2024年・・・
2024年も後1日…。
俺の2024年を振り返ろうと思う。
娘、水戸ホーリーホックデビュー!!
まず初めに、娘誕生してから初めてのアツマーレ!!
アツマーレでは幸司さんに抱っこしてもらいパワーをもらう娘。
この頃は娘は何も分かってないだろうけど俺にとっては凄く嬉しかったしきっと大きくなった時に、娘にとっても自慢の写真になるだろうな
そして、新体制発表会&ホームタウンドラフト会議。
俺も嫁ももちろんのこと娘も初めての参加。
今年はこのメンバーと共にJ1を目指して戦うぞ!と心に決めた日…。
ドラフト会議も楽しくてまた来年も行きたいと思える内容だった。
そういえばこの日、娘は初めて社長に会ったんだ😳
PSM 鹿島アントラーズ戦🦌
毎年恒例のPSM鹿島戦。
昨年、一昨年と2連勝したこともあり、3連勝に期待がかかる試合。
娘初めてのサッカー観戦。
この時はチャントを子守唄がわりにすやすやと寝てたなぁ笑
結果は1−0で負け。
でも内容的には悪くない試合だったと俺は思う。
シーズン開幕!
今年はシーズン開幕がホームと言うことで行ける!と思っていたがまさかの天気予報が怪しく、娘も生まれたばかりなので行くことを断念😢
3月2日の甲府戦から娘のケーズデンキスタジアムデビューになった。
そこから天候の関係で行けない日は嫁に娘を預けて俺だけスタジアムに行く事も増えた。
天気が悪い時、俺1人で行くことを許してくれた嫁には感謝でしかないと共に俺は嫁と娘の分も全力で応援して来たと思う。
パイフラデビュー
県南支部と名乗っている割には何も出来ていないなと気がついた俺。
そこで県南支部でパイフラを作って振りたいな。
もっとゴール裏を旗でいっぱいにしたいなと思った俺が居た。
そこでパイフラを作って振ることにした。
夜な夜なデザインも自分で考えこの旗で選手達の後押しが出来れば…。
と言う思いだった。
フラッグ作成会社にデザインを送り家に届いた時は本当に感動したし今以上に応援に熱が入るような感じがした。
そして5月3日横浜FC戦アウェイでのパイフラデビューとなった。
そこから行ける試合はこのパイフラを振って応援するようになった。
まさかのメンバーで…。
それは7月6日の藤枝戦。
その日はやっぱり天気が悪く娘を連れての藤枝遠征は大変だと言う事で嫁と娘は行かないことに。
その時のチーム状況はとてつもなく危なく俺は絶対に応援しに声を届けに行きたいと思っていた。
嫁にお願いし行かせてもらうことに…。
弟は学校とバイトが忙しくて行けず。
俺とおとんとおかんでの3人で参戦!
1−3で大敗。
悔しくて涙が止まらなかった。
その帰りの車の中でおかんが一言「ホーリーホックがなかったらこの3人でどこかに泊まるってことは無かったよね」
確かにそう思う。
俺ももう30歳、嫁も子供も居る。それに今まで家族旅行に行くのも弟も必ず一緒に行くからだ。
今思えば、ホーリーホックのおかげで絶対にできない事が出来ている気がする。
別れの9月。
今年は娘もプラスで楽しい一年で終わると思っていた。
でも人生ってそんなに甘くないなぁ。
出会いもあれば別れもあるもの。
それは分かっていた。
9月25日18時。突然鳴るライン。
見ると。水戸ホーリーホックのレジェンド幸司さんの引退発表。
嘘だろ…。夢であってくれ…。
一緒にJ1に行きたいのに…。
と言う思いと共に涙が止まらなかった。
本当は良くないんだろうけど、その日から俺はチームの為にではなく幸司さんの為に、
幸司さんが最後いい形で終われるようにと全力で応援していた。
俺にとって幸司さんはそれぐらいの存在だから。
(幸司さんへの思いは以前のノートに書いてありますよかったらそちらも読んでいただけると嬉しいです)
人生初の飛行機アウェイ✈️
そんな思いで向かった鹿児島アウェイ。開幕当初から今年の目標は飛行機アウェイに1つは行くという目標があった。それが鹿児島だった。
鹿児島には色々な思いがある。家族で大好きなアーティスト『長渕剛』の生まれた地。
オールナイトライブが行われた桜島も曲になっている鹿児島中央駅、ナポリ通り…。
色々ありすぎて書ききれない。
人生で一度は行きたい地だった。
鹿児島空港からバスで移動。鹿児島中央駅に到着した時、路面電車や鹿児島中央駅の観覧車。そびえ立つでっかい桜島は見えなかったけどナポリ通りには感動したのを今でも覚えている。
ホテルのチェックインを済ませてスタジアムへ…。
スタジアムで飲んだ芋焼酎は美味しかったな。
そして、幸司さんの思いを背負って戦った試合。
3−0での大敗。
今までに無いくらい悔しくてどう使用も無かった。この試合のことは今でも言葉にできない。
大切な家族との別れ…。
鹿児島戦の次の日。それは突然にやってきた。
いつもの様に朝起きてどこに観光に行って、何食べるか家族会議をしていた時に突然おかんの電話が鳴った。
俺は嫌な予感がした。
それは大好きなおばあちゃんが危篤状態だと言う知らせだった。
早く帰りたい。でも帰れない。どうにか間に合ってくれ。
そんな気持ちとおかんのメンタルが心配でしょうがなかった。
飛行機の時間までは帰れないどうしようもない状況。
本当に間に合ってくれと願うしか無かった。
羽田に到着その後自宅を通り過ぎおばあちゃんの病院へ。
間に合った。
コロナ等あり娘を見せてあげられてなかったけどその日は面会許可してもらえておばあちゃんに娘を見せられた。それだけは本当に良かった。なんか心なしかおばあちゃんも安心してくれてたと思う。
そして次の日、おとん、おかん、俺、弟に見守られ天国へ旅立った。
その時、俺は思った、俺ももっと両親を大切にしなきゃなと。
おばあちゃん本当にありがとう。
推し活本当に最後の日。
11月3日 山形戦。
この日は幸司さんのホームでの最後の日となった。
試合中泣きすぎて内容が頭に入ってないけどケーズデンキスタジアムで見る背番号『1』その姿は世界で一番かっこいい。それだけは再認識できた。
そして引退セレモニー
俺と弟はピッチレベルで見ることに。
中々こんな経験はできないと思う。
このチケットを買うことを許してくれた嫁。
本当にありがとう。
そして念願の幸司さんのユニフォームを着て皆んなで写真を撮る事が出来た。
これからは違う形で幸司さんとJ1に行きたいな。
最後に…。
今年一年家族としても県南支部としてもかなり成長出来た濃い一年になったと思う。
それも、今年色々と励ましてくれたり仲良くしてくれた方々のおかげだと思ってます。
本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
ps.おとん、おかん、弟、嫁、娘には本当に感謝しています。
来年も仲良く楽しく応援しようね!!