AIになくて人間にあるもの

〈この記事は2023年3月に私の教室の会員さん向けに書いたコラムです。内容はあくまでも私個人の意見です。〉

「AIになくて人間にあるもの」

暖かさを感じる日が多くなってきましたね。寒い冬が終わるのが、以前より嬉しく感じるようになっています。年齢によるものなのでしょうか?または新年度が新たな希望に満ちているからなのでしょうか?2023年度も、楽しみな展開がいろいろ待っています。しっかりと道を切り拓いて、皆さんと共に楽しく歩んで行きたいと感じている今日この頃です。

さて今月は、珍しく、最近巷でも話題になっているテーマを採り上げてみたいと思います。「AI(エーアイ:人工知能)」です。(愛ではなく)
かなり前から、将棋界などでAIの凄さについては話題になっていましたね。私自身の身近なことでAIの優秀さを実感したのは、Google翻訳を利用した時でしょうか。2019年11月、ロシアから心身統一合氣道の道友たちが来日して、しばらく大阪に滞在しました。その頃からの会員さんは、豊中の武道館で一緒に稽古会に参加した方もいます。あの時、ロシアの方と食事に行く機会がありました。彼らは基本的に英語は分からず、筆談も出来ません。(ロシア語は読むことも出来ない…)そんな状況で、スマホにダウンロードしたGoogle翻訳を活用して、何とかコミュニケーションが取れました。シンプルに「すげー」と感動しました。

AIの進化はそれからどんどん進んでおり、最近は画像や動画の生成、作詞作曲、文章作成などなど、どんどん出来ることが増えています。2025年には人間の能力に追いつくのだとか…。ついつい、映画「ターミネーター」を思い出し、人間が支配される日が来るのかな、などと考えてしまいますね。
事務的な仕事や単純作業などから、どんどんAI化・ロボット化が進み、これから多くの仕事が人間の手を離れていき、働き手がいらなくなっていく、などとも言われてきました。この文脈では、企画やデザインのようなクリエイティブな仕事は、AIでは代替出来ない、人間にしか出来ない仕事と思われていました。
しかし、ミッドジャーニーやチャットGPTの登場により、人間にしか出来ないと思っていた「生み出す」(創造)という作業までもが、AIに全く敵わない、ということが分かってきました。この2つ、ちょっといじってみましたが、本当に凄いです!

この、デザインやイラスト、企画出し、作詞作曲などの「創造」においてもAIが優れている、という事実は、非常に興味深いと思っております。こうしたものは、0から1を創り出すものだから、AIでは難しいと思われていたわけですが、今ではなぜAIが優れているのかというと、ネット上に存在する情報量があまりにも多いからです。それこそ人間の脳内の情報量をはるかに上回るほどに。。。 人間の創造と思われているもの、例えば服などのデザインというものも、過去に見聞きしてきた膨大な情報を背景として、その中から抽出されて出来たものだそうです。「いや、これは何も元ネタなどない、完全なオリジナルだ!」と本人は思っているわけですが、知らないうちに、過去に見聞きした「何か」の影響を受けている。「潜在意識」に知らないうちに入っているわけですね。そう言われてみれば、過去に盗作騒動があった時にも、「真似してはいないが、知らないうちに影響を受けていた」などという論法は耳にしたことがあります。悪気はなくても盗作になってしまう、というのは、「きっとあり得るだろうな」と思えます。むしろ、すべての情報から何も影響を受けずに、完全に0→1を創造することなど、本当に出来るのだろうか?とも思えてしまいますよね。

そう考えると、AIが発展すればするほど、人間に任せるよりも優れた結果が出せることは増え続けていくわけで、人間が社会的な存在価値を見出すためには、AIには出来ないことは何か?、ということに目を向けざるを得なくなってきそうです。AIに出来なくて、人間に出来ることは何なのか?

この問いを、チャットGPTに投げかけてみました。10個挙げてください、と言って答えが出てきましたが、その中で目をひかれたものを紹介します。

●感情や心情の理解・共感 ●人間らしい表情や身振りの表現 

この2つは、人間らしいコミュニケーションの力と言えるでしょう。感情を表すこと、それだけでなく、相手の感情を察知して、それに柔軟に対応できること。これはどれだけAIが発展しても、かなり難しそうですよね。そもそも人間にとっても難しいことであったりします。しかしこれはとても大切なことですよね。例えば、演劇やドラマ・映画といったエンターテインメントの世界。物語を観て感動するというのは、演者の感情表現によるところが大きいと思います。スマホの音声対応のような話し方の役者や声優では、感動出来そうにはありません。日常のコミュニケーションにおいても、話す「言語」の意味だけで伝えているわけではなく、そこに表れる感情を、例えば声のトーンやボリューム、顔の表情や身振り手振りによって感じ取っているところは、とても大きいです。だからこそ、我々は人と接する中で、ただの「言語」を文字情報のように判断するのではなく、しっかり氣を出して相手に心を向けて、「相手の心を知る」(心身統一合氣道の五原則の2番目)ことが重要なのでしょう。「氣」を感じ取ることも、AIになかなか出来なそうなことです。

またこの2つには、調子の悪い人に手で触れて元氣づけることや、不安に陥っている人を落ち着かせるように背中をさする、などといった「手当て」のような要素も含まれるでしょう。泣き叫ぶ赤ちゃんを抱っこして安心させて、穏やかにする。そんないわゆる「スキンシップ」の要素も、AIに再現させるのは相当な至難の業だと思えます。心身統一合氣道・氣圧法において大事な要素である「やわらかさ」を追求すること、これも人間にしか出来ない何かにつながることと言えるのではないでしょうか。

●直感的な判断力 ●道徳的・倫理的な判断

この2つに関しては、「心身統一」の意義が大いに関係しているように思います。どちらも、我々が「心身統一」を求め続ける大きな動機の一つである、「霊性心の発露」と関係したものだからです。私は「直感」とは、天地と一体である時に与えられる、人間本来の根源的な智恵につながる「天地の声」であると考えています。経験知識から割り出される「思考」から発するものが論理的判断です。その論理を超えて、どうしてもこうだと思えることが「直感」です。これはAIには、一生備わることのない能力だと言えるのではないでしょうか。
「道徳的・倫理的な判断」というのも、もちろん学んで教えることも出来るものですが、本来、我々人間には備わっている「良心」というものがあります。これに照らして正しいことをするのが「道徳的」であり「倫理的」である、というべきではないかを思います。しかし論理の世界で考えると、この道徳や倫理というものは、簡単に歪められてしまいがちなのではないでしょうか。例えば時代によっては、身分による差別があり、それに則った言動をすることこそが「道徳的・倫理的」であったわけです。これらは、我々の心根の部分で感じてみれば、「おかしい」と思えることですよね。AIに、この道徳や倫理を委ねることになってしまうと、その元とする情報いかんによっては、「差別OK」となりかねないわけです。

こうしたことから、心身統一を深めて霊性心を発露すること、そのことを信念として育て、それに則って事を判断する力を養うことによって、決してAIによって代替されることのない、人間本来の姿で社会的役割を担っていくことが出来るのではないでしょうか。私はこうしたことを、こども達はもちろん、大人の方達にも、お伝えしていきたいと考えています。

今回、AIに代替されない人間性の発揮が、社会的な存在価値を見出すことに繋がる、ということで書いてきましたが、もちろん、そうでなくても我々人間には、生まれながらにして価値があり、存在している意義がある、というのが私の考えです。

誦句集「二、我が人生の存在価値」
我が生命は天地の氣より生じたのである。草木動物としてではなく、万物の霊長としてこの世に生を受けたことを感謝しよう。
天地の生成発展の大経綸に参画し、我が使命を完遂することを誓おう。

万物の霊長としてこの世に生を受けたこと、それ自体に必ず意味があり、それだけで価値もあると思っています。その事を理解し、天地の生成発展の中で使命を果たそうと、日々生きていること。それ自体に価値があるのは疑いようのない事実である、というのが私の読み方です。その前提のもとで、「使命を果たす」ということを実感しやすい「社会的価値」に焦点を絞って、今回は書きました。経済活動において付加価値を生み出さなければ存在価値がない、などという考えは毛頭ありませんので、誤解のないように書き添えておきます。
これから到来する、我々が経験したことのない未来において、心身統一合氣道が果たす役割は何なのか? そんな事を考えてみました。皆さんの身の周りのことについても、改めて考えてみてはいかがでしょうか。

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