クズで不甲斐ない5点の自分を受け入れるには
私の最大のコンプレックスは何か?????
一番認めたくない自分について考えてみようと思う。
私の最大のコンプレックス、それは
人から愛されないこと(愛されないと思っていること)
だから最も私が傷つくのは恋愛である。
だから人を好きになりたくない。傷つきたくないから。
めったに人を好きにならないのもそれが理由だろう。
失恋をすると決まってその後長いこと人を好きになることが出来ない。
深く傷ついてしまうのだ。
メンタルよわよわな自分が顔を出す。
自分の存在価値が脅かされる。
私は誰からも愛されないし、存在する価値がない。
生きていても仕方がない。
そうまで感じて傷ついてしまうのだ。
なぜか。これは考えるより感じないとわからないことなのだけど、
決まって思い出すことがある。
私は子供の頃、母親に「アンタなんか産まなきゃよかった!」
そう言われたことがある。
実の母親にも愛されない私はとんでもない欠陥品なんだろう。
幼いながらにそう感じた。
それをずっと意識して持ち続けているわけではないが、
その言葉を彷彿とするような出来事がずっと続いているいま、
この言葉が呪いになっていると認めざるを得ない。
そうなったらもう私は欠陥品なんだということを
認めることの方が早いのではないか。そう思うのだ。
子供の頃、他にもいろいろと罵られたものだ。
その数々を私は真面目に受け止めて悲しんでいた。
なんでそんなこと言うの?
どうして認めてくれないの?愛してくれないの?と。
でも、優しくない、性格が悪い、だらしがない、自分のことしか考えてない、そんなこと言われても、結局みんなそうなのでは?
完璧で誰にとっても欠点がない人間なんてきっといない。
私の母親はブチ切れると相手の人格全否定!!
鬼の首とったみたいに言ってくる人だった。
子供の頃は素直だったから私が悪いんだ、そう思っていた。
でも大人になったいま、
いや、は???そういうアンタは??
なのである。
誰だってクズでダメ人間な部分がある。
とても難しいが自分にとってのコンプレックスや嫌な部分を『人としてごく当たり前のこと』そう受け入れられる人間になりたい。
そうなったら他人のことも受け入れるキャパが
大きくなるのでは?そうとも思う。
そして逆説的だけど自分のことを好きになれる気がしている。
私は綺麗ごとでごまかされるのが大嫌いだ。
「そんなことないよ。魅力的な部分がたくさんあるんだから、そんなこと言うなよ」とかね。
そんなんじゃ気が収まらないのだ。
その決まりきった定型文で省エネなコミュニケーションを取られた気になってしまう。←性格悪いですね、ワタシ。
だから自分が自分にコミュニケーションをとる時も綺麗ごとは絶対NGなのだ。余計に怒らせてしまう。
であれば、「そうだね。本当にアンタって性格ねじ曲がってるし面倒だよね~」そう言ってくれた方がなぜだかホッと気が緩む。
でもその時の言葉に乗ってるエネルギーが笑っていることが重要。
そんなアンタって面白いよねって。
それに気づいたから私はこの手法をしばらく自分に試そうとしている。
ひたすら自分を貶し続けてみる。
100点満点中せいぜい5点の私をそれで良いと受け入れる。