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さようなら 高校生

去る2月20日、私は高校を卒業した。
国公立勢が少ない為か2次試験よりも前の変な時期に卒業式があったために普通に卒業式を終えることが出来た。

遂に12年間耐え続けてきた狭い教室の中の空気から開放された。おつかれ、私。

陰キャだ何だ言うけど友達と制服プリ撮ったり制服タピオカ出来たり文化祭もヘアアレしたり目の下にキラキラ貼り付けたりしたしなんだかんだまあ確かに毎日トレンチコートマフィア予襲復讐を聴きながら通学するようなスクールカースト的には恵まれない生活は送っていたが所謂“記号”としての青春は果たせたと思う。
なお制服ユニバはコロナのせいで無くなった。
こればっかりは仕方がないことなコロナのせいで痛いコスプレ偽高校生が大量発生してしまうことになるだろう。コロナが落ち着いたあと、もしユニバあるいはディズニーで偽物の高校生が蔓延っていたとしてもどうか暖かい目で見てやって欲しい。

肝心の高校生活は楽しかったかと言われると別にそうでも無い。なんせスクールカースト底辺だったし私自身が人間に苦手意識を持っていたから。
けどそんなこと関係ないくらいに私は多くの大切なものに出会えることが出来た。

まず、友達。友達の数こそ両手で足りる程しか出来なかったけど本当に人として尊敬出来る、一緒にいて楽しい友達と巡り会えることが出来た。
修学旅行もクラス行事も友達がいなかったら休むつもりだった。私が保健室行った時に絶対来てくれた友達は心が綺麗すぎて一周まわってちょっと怖かった。色んな事情で転校した友達から2月27日にゆうパックが届いた時、何をしたのか不安になったら誕生日プレゼントだった時は本当に涙が出た。
ここまで話したら私の友達がいかに清らかな心の持ち主ばかりかということがわかっただろう。

そして先生。そりゃゴミみたいな教師もいたけどだいたいがいい人だった。
扱いやすい生徒しか見ず大人しい子やいわゆる“個性的な子”は無視するような教師ばかり見てきたから私のような大人しい子と個性的な子のハイブリッドとかいうどう考えても地雷案件な生徒でもちゃんと無視せずに平等に接してもらえることに入学から卒業までずっと驚きっぱなしだったし慣れなかった。

3年の担任の先生には本当に迷惑をかけたし本当に大切にしてもらったと思う。
先生には何度も伝えたがこんな地雷案件あと5年は来ないだろう。お疲れ様でした。

あと高2の時の日本史の先生。
通常の日本史も演習の授業もこの先生が担当だったから週6で毎日会っていた。
この先生は授業がめちゃくちゃわかりやすい。
まずそこ。
多分私のクラスの日本史選択はその先生が担当だったから2年が終わる頃にはほとんどのメンバーが日本史が好きな科目だったと思う。
そして授業が面白いだけじゃなくて面白い。(私のツボが浅いというのもあるだろうが)わけわからんくらい面白い。さらに面白いのに人のことを傷つける話題でウケ狙わないとこが本当に大好きだった。

実はこの先生、日本語ラップがめちゃくちゃだいすきで一度授業中にどういう話の流れか忘れたがSHINGO☆西成とKREVAの曲(タイトル忘れた)を流したことがあった。昔からKREVAが好きと言っている。梅田だとテークエムが1番好きらしい。

そして国語の先生の話は以前noteで書いたから今更話すこともないだろう。
せいぜい卒業式の時にこの先生に「私がMCバトルに出ることがあるとするなら最ッ低のMCのサンプリング(注)で先生の名前を出しますね」という話をしたくらいか。本当にきしょいくらい今の趣味や思想はだいたいこの人からのものだ。

ダラダラと書き連ねたけどどうやってしめよう。

あ、あとJKは無敵と言うが実際3年間過ごしてみて別に無敵感はなかった。(これは私が陰キャだとか学校の校則が厳しいとかそういうの抜きに)
逆に私服で派手髪できてピアスできてバイトできる大学生の方が無敵じゃねとも思う(あれ?校則が自由な高校ならできるのでは?)

なんだかんだあったけど3年間特に後悔も何も無い。
強いて言うなら制服ユニバだけだ。あと受験抜きに「学生生活」について振り返ってみたら意外と思っていたより楽しいものだった、ということに早いうちに気がついとくべきだったなって思った。


般若の最ッ低のMC という楽曲がバトルビートに使われるMCバトルにおいて
「ギドラ ブッダ 雷 ペイジャー 俺が狂ったのは奴らのせいさ」というリリックを引用して自分が狂わされたアーティストや先輩などの名前を挙げるというMCバトルにおけるお約束のようなもの
このバトルがわかりやすいと思う。

(この場合AuthorityはSEEDA、mu-tonは地元の先輩とEminemと2pac)

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