体のどこかに問題がある時です。それが、ラインに入っている「誰か」のミスによるものだったとしても、「なぜそのミスが起こるのか?」と、ラインの流れ全体に目を向けて原因を探ります。それによりシステムは改善されて、さらに迅速に、さらにミスが起こらずに生産活動が出来るようになります。
我々の日常に起こるさまざまな問題にも、この視点は必要です。問題を特定の個人の人格や能力の問題と決めつけても、他人を変えることは出来ません。相手が変わらない以上、原因が変わらないことになり、その問題の解決は相手次第ということになります。自分にはコントロール不可能になった、ということです。しかし、誰かのせいにするのでなく、もう一つ掘り下げて問題が起こった原因や背景を探っていくことで、どこかに自分のコントロール可能な部分が見つかります。つまり、自分の中にある原因です。これなら、自分が対処可能となります。
このように自分に対処可能なところに問題の原因を見出すことは、自分を否定することではありません。解決に前向きに取り組むために、対処可能な原因を探しているだけであり、そうするから、「問題」が「悩み」に発展することがなくなるのです。
合氣道をしている方は、技の稽古を思い出してください。自分が投げようとして、相手が動かないのは、相手の受けが悪いせい。そう捉えてしまったら、相手の人に変わってもらわなければ投げることが出来ません。そんなの「八百長」ですよね。「ちゃんと私について来てください」と相手に言い聞かせて投げるなんて、合氣道ではありません。自分が力を抜いたり、心のぶつかりをなくしたりすることで、相手との関係が変わり、自由に動けるところから動くことで相手との関係が変わり、五原則に則って相手を導くことが出来るものです。
●天地自然に心があることを知る
こう考えると、どんな問題も意味があって起こることだと言えます。そして、その問題を起こして、自分にサインを出してくれている「何か」の存在に思いが至るのではないでしょうか。
皆さんの人生を振り返ってみた時に、とても不思議なご縁ってありませんか?あそこであの人に出会っていなければ、今の人生はなかった、というような。究極的に考えれば、親との出会いまで遡ると分かりやすいですが、全ての出会いはとてもとても不思議なご縁だと言えます。それを采配しているのは、一体誰なのか?
人体というものも、不思議のかたまりです。なぜ夜眠くなって眠り、朝目覚めるのか。お腹が空いて食べ、消化され排泄されて、血肉が作られる。意識しなくても呼吸や心拍が生命を維持し続けてくれている。赤ちゃんがいつの間にか寝返り、ハイハイ、つかまり立ちして、歩き出す。などなど。全て「これ、誰がやってるの?」という不思議な仕組みに満ちています。
身体に起こる問題である、病や症状のすべても、私はサイン(お知らせ)だと考えています。今月発売の藤平会長の新刊「広岡達朗 人生の答え」(藤平信一著)の中で、広岡達朗氏も言われていますが、「怪我は間違った身体の使い方を教えてくれるサイン。病気は間違った生活習慣を教えてくれるサイン。」なのです。ですから、医者にかかって薬や手術で身体に現れるサインだけを取り除いたところで、「健康」になどなれません。そのサインの意味を知り、原因を自分で対処してこそ、はじめて健康に戻れるのでしょう。
こうしたすべてのお知らせをくれている源を「天地自然の心」であるとし、それを「宇宙霊」「霊性心」と呼んでいます。我々人間が、最高に元氣で幸せに楽しく暮らすためには、この天地自然の心を知り、それと一体となって任せ切って生きていくこと、というのが心身統一合氣道の教えの中枢の部分にはあります。
何か問題が起こった時に、それが天地自然の心により、自分へのお知らせでありサインとして起こっている、そう捉えた時、我々は前向きにその問題に真剣に向き合って対処し、解決することが出来ます。天地自然より与えられ、生かされているのが我々の生命です。そう考えるならば、その天地自然より与えられた問題や課題の全ては、我々をより成長させるため、改善して本来の姿に戻すために起こっている、と思うことが出来ます。
すべてを「天地自然からのお知らせ(サイン)」と捉えて、日々の問題に取り組んでみてはいかがでしょうか。
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