空を飛ぶ
水平線の向こうは青い空が広がっていても、僕の上は筆で塗りたくってこんもりと不均一に重なった灰色のキャンパスだった。
遠く、真っ青でシミひとつない円環が果てをぐるっと囲んでいるのに、頭上に広がる空へロケットのように飛び出すには、どうやらべったりと粘度が高く、それでいてなかなか破ることのできない蓋のようだった。
その重苦しい空の蓋の灰色と、遠くに見える青色のコントラストが、いかにも世界が囲っている。
神様がそろそろ世界を閉じようと、鍋を占めるみたいに蓋を落とそうとしているのだろう。
ビルの屋上に吹く風は、湿っていて、生暖かくて、僕はそれを振り払うように縁へと歩みを進めるけれど、そのへばりつくような不快さで身体が溶けていくかのような感覚を覚えた。
雨だれで斑ら模様を描いているコンクリートの屋上には外の空気を求める魚のように、空調の排気口が口を広げていて、ごうごうとその腹に大切に抱えた快適さから滲み出た不純物を吐き出し続けている。
そして、その泥のように粘つくものは足に絡みつくようで、僕は歩くほど重くなる。
どうにか振り払おうとぬかるみから斜め上へ勢いよく引抜くけれど、一歩一歩その高さは減っていき、ついには足を上げるために両の手で太ももを持たなければならないのではないか、そんな考えを抱かせるほどだ。
透明な泥は容赦なく絡みついてしばりつけ、現実の空気感そのものだった。
何もかも重いと感じた。
そして何もかも近くて遠い。
なにもメートルとかヤードとか、そんな単位での距離感ではなく、目の前にある、僕を等しく取り巻いている薄くて強固で透明な壁のようだ。
もしくは、僕の脳内<スクリーン>で再生される現実という映画というべきか。
現実も、この空間と同じようにプログラムされたものなんかじゃないか。
そんな昔の映画みたいなことをたまに考えたりするけれど、それは僕と、僕以外の断絶がそうさせているのかもしれない。
でも彼との違いは、僕は目覚めることなんか望んでいなくて、積極的に、揺籠へ戻ろうとしていることか。
でも仕方がないじゃないか。
僕と世界が分かれているわけでもなく、僕が世界と別れようとしているわけでもなかった。
ただ人と人との「関係性」という隙間に、ごくごく小さな隙間に落ちてしまったら、生まれ落ちてしまったら、もう絶望しかないと言わざるをえない。
林立するビル群を眺める。
どのビルも形や高さ、大きさに多少の差異はあれど、すべて同じようにガラスで囲われた箱で、外の光を反射している。
その色は空と同じ油絵のような灰色を反射していて、薄くその腹の中に無数の光を、蜘蛛の卵のように溜め込んでいた。
きっと今も働く人々の放つ灯りだ。
僕はその遠さを感じる。
平均的な人が、平均的に生き、平均的に感じる感情。
何もかも遠くに存在していた。
とは言え、何も自分が特別だなんて思ってはいないけれど、同時に何もかもに意味がないと感じているだけだ。
空を見上げる。
蓋を閉じているこの空も、そう感じている僕自身も、ただの物理現象だと理解はしているけれど、僕の感覚と、有り体に言えば、心との間には薄くで強固な膜が横たわっていた。
ビルの淵に足を進める。
下方から生ぬるい風が深げてきて、僕の前髪をかきあげる。
遠くにどろりとした感情をかきたてるほど真っ青な青空が見えた。
そしてそれが僕の意識の最後のさざ波となった。
ビルの縁から一歩先へ踏み出す。
当然その一歩は永遠に大地を踏みしめることはない。
なぜなら、踏みしめることを感じる僕はもういないからだった。