人生の柱(軸)を築く

※この記事は2022年1月に、私の教室の会員の皆さんに向けて書いたコラムです。
私の記事はすべて、私個人の見解や意見です。

令和4年(2022年)最初の悠悠合氣道通信です。改めまして、皆さま昨年一年間は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。今年も心身統一合氣道の氣の教えを、更に深く広く普及する活動を全身全霊をかけて行なってまいります。その為の精進を怠らずに重ねてまいります。

さて新年初通信にあたり、改めてこの通信を始めた経緯を思い出しました。それは、こどもクラスの保護者の皆さまに、心身統一合氣道の意義をお伝えしたい、という想いからでした。
よく聞いた話ですが、藤平光一先生がこどもクラスを指導する際は、こども達よりも、見学する親御さんたちに対してお話しする方が多かったそうです。確かに、正しい姿勢や心のあり方、礼儀や発する言葉など、稽古の中でいくら大事なことを伝えても、日常生活に戻った時にそれを忘れてしまっていたら、いつまでも身につきません。一緒に暮らす親御さんにその内容と意義をお伝えすれば、日常生活でこども達の言動をみて注意したり正したり、模範を示したりしてもらえます。
しかし、実際にこどもクラスを始めたら、見学する親御さんはほとんどいませんでした。私の至らなさもあるでしょうし、今の親御さんは家事やお仕事の合間を縫って送迎してくださる方も多いですので、無理もないことです。そこで、このような通信をお手紙としてお配りすることを思い立ち、毎月書いてまいりました。何年続けているのか…忘れました…。

ですからこの通信は、会員さん向け、と言いながら、実は稽古したことのない、こどもクラスの保護者の皆さんに向けて書き始めたものなんですね。稽古している会員さんには、普段の稽古の補足や頭の整理、復習のため。初めての方や、こどもクラスの保護者の方には「心身統一合氣道ってこんなことを教えているんだ」と理解して、日常に役立てていただくため。そういう目的でこの通信を書いています。
そういう訳で、ここでお伝えすることのメインは、心身統一合氣道の意義は何なのか、ということが中心になります。今回もそのど真ん中の内容になります。

「心身統一合氣道をする意味ってなんなのか?」

最近ある会員の方からそんな問いを聞きました。私はこの通信でも、教室での稽古でも、何ならお酒を飲みながらでも、心身統一合氣道がいかに意義深い素晴らしいものなのか、ばかり言っているぐらいのつもりでおりましたので、私とたくさん接してきたその人からそんな問いを受けたことが意外であると共に、とても残念で仕方がありませんでした。私の実力不足以外の何者でもありません。言葉で伝えるだけでなく、稽古の中でそれを実感してもらえて、初めて心身統一合氣道を学ぶ意義があった、と言えます。たくさん語っておきながら、稽古の中でそれが伝えられていなかったことに、猛省いたしました。これからの稽古の中では、それを意識して改善を図っていこうと思います。
で、改めて何の意味があるのか?ここで伝えることも、またただの言葉になってしまいますが、まず言葉で頭を整理しておこうと思います。

●身体的な意義

皆さんは、自分の身体の使い方がどうなっているか、自覚があるでしょうか?何かスポーツをしている方、または身体のどこかに不調を抱えている方は、その自覚が比較的あることと思います。スポーツでは、競技の中で結果が教えてくれます。不調を抱えている方は、無理のかかる身体の使い方をした時、不調箇所が悲鳴をあげて教えてくれているかもしれません。肩こりや腰痛、膝痛なども、そのような身体の悲鳴の一つですね。
では、そうした身体の使い方の間違いが現れた時、どうしているでしょうか?接骨院や整体、整形外科、マッサージ店などがこれだけたくさんあるということは、ほとんどの方はそれを誰かの手に委ねて、痛みをとってもらう、ほぐしてもらう、という対処法をされているのだと思います。これらは全て対症療法、つまり出てきた症状をなくす、という作用だけですので、痛み止めの薬と一緒で、その場限りの解消法に過ぎません。根本の原因は変わっていませんので、また症状はぶり返し、また誰かの手に委ねる。この循環が続いていきます。

心身統一合氣道を稽古する中では、自然な姿勢を追求すること、無理のない身体の使い方を追求すること、などが出来ます。自然で無理がない、ということは、疲れにくく、痛めにくく、良いパフォーマンスが得られる、ということです。間違いや不調が現れた時、その根本にある要因を探るには、「何が正しいのか」を知る必要がありますよね。そことのギャップを見つめることで、初めてどこが間違っていたのかが分かります。それが分からないから、原因が見えず、場合によってはそういう不調が現れるのが自分の個性や性質であり、生まれつきの直せないもの、という間違った認識を持ってしまったりするのです。

身体をどう使うことが自然なのか、楽なのか、良いパフォーマンスにつながるのか。心身統一合氣道を稽古することにより、その正しさの「基準(軸)」を得ることが出来ます。正しいかどうかをチェックする方法が分かり、その基準を自分の体内に埋め込むことが出来るんです。もちろん個人差や習熟度の早い遅いはありますが、少なくともその道筋を得ることには、さほど困難を伴うことはありません。

●心的な意義

これもここ最近ですが、何人かの方の相談を受ける機会がありました。相談するということは、悩みがあるということ。「悩み」は、問題の解決に向けての対処法が決められないから生じることですよね。その諸問題の中には、そもそも対処可能なものと不可能なものがあります。対処可能な問題は、解決方法を見つけて実践していけば良いことです。対処不可能な問題は、解決方法ではなく、それに対する自分の考え方や捉え方を整理して、自分の心のあり方にフォーカスすることが対処法になります。「悩み」の真っ只中にいる時は、そうした問題の整理が出来ず、何をしたら良いのかが見えなくなり、心が乱されている、そんな感じではないでしょうか。
まずそうした区分けを整理するために、自らの心が静まっていること、落ち着いていることは必須条件です。これは心身統一合氣道の得意分野です。そして、整理した上で、対処不能な問題に対しての心のあり方として、囚われずに流してしまうこと。つまり「氣にしない」ことが出来れば良いですね。自らの氣が滞っていると、対処不能な問題にも心が囚われて自由に動けなくなる「氣を受ける」状態になってしまいます。「氣が出ている」時は、心を自在に使うことが出来ますので、こうした考えても仕方がない問題は、氣にならなくなります。

そして、対処可能な問題の対処法を決める上では、何が目指すべきゴールなのか、何が正しいのか、を見極めることが必須です。その「あるべき姿」に向かう中で、そことのギャップを捉え、埋めていくこと。それこそが問題を「解決する」ことになります。
そこで問題となるのが、「何が正しいのか」です。これにはやはり、「基準(軸)」が必要となります。これは自分の生きていく中での指針や信念、哲学のようなものだと思います。「何を基準に考え、身を処していくのか?」 これを明確に持っているほど、余計な悩みに時間を費やす必要はなくなり、恐れや不安、迷いから解放され、自信を持って堂々と人生を歩んでいくことが出来ます。

「心身統一」というのは、天地自然と直結する心、何が正しいのかが分かる心である「霊性心」が発露する状態を指しています。人間本来の能力、天地自然から与えられた、我々が発展し栄えていくために必要な力が最大限に発揮できる状態です。心身統一合氣道は、正にこれを身につけることが出来る武道です。

●何が財産となるのか

私は小中高と12年間、剣道をしていました。大学生になっての4年間は剣道はせず、他の格闘技に興味を持ち、かじる程度の関わりでした。
大学4年になり就職活動をする中、改めて自分という人間と向き合うことが必要となりました。その時、自分の人生を振り返ってみて、「柱」と呼べるものは剣道でした。心身統一合氣道のように、たくさんの言葉や「教え」があったわけではないのですが、自分が何に時間と情熱を費やし、学びを得てきたのか、と振り返った時、燦然と輝いていたのは「武道を12年間続けてきた」という自信と誇りでした。もちろん勉強はちゃんとしていました。(成績はかなり良かったです)アルバイトや友達と遊んだり、人並みな大学生活を送ってきたのですが、一番のアピールポイントとなったのは剣道だったのです。
武道というのは、ただのスポーツ・運動ではなく、生活や人生そのものと深く関わり、人間性を確立するものだ、とその時に強く認識しました。今は剣道ではなく、心身統一合氣道でそれを深く深く実感しており、文字通り人生丸ごとをその道に注ぎ込んで日々を生きています。

これは正に「財産」そのものだと思っています。特にこどもの頃から武道に染まって生きてきたことで、私の中には大きくて太く頑丈な「柱」や「軸」が出来ていました。今、心身統一合氣道を通じてそれを更にさらに強固なものとしており、これを多くの皆さんにも分かち合いたいと思っております。
「柱」があると、人生が、心と身体が、安定します。そしてそれは、退屈なことではなく、思い切り楽しい日々を送ることに繋がっています。
多くの皆さんに、この「財産」を築いていただくお手伝いを、今年も1年間通して、やり通してまいります。よろしくお願い申し上げます。

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