阪神淡路大震災から25年
当時、自分は西宮市に住んでおり、4歳でした。
それでもはっきりと記憶にはあります。
寝ていると怪獣が現れたのかと言うほどの強い揺れ。
ゴジラ?それともウルトラマンが戦ってる?
家の中はめちゃめちゃ。
家の水槽も割れ、ビショビショ。
食器棚からはお皿が飛び出し、床は割れた破片だらけ。
1歳の妹が寝ていたところにはテレビが落ちていました
あれ?妹は?もしかして潰れた?と思った矢先、寝相が悪かったのか運良く自分の布団にはおらず、離れたところでスヤスヤ寝ていました
家を飛び出ると廊下には外壁がボロボロ。ところどころで煙が上がっています。
みんな飛び出しなにが起きたかわからずキョロキョロ。どこを見てもゴジラもウルトラマンもいません。
結局その日のうちに、京都に住んでいたおばあちゃんの家にしばらく泊まることになりました。
自分の家族、親戚、友人に亡くなった方はいませんでしたが、そうじゃない人もたくさんいます
25年前のあの日、全てを無くした方がたくさんいます。
避難所の生活も大変だったと思います。
あの日、政府や行政の対応が遅れ、たくさんのボランティアの方々がいたと聞きました。
「日本のボランティア元年」と言われ、1/17日は防災とボランティアの日に制定されました。
阪神淡路大震災で失った物もたくさんありますが、その経験から日本が学んだ事も少なくないと思います。
最近は毎年自然災害が多発しています。
その度に出てくる問題もたくさんあります。
逆に学ぶ事もたくさんあると思います。
日本は避難場所についてもプライバシーに性被害にDV。女性に大しての配慮が欠けているなど色々な問題があり、遅れていると思うので、南海トラフや首都直下地震までにはどうにかなるように願っています。
PS.自然災害の度にボランティアに出向きたいとは思うのですが、車椅子の人間は邪魔になるだろうから行けないもどかしさがありますね