見出し画像

三柱神社へ夕方から行ってみた。

ここを読んで下さっている皆様こんばんは。
今日は三柱神社というのが相模原にあると言う事で気になったので、早速 車を走らせ𝕃𝕖𝕥'𝕤 𝕘𝕠して
来ました。

が、しかし‼️

近くに着く頃には周りは灯りも無いような山の中になり、それでも何か来たからには1つでも持ち帰るぞ!みたいな感じで山道を進み続け何とか神社⛩の入口近くまでは着きました。
もはや真っ暗で何も見えん
( ゚∀゚)・∵ブハッ!!

色々考え深入りは次として、入口付近を見ると、立て看板を発見‼️一応写真を取りましたが、こんな感じです。

カメラのフラッシュが作動しない
アクシデントが😅

という分けで、現地から帰ってきた所で
看板の説明を、ここに今日の収穫として、せめて書き残しておこうかなと(⌒-⌒;)ありのままで♬.*゚

では早速

神社名 三柱神社(みはしらじんじゃ)
所在地 相模原市緑区津久井郡藤野町小渕1025番地
祭神
軻遇突智神(かぐつちのかみ)
大己貴命(おおあなむちのみこと)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)

例祭日 八月十九日

創立年代は詳ではないが
秦氏の氏神である唐土明神が現在の地に鎮座し
関野・小渕の鎮守として崇拝されていた。

秦始皇帝の子孫と称する弓月君が百済を経て
帰化し、仁徳天皇の御代に弓月君の子、普洞王に
「秦」の性を賜った。

そして諸国に分かれ住み
蚕を養い機を織り産業を興されたと伝えられて
いる。その折に来られた秦氏が唐土明神の氏子と
言われ、現在も秦・畑野などの姓がこの地に
残っている。

嘉永二年(一八四九年)六月
力士  追手風喜太郎(おいてかぜきたろう)の寄進に
より本殿を再建し、その後  明治六年十二月
大牟礼神社(大己貴命)と牛頭天皇と称された
八坂神社が合併され、三柱神社と改称した。

神社の階段を登り終わると2.56m程度の石籠が
左右に一基ずつあるが、これは神社の再建される
二十三年前の文政九年(一八二六年)十一月に
奉納されたものである。

二十五m程ある参道の左右や、本殿周辺には
杉・モミ・松など
樹齢二百有余年を数える大木が繁り
リス・ムササビなどの棲息地となっている。
境内は1280㎡あり
昭和五十三年に拝殿が改築された。

以上、内容はこんな感じでした。この地に秦氏
または畑野氏の子孫が居て、資料があったり話を
聞ける事が出来たら、凄い事かもとか思うけど
そう甘くないのも承知しております😭
弓月君や、その子の普洞王(ふどうおう)から仁徳天皇の御代が「秦」を賜ったって部分も関係がまた見えて面白い。
そして普洞王って不動王みたい(`✧ω✧´)

では今日も飽きずに、ここまで読んで下さった
皆様✨本当に、お付き合いありがとうございました。(>人<;)次は明るい時、現地の写真📸撮ってみます(>人<;)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?