ちょっとむかしの大和郡山市洞泉寺町~元遊廓街のおもかげ~#01 メインストリート編

画像1 大和郡山市町家物語館のある洞泉寺町について、これまでに調べたことを公開する。画像は左:洞泉寺町の地籍図、右:各楼配置図(大正期)
画像2 大正二年の地元新聞で、この界隈の様子が述べられている。
画像3 洞泉寺町の入り口(平3年頃)には、「寿司ひと口」があった。法被には「又春廓」の文字も見える。青楼へ向かう際、遊客が立ち寄っていたのか。
画像4 1991年に撮影された洞泉寺町のメインストリート(入り口から源九郎稲荷神社までの直線道路)
画像5 華やかかりし頃の洞泉寺遊廓 左:昭和30年頃、右:平成3年頃の洞泉寺町の様子(地図は昭和43年の住宅マップ、聞き取りなどから推定)
画像6 2021年4月の同じ場所、一年前まで素晴らしい遊廓建物があったことなど、まったくわからなくなってしまった
画像7 1995年頃の富士屋楼。売春防止法施行(1958)以降下宿所「きくみ荘」として利用されていた。富士屋楼については別項を設けて後日詳しく説明したい。
画像8 取り壊される数年前まで人が住んでいた、植甚楼。解体時に棟札が見つかった。
画像9 2018年ごろの木嶋屋。2020年の解体時に「明治四拾四年(1911)九月」棟札と看板が発見された
画像10 このような建物群が2020年3月の解体まで残されていた。
画像11 こちらは現在の洞泉寺町(Googlemapより)
画像12 2020年4月更地に。現在は駐車場になっている。次回はメインストリート南側の予定。ここで紹介している内容、及び画像のみを無断使用厳禁。使用される場合は必ずご連絡いただき、引用先にこのページのURLを記入のこと。

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