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Mother

お母さんが死んだ。
 
二週間前のことだった。突然なことだった。仕事を終ってから家に帰って、叔母さんから聞いた。僕は、自分のアパートから、お母さんの家まで歩いた。雨が降っていた。傘を持っていなかった。
 
お母さんは癌だった。病気だったことを誰にも言わなかった。人の世話したがる一方で、世話されるのは嫌いだったお母さん。お母さんはいつもそうだった。
 
お母さんは、自分の母(私のおばあさん)が亡くなった同じ部屋で息を絶えた。これは、お母さんの望み通りだった。眠るように死にたいと言っていた。おばあさんと同じ部屋で死にたいと言っていた。それが、お母さんの最後の願い事だった。
 
うちの家族はいつも死について率直に話していた。もう何年前から、お母さんは「人生の締めくくり」や「亡くなってから」の話をしていた。お母さんはまた、自分が幸せであったこと、自分がやりたいことを全てやったこと、皆に何度も繰り返して話していた。お母さんは、この世界に来た目的を果たしたと言っていた。後悔はなにもないと言っていた。だから、前向きで来世に向かったのだ。
 
お母さんは絵を描くのが好きで、遺品を整理している間、水彩画がどんどん出てきた。今日思いついたけど、お母さんの好きな画家は知らない。知らないままで、亡くなってしまった。昔はダリが好きだったと話していた記憶はある。だけど、年をとるにつれて彼の絵よりは「気持ち悪くなった」と話していた。
 
それでも、お母さんは何よりも、子供たちの面倒を見ることが好きだった。四人の子供と七人の孫を育てた。お母さんは決して私たちにプレッシャーを与えず、個人の自由を信じていた。これは、お母さんのイデオロギーといってもいいぐらい。お母さんはいつも私に、やりたいことをやりなさい、ただあなたが幸せであればいいのよ、と言っていた。
 
僕は、幸せの時はあった。でも、落ち込むことも多かった。それは誰が悪いものではないけど、鬱々しい時期があったことは事実だ。お母さんはお母さんなりに、僕を助けようとしてくれた。それに感謝していたわけではないけど。
 
お母さんが僕の私生活について尋ねることはまれだった。結婚する気があるかと、たった一度だけだったあった(僕はNOと答えた)。お母さんとは、たいてい他のことを話していた。よく、歴史とか社会問題について語っていた。お母さんは、僕が青春のときに、ダーウィンや宗教やカール・マルクスなどについて教えてくれた。お母さんは僕に好奇心をくれた。今でも、多くの人々が僕の知識を褒めることがある。お母さんの教育のお陰さまだ。
 
お母さんは他にも多くの影響を僕に与えた。どういう影響かは、説明にくい。というか、自分で分かるものではない。母親が子供にどれだけ影響を与えるか、誰にも分らないことだ。
 
死について話すとき、お母さんは肯定的な見方をしていた。僕に最後に話したときに「眠っている間に死ねたら幸せじゃない」と言った。そして、嬉しそうに微笑んだ。
 
別れ言葉はなかった。お母さんは、それを望んでいなかったと思う。突然、亡くなって誰にも心配かけたくないように世を去りたい気持ちだと思う。
 
それでも、いいんだ。私は死後の世界が存在していることを心の底から信じている。お母さんは、今どこかで新たな旅を始めているとしか思えない。もし、再会することがあれば、おそらくそうなるだろうと信じているけど、何と言えばいいのか分からない。言いたかったことは、もうすべて話したと思う。


カバーは、母が描いた絵です。