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そろそろ話してもいい話。
こんばんは。ゆうりです。
実は、そろそろもう話しても
いいかなってことがあるので
もう話そうかなっていうか、記しておこうかなって思ってます。
備忘録というか、思い出というか。
でも書くのに日数がかかるほどエネルギーかかりました笑
では。
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2023年の暮れぐらいの時期に父方のばあちゃんが
この世を去った。
幸せなことに
身近な人の死、でいうと
29年(当時)生きてて初めてだった。
末期の膵臓癌で気づけばステージ4。
膵臓癌って、本当に見つけにくくて
気づいた時にはもう手遅れということが多いようですね。
(みんなで気をつけようね。)
大好きなばあちゃんだったけど
あまりSNSで語ったことがなかったのは
父方のばあちゃんであり、
父にほぼ7年、8年くらい会ってなくて
そんだけ期間が空いてしまうと
正直言って、お互いきまづいわけで。
結果的に、ばあちゃんに会うってこともできてなかった。
ただ、コロナが落ち着いてきた2年前くらいに
久々に電話があって
湯船に浸かりながらいきなり『ばあちゃん』
の名前で着信があるものだから
驚きながら、もちろん全裸で電話に出て。
久々にばあちゃんの声だった。
本当に、久々だった。
『ゆうりちゃん〜、元気?コロナは大丈夫?
心配で電話したよ〜
東京は大変なんでしょう〜?』
コロナなんてとっくに落ち着いてた時期で
なんとなくばあちゃんが理由を探して電話してきてくれたのがわかった気がした。
『今はどこに住んでるのー?』
と聞かれて、わたしは当然のように
「今は旦那さんと東京に住んでるよー!」
と伝えたら、ばあちゃんは寝耳に水といったところで
私の結婚をそこで初めて知ったようだった。
そう、父は2年前(当時)に私が結婚したことを
ばあちゃんに伝えてなかったということ。
私は7.8年会ってなかったとしても
誕生日とお正月のメッセージや
ましてや、結婚の報告は
産んでくれた父親として
感謝の意味も込めて連絡していた。
でも、きっと娘の近況をほとんど知らない父は
自分の母であるばあちゃんに
どうやって伝えたらいいか分からず
そのまま黙ってたんだと思う。
プライドの高い父だから、私にはわかった。
(本当は少し寂しかった。)
ばあちゃんは
『そうだったの〜!良い人なの?お酒は飲み過ぎない人なの?』
って心配してくれて
心の底からいい人であることは伝えて
*私の祖父となる人は
父が小学生の時に不慮の事故で亡くなっている。
昔はよくお酒を飲んで暴れてたらしい笑
そうしてばあちゃんは安心したようで
『お酒は飲み過ぎたらダメよ〜!』
って笑いながら言って
正直その後どうやって電話を切ったかは
よく覚えてないけど
そうゆうことを言われて終わった。
ばあちゃんに直接会いに行かないと
夫のとしきさんにも会わせないと!
って思って1年後くらいに
父から突然連絡があった。
2023年の秋に
「ばあちゃんが膵臓癌でステージ4で入院しました-。」
びっくりして、涙がちゃんと溢れて
心臓が本当に本当に痛くなって。
もう、今しか会えない!
ってなって急遽飛行機をとって
としきさんと面会に行くことにした。
でも正直、病気のばあちゃんに会うよりも
久々に父に会うことの方が
心のダメージを受けそうで怖かった。
会った。
目元がダルダルにたるんでたけど←(笑)
若作りはそのままで
割と父全開だった。
結婚して3年越しにお祝儀をもらって
裏には「会話は大事!仲良くな!」
と黙れよ。と言いたくなる具合のいつも通りの
父の調子に拍子抜けしたりした。笑
そのまま面会をするための手続きをして
エレベーターであがりながら
父は先祖に武士のいる話をし出した。
2回目の黙れよが心で響いてならない。
けど、父だった。
キツかった。
父すぎて、キツい。
としきさんはいつものテンションで
ほぇ〜といったところで頷いていた。
好きだ。あんたが。
「ねぇ、武士の話はいいからばあちゃんに会いに行こうよ」
娘ゆうりっぽい感じで誘導してようやく病室へついた。
ばあちゃんがいた。
79歳だからまだ若い。
見た目も痩せ細るというよりは
昔のばあちゃんだけど腹水が溜まって
お腹はパンパンに腫れていた。
横たわって体勢を変えることはできないけど
ばあちゃんはもう全てがわかってるから
淡々としていた。
母方のばあちゃんとは違って耳も遠くないから
普通の音量ですらすら喋れる。
我慢してたけど涙が溢れた。
「ばあちゃんずっと会えなくてごめんね、旦那のとしきさんだよ」
ばあちゃんは
「よかったぁ〜最後にあえて。お酒は飲みすぎないでよ」
そんなことを言った気がする。
少しずつ記憶が薄れてて辛い。
とにかく涙が出たけどずっと手を握った。
腫れたお腹も少しだけ優しく撫でた。
ばあちゃんだった。
けど、ばあちゃんから言われたことで覚えているのは
「実家に着物がたくさんあるからゆうりちゃんもらってね」
ってこと。
本当に必要かと言われたらそうではないけど
ばあちゃんの願いなら受けて立つしかないってなって
大きな段ボール1つ分に入った着物は
今うちに1年ちょっと眠っている。
面会はそうして終わった。
父曰く久々に痛がらずに長く話してたらしい。
としきさんが涙を流していたことに
父は偉く感動していた。
そうして1ヶ月も経たないうちに
ばあちゃんは、静かに痛みとの闘いを終え
この世を去った。
79歳は若いぜ。まだ行けたぜ。
母にばあちゃんの死を伝えたら
「離婚してなかったらもっと早くに気づいてあげれたかもしれないのにね。」
って言ってて
全て悲しくなったりした。
そしてお葬式も行った。
としきさんは見ず知らずの親戚に会わせるのも
可哀想な気もしたので
心細かったけど1人で行った。
初めて着る喪服は昔伯母からもらってたか間に合った。
葬儀場に向かうタクシーの中で
運転手さんから声を掛けられた。
「もしかして○○さんのお葬式ですか?」
田舎だからわかるのか、って思ってたら
「○○さん、よく買い物に付き添いで運転担当してたんですよ」
「ついこの間まで乗せてたから名前を見てびっくりで。元気な方でしたよね」
どうやら乗り回してた車は自分の意志で免許を返納したらしい。
私は咄嗟に「孫なんです」
って言った。
とにかく近親者であることを伝えたくなった。
孫のエゴでしかない。
葬儀の喪主は父で、全ての動きがぎこちなかったので
割と仕事でイベントを回してきた私は
チャキチャキと場を回すことをしてみた。
横入りで申し訳ない気もした。
ばあちゃんは、眠ったように
そして、何もかも悟ったかのような穏やかな顔で
棺桶に入っていた。
聞くと、ばあちゃんは自分の状態を知ってから
自分で葬儀場の希望と、実家のことと
仏壇のことと、お墓のことを全て父に指示していたらしい。
一個だけ嫌なこととすれば
酒を飲んで暴れていた旦那(祖父)と
同じ墓場に入ることらしいが
「50年いたら成仏するらしいから、あと2年なら我慢するわ!」
って言って腹を括ったらしい笑
祖母はそんな人だった。
カラッとしていて、執着のない淡々とした人。
車を運転していろんなところに妹と遊びに行って。
母もすごくやりやすい理解のある義母だった。好きだった。って
言っていた。
そうして、父親と顔を見ながら語ったが
「辛そうにしてた時期は早く楽にしてあげたいって思ったけど、死んだ今は痛くても生きてて欲しかった」
って、泣きじゃくっていた。
きっと、父も誰かにこう吐き出したかったんだろうなとおもった。
父はそもそもメンタルがそんなに強い方じゃないと思う。
遺伝してると思う私も。
だからとにかくうんうんと淡々と話を聞いた。
今までの恨みは消えない。
でも、今は寄り添おうと思った。
そうして、ようやくお通夜を終え
明日の葬儀に備えて寝ることにした。
父の妹夫婦と4人で葬儀場に泊まるんだけど
2部屋しかなくて仕方なく久々に父と同じ部屋で
約20年ぶりくらいに寝た。
ばあちゃんも同じ部屋にいた。
結局、いびきがうるさすぎて
星野源のオールナイトニッポンが終わるまで
起きていた。
翌朝、葬儀のハイライト?的なことをして
みんなでお花を添えた。
ばあちゃんはそこにいそうだった。
死んだんだわ。って思ってそうだった。
昨日まで一回も泣いてなかった
叔母(父の妹)はようやく涙を流していた。
叔母もばあちゃんに似てて
そこにさらに能天気を添えたような人だから
ちゃんと泣くことに安心した。
いよいよ火葬。居なくなる。
けど、スッと心が軽くなるあの感覚はなんだったんろう。
赤裸々に書くけど
普通火葬すると熱に反応して体が曲がったりして
骨の位置はチグハグになることがあるらしいんだけど
ばあちゃんの骨は真っ直ぐなって出てきてた。
ばあちゃんの強さをなんとなく感じた。
これで、終わりだ。
何が伝えたいとかない。
けど、記録したかったし、エネルギーがいって
この日記はかなり時間がかかっている。
実はこれに派生して1年前結構メンタル食らったこともあるので
それは別の日記にしておこうと思う。
だから、私は帰省をたくさんしてる。
だからなんです。
今母方の祖母ととしきさんのおばあちゃんは
元気だけど
「ああ、もっと会っていれば」
なんて少しも思いたくない。
これはエゴかもしれないけど
少なからず私よりは人生の時間の少ない
ばあちゃんたちには
いい思いだけ持って人生の幕を閉じてほしい。
ただそれだけ。
エゴなだけ。