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「水島誕生の歴史と未来に向けたまちづくり」

水島生まれの古川明氏

倉敷市水島生まれの古川明氏による講義に参加。
古川先生は、高校まで岡山で育ち、大学は京都。その後、就職されエネルギー分野でご活躍された方。転勤により15年前水島に戻り、水島のまちづくりに関与されている。

水島の歴史

倉敷市水島は名前に島ってつくぐらいだから、昔は島だった。
源平合戦では、海戦の舞台となっていた水島。
1584年(天正12年)に宇喜多秀家による高梁川河口潮止め堤防の築造が進められ、1600年代前半には高梁川の干拓が進み、1907年(明治40年)からの埋立てで、現在の水島が作られていった。
現在では、埋立地である水島工業地帯が日本の産業・世界の発展に寄与している。

水島工業地帯

水島工業地帯で働く人は、約2万4千人。
岡山県の人口は約190万人。労働者数は約140万人、労働者数の約17%が倉敷市水島で働いている。
改めて、水島工業地帯の重要性が分かる。
水島工業地帯では様々なものを作っている。
鉄、石油、穀物加工品、化学品、自動車等。
人の生活になくてはならないものを水島の地で作っている。
http://www.mizu-com.jp/

かつては栄えた水島

かつて、水島は栄えていたそう。
お店も建ち並び、デパート(ダイエー)があり、賑やかな感じだったみたい。今はシャッターが閉まり、水島商店街に活気があるとはいえない。

今後の水島

活気があるといえない、水島。
古川先生は、諸外国のまちづくりを参考にこれからの人たちが住みやすい水島をつくっていきたいそう。水島の公園、ニシナ本店の跡地でのイベント。地域の大学、高校生とともに水島の公園の改装や、居場所づくりを行った。将来的なまちづくりを行政とともにつくりあげている途中。

私がしたいこと

水島には子どもからお年寄り、中国人や韓国人を始め、たくさんの人種が水島に住んでいる。職業も様々。水島はかつてのような活気はないが、水島に住む人たちが住みやすくなるためにできることはたくさんあると思っている。
水島には良いところがある。美味しい和菓子屋さんやご飯屋。デートで利用できる素敵な店。夜景スポットでもある水島工業地帯、芸術家が作成した作品等。
他にも、地元に住んでいていても知らない魅力はたくさんあるはず。
私ができることで今思いつくのはゴミ拾い。水島にもゴミが少なからず落ちている。だから私個人から水島のまちをキレイにすることを始めたい。まちに対して愛着をもちたい。ゴミ拾いというツールを利用して水島のまちを発信したい、仲間をつくり、どんな人でも住みやすい水島のまちづくりがしたい。まず自分ができることをやっていく。


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