僕は他人に優しくなれるか
世界一周ゼミ15期。
世界一周について考えるTabippo主催の50日のセミナー。
なんとなく今までも興味があって、それでも参加してこなかったそれに今回参加しようと決めたのは、ちょっとした心情の変化があったからだ。
はじまりのはじまり
私が世界一周をしてみたいかも、と思ったのは初めて海外にいった23歳の冬だった。
初海外で行ったのはシンガポール。
日本とは違う美しい街並み。強い日差し。食べたことのない料理。
すべてが新鮮だった。
(※シンガポールの景色--Pixabayからの画像)
大学時代は国家資格取得に向けて忙しく、海外旅行を考える時間もなかった。
だからなのだろうか、こんなのはみんな思うことなのだろうが、
私は初めて海外に行ったこの日「もっと世界の景色をみたい」と思ったのだ。
しかし、仕事をしたり、社会人として生きていく中で現実を見てしまった。
「行きたい、だけでは行けない。お金はどうする?」
「積んできたキャリアは?」
「結婚したらそんなことできないかも」
「結局世界一周したところで何も変わらない」
そうやってやれない理由が積まれていく。
「そうだ、別に特になし得たいものもないし。カメラマンや冒険家になりたいわけでもないし。20代後半にもなって今更世界一周したところで何になるの。旅行で行きたい国に行けたらそれでいいじゃないか。
どうしてわざわざ一周するのか。私にはそんな時間ない」
一歩足を踏み入れてわかったこと
初めて海外にでたあの日から、4年が経った。
その中で旅と旅行の違いを知った。
旅は、どこかに行ったり景色を見るだけではなかった。文化や人、価値観…その場所を形成するものに触れるもの。
そして、自分自身が再構成されるきっかけになるものだった。
私がそれに気づいたのは、タビイク(旅人育成期画)で参加したタイ10日間の旅。それと、
ゲストハウスで暮らし始めたからだ。
(※私が3か月暮らしたhostelDENの共有スペース)
コロナ禍の2020年11月私は借りていた部屋を払って、アドレスホッパ―になった。その初めての拠点に選んだのがHostelDENというゲストハウスだった。(このゲストハウスへの愛は以下のNote)
ゲストハウスで住んで思ったことは、ここで生活すること自体が旅であることだった。
人と出会い、時間を共有し、その人の大切なものを知る。
そしてその中で自分自身の価値観も変化した。新しく得たというよりも、自分自身の感覚が再構成されていく感覚があった。
今まで取らなかった行動をとったり、考えなかったことを考えたりする。
1番感じたのは、自分が人に対してほんの少しばかり興味を持ち始めたこと、他人に優しくなったことだ。
誰かと一緒にご飯をつくったり、「話を聞いてほしい」と言われて時間をつくったり、人に向き合おうという意識を持つ。
「この人は嫌だ、嫌い」と思うのではなくて、
「なんでそういう風に考えてるのかな」
「この人変わっていて面白い」そういう風に考える思考パターンになった。
そして1番大きな気づきは、そういうことを考える自分自身を好きだと思えたことだ。
世界一周で僕は他人に優しくなれるか
もっとたくさんのものに触れたら、私はもっと心の広い優しい人間になれるのではないか。
1度は諦めた世界一周をまたやってみたいという気持ちになった。
世界には日本では見えない様々な景色・出会えない人種があふれている。
美しい景色よりも、汚くて醜い世が見たかった。
貧困、環境劣悪、目をつぶりたくなるような最下層の世界を見たときに、私の心はどう思うのだろう。
自分自身とはかけ離れた生活をしている国や民族と出会った時に、自分はどう再構成されるのだろう。
私は優しくなれるのだろうか。
他人に優しくなった自分は、この日本を見て何を思うのか。
そういうことのために、私は世界に行きたい。
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