歳をとることが怖くなくなる
〈この記事は2021年3月に、私の教室の会員の方に向けて書いたコラムです〉
このコラムでは大概、心身統一合氣道の稽古が、人々の精神面に与える要素を中心にお伝えしております。それは、文章では物理的なこと、肉体的なことを伝えにくいからでもあり、また多くの人は合氣道と言えば物理・肉体面に注目するであろうから、氣づきにくいであろう精神面にスポットを当ててもらおう、という意図からでもあります。
しかしこれまでの自分を振り返ると、大人の会員の方に対しては特に、精神面の理解に偏らざるを得ない伝え方をしてきたかな、と思いました。(物理・肉体面がおろそかだったかも、ということです。)
ということで、今回は少しシンプルに、物理的・肉体的な心身統一合氣道の効果について、書いていきます。
もともと私が心身統一合氣道を始めた理由は、第一に「運動不足解消」でした。32歳の時。社会人になって10年間まったく運動をせずになまり切った身体を「何とかしなければ」、というのが一番の想い。妻の「合気道やってみたい」のひと声で、たまたま入門したのが心身統一合氣道の教室だった、というわけです。
運動不足解消が動機でしたので、心身統一合氣道の「教え」の部分についてはそれほど分からないまま、年齢の近い方が多くて、何よりみんなが楽しそうに稽古していたことに惹かれて入会したんです。
そうして始めた心身統一合氣道の稽古の中で一番のポイントだと感じたのは、「力を抜く」ということです。
我々は、というか少なくとも私の世代の日本人は、こどもの頃から学校や家庭での教育の中で、「頑張る」「力を入れる」というのが「正しい」という「洗脳」をされてきていると思います。「きをつけ!」「前へならえ!」「やすめ!」など「姿勢」についても、シンドいのを我慢して続けることを強要されて、それが言われたとおりにきちんと出来るのが優等生、という価値観の中で育ってきました。スポ根ものの影響もあり、苦しさに耐え忍んで努力を続けていくことで、いつか花が咲き、道は開ける、というものの考え方も定着している氣がします。すべて「頑張る」「踏ん張る」「戦う」という、心と体を固める方向性に思考が向かっています。そういうのがもとで、凝り固まった運動習慣も身についているのではないでしょうか。これが間違いの元です。
「頑張る」という言葉は、「我を張る」から来ているそうです。漢字をみると「頑なに張る」です。いずれもあまり良い印象はありませんね。これが正しいことで、成果にも結びつくことであるなら問題はないのです。が、合氣道の稽古をしたことのある皆さんならお分かりでしょうが、「力を入れる」のは、明らかに間違っています。「力を入れる」のは、とても大変だし疲れます。それなのに、パフォーマンスが下がるのですから、これが正しいわけがありません。もしかすると、皆さんの中にはまだ「でも少しは力を入れないとダメだよね…」と思われているかもしれませんが、違うんです。ちょっとでも力を入れるのは「力を入れる」なので、うまくいかないんです。
これを実感することを、心身統一合氣道の稽古の中ではいろいろとやっていきます。「氣のテスト」を使って行う方法がいくらでもあります。でも、本当はそんなことよりも、合氣道の技を、特に「受け身」を何度も何度もたくさんすると、いかに「力を抜く」が大切なのかがよく分かります。本当に「実感!」となります。
私にもその経験があります。今から13〜14年前、合氣道を始めて2年ほどの頃でした。昇級審査の受け身をとる場面です。1級受験の方の受け身をとることになりました。1級の技は14種で28本の受け身をとります。そのために半年間、稽古を続けてきました。いざ審査当日。当時は別の道場に審査を受けに行くシステムで、審判は八段の大ベテランの先生でした。その先生が、「上級者の呼吸力をみてみたいので、1級の人は5級から全部の技を通しましょう」、と突然言い出しました。今から審査開始、というそのタイミングです。5級から1級の技全部となると、30種で72本の受け身をとることになります。実に2,5倍です。10キロマラソンをしようと思ったら、スタート直前に「やっぱり25キロね」と言われたようなものでした。
この変更に、受験者(投げ)は驚愕の表情でしたが、実際問題、体力的にキツイのは受け身をとる私の方です。合氣道は、投げの人はあまりたくさん動きません。受け身の人は、相手に駆け寄って攻撃し、投げられて転がって受け身をとり、また立ち上がって次の攻撃にかかっていきます。これを72本するのは、なかなかの体力がいるんです。
しかし、なぜかこの時の私は、「よっしゃ、やったるぞ!」と妙なスイッチが入っていました。「氣が出ている」です。
当時の私は、今より若いと言っても34歳ぐらいです。相撲取りやサッカー選手なら引退を考える年齢です。しかも、合氣道を始めてたったの2年、その前は10年以上、なんの運動もして来なかったんです。体重だって人より重いんです。出来るわけないだろ!
...と思って良い場面だったはずなのです。しかし、やってみるとスラスラと72本の受け身をこなし、脚がもつれることもなく、なんなく全うすることが出来ました。見事、私もパートナーも合格です。
審査というプレッシャーがかかり緊張する場面で、半年間稽古してきたよりも2.5倍の運動量を強いられて、普段あまり接することのない8段の大先生に見られている中で、こんなことが出来てしまった、と私は自分の身体にとても大きな自信を抱きました。ハッキリ言って、過去の運動習慣や体力の常識からは、かけ離れた結果が出てしまったのです。
私が小中高と続けてきた剣道でも、これだけの運動量をいっぺんにこなすことは、なかなかありませんでした。剣道時代は10代だった私の体力は、いつも稽古はとっても体力を消耗する辛いものだと認識していました。試合などの緊張する場面になると、その傾向はさらに強まり、たった3分ほどの試合をこなしただけで、ゼイゼイしてしまうことも何度もありました。
しかし、30代半ばになり、たった2年ほど稽古しただけの心身統一合氣道(剣道は12年やりました)では、それほどまで息が乱れず72本、それもただ走るのではなく、投げられて転がって立ち上がって、を繰り返して、です。
「力を抜く」、つまり「リラックス」の効果は、これほどまでにすごいことなのだ、と、完全に「実感」出来た瞬間でした。
リラックスを覚えることで、体力は確実に向上します。効率の良い身体の使い方が身について、疲れにくくなります。そしてそれは、合氣道の稽古では「受け身」をとることが一番です。動きの中で力を抜くこと。とても重要です。是非、皆さんにも、この「超人感」(!?)みたいなものを感じていただきたいと思います。
これが私一人の感覚でないことは、私の諸先輩を見れば明らかです。60代70代で現役という方はザラにいます。80歳にして尚、週に3〜4回の稽古にほとんど休みなく参加し、他の人たちとまったく一緒に(というか、それ以上で)受け身をとっても、息一つ乱れない方もおられます。ほぼ全ての先生方が年齢より若く見え、姿勢も崩れることなく、シャキシャキと行動しています。
そんな様子を見ていると、「歳をとることが怖くなくなる」を、本当に実感するんです。
リラックスを覚えること、それは肉体的・物理的なことだけではありません。心の状態をコントロールすることが必須です。
そのことが、ただ合氣道の技を上達するためだけでなく、歳を重ねても元氣でい続けることとつながっているのなら、その価値は相当に高いといえるのではないでしょうか。
私の目標は、90歳でも現役バリバリでいることです。ある人は「死ぬ直前が自分史上最強」と表現したそうです。そんな人生を送れたら「老後の心配」なんていらないかもしれませんね。
私自身は、運動神経が特に良いわけではありません。むしろ鈍くさい方かもしれません。体型だって、皆さんご存知の通り(笑)。そんな私でも、自分の身体、運動能力、体力に自信が持てるようになる武道、それが心身統一合氣道です。
心身統一合氣道をするまでは、48歳になってこんな心身の状態でいられるとは、想像もしていませんでした。心も身体も”軽い!”。体重に関係なく、その感覚を持てるんです。会員の皆さん全員がそんな実感を持てるように、日々の稽古を楽しく動いていきましょう。
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