これまでのこと(夢とキャリアとその挫折)
前回の最後の文章
“このまま嫌な状態でいるなら、少しでも状況を変える努力をしよう。
人は行動することでしか、自分を、未来を変えることができないことは分かっていた。”
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海外に住むことが夢として明確になったのは、30歳以降だった。それは、仕事で色んな国に行かせてもらって、海外で働く日本人と会って、そのバイタリティと人間力の大きさにとても影響を受けたことがきっかけだった。
特に、同じくらいの世代の人がローカルの同僚と英語や現地語で難なくコミュニケーションを取り、駐在員として日本にいるときよりも上の役職を担い、大きなミッションを背負って日々奮闘している姿にものすごく感化された。日本にいる人と全然違って見えた。
「人間、バイアスがかかるとそうなるの」
当時の社長と海外出張に行った帰りの空港のラウンジで言われた言葉。海外というフィールドで働くこと、生まれ育った国ではない場所で人生を生きると人間はそうなるのかと、日本に帰るフライトを待っている私の胸にその言葉は深く刻まれた。
当時の社長にはすごく気にかけてもらっていて、最終的には娘と呼ばれていたくらい大変お世話になっていた。社長は私に日本以外の世界を見せて成長のきっかけを与えて下さっていたのだと思う。だから色んなことをとなりで一生懸命吸収した。
他の社員がどう思っていたか分からないけれど(お気に入りだから海外出張同行してるんでしょとか色々耳に入ってきたけど)、私にとってはここに書ききれないくらいの感謝の気持ちしかない。
私も人として大きく、強くなりたい。
日本にずっといたら、私にとってはダメな気がする。
そういうふうなきっかけと、あとは単純に真っ青な気持ちの良い天気のもとで暮らしたいという願望。そして、最愛のパートナーと一緒に過ごせたら、もうそれ以上の幸せはないという人間の根底にある本質的な願望から、私の人生での大きなwish listが生まれた。
前回の日記で書いたように、どうにかこうにか海外に渡る手段を色々調べて考えたが、自分の可能性の低さとなかなかの難易度という現実が待っていた。
(※有料記事になってますが、良かったら読んでいただけたら嬉しいです☺︎誰かの参考になりますように。)
もう少し若ければワーホリという選択肢も持てたが、気づいたときにはギリ遅かった。
例えば、とりあえず何でもいいからLAに行きたい!という勢いだけで、語学学校とかに行くようなテンションでもなかった。
でも、どこかあきらめていなかった。なんとなくいつか自分は海外に行くことになると、心のどこかに海外にいる未来の自分をずっとイメージしていた。
新卒で入社した会社には14年いた。本当に有難い環境で、もちろん大変なこともあったけれど、とにかくみんな優しくて良い人が多かった。だからずっとその環境にいた。
でも、40代以降もこの環境にいたいという想いはなかった。その会社で情熱を持ってやりたいことがなかったから。逆にいうと、30代半ばでその会社でやりたいことはなんとなくやり切った感があった。次!と思うものがもうなくなった。とにかく、社会人としてのマナーと、空気を読む力や根回しなどのコミュニケーション力、IT関連の知識や業務経験と人脈を築いて、自立して次に羽ばたく準備をするための14年だったと、退職した今思う。
もしその会社に海外勤務があったら間違いなく手を上げていたと思う。でもその可能性はとても低い見立てだった。
ダイレクトに海外に行く道も考えつつ、でもかなり難しいと分かったから、そこにたどり着くためにもうワンステップ入れるパスも考えた。
それは、
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