とどまることなきところ

※2023年12月に私の教室の会員向けに書いたコラムです。内容はあくまでも私個人の意見です。

「とどまることなきところ」

今年最後の悠悠合氣道通信です!皆さま2023年も大変お世話になりまして、ありがとうございました。何かと慌ただしい12月、氣を止めることなく走り続けて、新しい年を迎えましょう!そんな師走の悠悠合氣道通信のテーマは「とどまることなきところ」と題してみました。最近の自分自身のテーマとしているところです。

「天地は生成流転して、瞬時もとどまらない」 
大宇宙には止まっているものは何もない、ということです。不動のように思えるこの大地も、地球の自転公転によりすごい速さで動き続けています。どんな物質も、原子レベルで見れば原子核の周りを電子が回り続けている、らしいですよね。それなのに、我々はついつい心や身体を「止める」ことをしてしまいます。それは「天地と一体」には反しています。なぜなら天地は生成流転しているから。つまり、「止める」ことは大自然の法則に合わないことなので、色々と良くないことにつながることになります。

例えばどんな時に「止める」が発生しているでしょうか?いくつか思いつくものを挙げていきます。

<身体を止める>
身体、肉体もまた、生成流転して瞬時も止まらないという天地の一部の存在です。生きている限りは常に心臓が血液を送り出し、呼吸によって酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出し続けている。全身の細胞は常に新陳代謝を繰り返している。つまり、実際には身体を止めることは、生きている限りはできません。しかし、止める、というか、「固める」ことをしてしまうことはよくあります。それが「力む」ことです。

「力み」ってどんな時に起こるでしょうか?一つは、「ぶつかる」時です。何かを動かそうとして、それが簡単にいかない時、物理法則に逆らうことをしようとすると、「ぶつかる」ことによって、身体が力みます。自然な動作では十分な成果が得られない時に、無理をすることによって、「力む」わけです。合氣道の稽古をしている時も、よく発生することですが、この力みがある時って、大体十分な成果を発揮出来ません。力んでいるのは、筋肉が働いているのだから、絶対必要だろう!?そんな風に世間一般では考えられていると思います。が、稽古でよくあるように、力んでいる実感がある時って、その部位(例えば上腕二頭筋)の筋肉は激しく収縮して、とても頑張って仕事をしているのですが、他の部位(例えば背中や脚などの大きな筋肉)と連動していないんです。部分的な「力み」は、とっても頑張っている割には、大した成果につながらない。むしろ、全身がリラックスしている時は、全身の総てを使えることが出来ていて、より大きな成果につながっていたりします。一人が切羽詰まってカリカリしながら頑張っているよりも、みんなで伸び伸びとリラックスして動いたほうが成果が上がる、なんていうことと似ているのかもしれません。

また「緊張」というのも、「力み」を呼びますね。総ての緊張が悪いというわけではありませんが、そうなりがち、という意味です。緊張によって周りがよく見えなくなったり、身体がこわばるような経験は、多くの人がしていると思います。そういう時の状態は、周囲とのつながりが途絶え、氣が滞っています。合氣道の技の場面で言えば、相手が攻撃してきても、反応することが出来ずに、「固まる」という感じです。緊張感があっても、氣が出ていると、起こった物事に対してするべき対処をすることが出来ます。むしろ、適度な緊張感があるからこそ、そんな鋭敏な感覚が維持できるとも言えるのではないでしょうか。氣が滞ることによって、緊張が身体を止めてしまうと、この「固まる」が発生するのだと思います。問題が起こった時に、周囲の状況を判断できずに固まってしまうと、何も出来なくなりますよね。いつでも氣が出ていて、いつでも動ける身体の状態であること。合氣道の稽古は、そんなことにも繋がっています。

<心を止める>
「止まっているものは何もない 人間だけが心を止める」 日めくりカレンダー「藤平光一先生 珠玉の言葉」(1,100円で販売中)の8日に書かれている言葉です。身体を止めることもさることながら、この「心を止める」ことこそ、頻繁に発生していることなのではないでしょうか。いくつか思いつく「心を止める」例を挙げてみます。

一つ目は、「執着」です。生きている限り、周囲の状況は常に目まぐるしく変化しており、その時その時の最優先事項に向けて、心を使うことは大切なことです。心の性質は、「一つに向ける」時に良い結果に繋がる、というもの。一度に二つ以上のことを考えるのは、「散漫」になりますよね。なので、一つのことに対処して、はい次、また次、というように、「心を切り替える」ことはとても大切なことです。合氣道の稽古では、「前後技」「八方技」などで、心の切り替えを稽古しています。
ところが、何かとても氣になることや悩ましいことがある時に、我々はついつい心をそこに留めてしまいます。ご飯を食べているのに、さっきのクレーム電話で言われた嫌なことがずっと氣になって腹が立っている、みたいなことです。今心を向けるのは、目の前のご飯のはずなのに、頭の中は苦情の言葉を繰り返し再生してしまっている。。。または、解決出来ない悩み事も同じかもしれません。そんな風に、心を止めていることって、実は何の役にも立たないどころか、目の前のことに集中できないと、交通事故のような大惨事に繋がることもあるかもしれませんよね。常に心をとどめることなく、水や空気のようにサラサラと流れ続けていられること。その時その時の最優先事項にパッと心を向けることができること。そのための稽古が、合氣道にはあります。

次に「虚脱」すること。一つの大きなイベントに向けてずっとがんばってきた時、それが過ぎるとフッと力尽きて、何もしたくなくなる、なんていうことありませんか。がんばってきたのだから、少しぐらい氣を抜いてもいいじゃないか、なんて思いますよね。でもこの、「氣が抜ける」時って、体調を崩しやすい時なんです。お正月休みに入った途端に風邪をひく、なんていう風に。長年の会社勤めを定年退職した途端に、認知症を発症した、なんて話もよく聞きます。氣が抜けて、心が行き先を見失ってしまうことって、とても怖いことです。「心が身体を動かす」。何かに向けて心が動いている方が、身体も健康を保ちやすい。「あの人はあんな歳になっても若々しくて元気だな」、なんて言われる人って、大抵は何かのお仕事をしている人ではありませんか?それも第一線のバリバリで。なので、大きなイベントの後には、次のするべきことにしっかりと心を向けて、氣を通しておくことが、とっても大切です。その上で、休暇を取るなら取れば良いわけですね。

同じような意味で、「満足」や「あきらめ」も、心を止めることになるのではないでしょうか。「これでいいや」「もうだめだ」、そんな風に先へ進むことをやめてしまった時って、湧き上がるやる氣や元氣が失われていく感じがしませんか。これは、「氣のテスト」をするとよく分かるのですが、こうした心の使い方をした途端、人は氣が出なくなります。つまり、人間本来の能力をきちんと発揮することが出来なくなる、ということです。心を止めずに向かうべき先を常に持ち続けていること。そういう人って、いつも生き生きして活動的で、元氣でいられるって思いませんか?

心身統一合氣道で行っている、「臍下の一点」や「氣の意志法」「氣の呼吸法」は、こうした「止める」状態に陥らないことを、具体的に身につけるための稽古となっています。「とどまらない」ことには、「自在である」という意味があると思います。心も身体も常に自在に動くことが出来る、それこそが隙がなくいつでも力を発揮できる状態であり、それを「心身統一」と呼んでいます。「止まる」は不自由であり、エネルギーのない状態です。いつでも「とどまることなく」最高の能力を発揮できる状態でいつづけることを、いつも心がけています。「居着くは死ぬる手なり」と、宮本武蔵の五輪の書にも書かれているそうです。

2023年ももうすぐ終わりですが、実は今年の1月に掲げた今年のテーマは、「やわらかさ」でした。今回書いたこの「とどまることなきところ」というテーマ、実はこの「やわらかさ」にも直結していることではないか、という氣がしております。心も身体も「止まる」であったり「固まる」という時に、「硬さ」が生じるのではないでしょうか。こだわりが強過ぎる人のことを、「あの人は頭が硬い」なんて言ったりしますよね。心も身体も、とどまることなく、いつでも自由自在であること。肉体的にも、内面的にも、そんな「やわらかさ」を持っていられる人間でありたい。そんな風に思っています。
2023年のテーマとした「やわらかさ」ですが、「もう分かったから終わり」なんて言った途端に、心は止まり、固まってしまいます。このテーマ自体、終わりのない永遠にとどまることなき大きな目標なのだな、ということで、自身の課題として持ち続けることにしようと思います。

皆さんは、2023年、どんなことに打ち込んできて、どんな変化がありましたか?来年もまた、皆さんの課題の克服や進化発展のお手伝いを、心身統一合氣道を通じてさせていただけたら嬉しいです。

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