高梁川志塾で学んだこと【半農半X】
11月から2月の約3・4ヶ月間、高梁川志塾で学びます。
高梁川志塾とは
高梁川志塾というのは、高梁川の自然や歴史、文化、産業を「フィールドワーク」の教材に、多様な世代が所属や立場を超えて互いに学び、研鑽しあい、高梁川流域での地域づくりや、「持続可能」な地域を担う次世代の人材として成長し、行動を目指す塾。
私が志塾で学ぶ理由
私は、高梁川志塾を通して、自分自身何ができるかを考え、そのための知識やスキルを学び、学んだことを活用し行動できる人材になりたいと考えで参加しました。
11/1(日)高梁川における歴史・文化・産業に関する授業
【半農半X】「備中人人の四季を通じた稼ぎと暮らし」
江戸時代の農民は、現在でいう本業と副業をうまくこなして生活をしていたそう。
稲作を中心とする日本の農業というのは、夏場を中心とした半期労働。正月を中心とする農閑期には稲作はできない。
農閑期には、漁業や商売、石工など、農閑稼ぎができました。
半農半漁・半農半商・半農半工など人により様々な働きがあったそうです。
背景には、江戸時代が年貢制だったため。年貢に対しては厳しく取ってはいたが、農閑期の稼ぎに対しては何もなかったそうです。
つまり、人々は飢饉や災害などない限り、歴史の教科書に載っているような、娘を身売りすることはなかったそうです。高梁川流域は天災もほとんどなく、稲作がしやすい環境であったためさほど窮々としていなかったそうです。
授業を受けるまで私の江戸時代のイメージは、農民限定だと厳しい年貢を毎年納め、質素倹約で生活をしているという勝手な想像でしたが、実際は違っていました。
だからこそ、備中神楽をはじめ多くの文化が発達したことに納得しました。
では、農繁期は稲作、農閑期は○○となれば、一年中働いており大変だったのではないのかという疑問が生じました。
よくよく聞いてみると、休みもないぐらい働いていたわけではないそうです。
農繁期では、基本的に雨の日・お触れが表示された日の作業は何もできないため、時には自宅でお飲酒やゆっくり休息をとったそうです。
年間約100日程度休日があったので、決して働き過ぎではありませんでした。
半農半Xのスタイルは現代でも可能ではと思いましたが、収入を得る活動で考えると、副業禁止企業があったりするので、厳しいなと講義を聴きながら思いました。
それならば、趣味ややりたいことを半Xに当てはめればと。
現在の一つの生き方として、半業半X
Xの部分は、人それぞれ様々。
Xを考えるのが今後の私の課題です
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