言語学版 ガリレオ 特別編
比較級 Xの献身
ネットでいくらでも情報を得られる時代に、「調べる」とはどういうことなのだろう?
この問いに向き合っているのが、この ↓ 本である。
その中で、哲学者の萱野稔人さんは「知性の本質は、アウトプットに宿る」としている。
調べた情報をもとに、自分の考えをまとめあげ言語化することが重要との指摘である。
しかし、言葉の方は言語化しないことが多い。
しかも、その「隠された」部分が言葉の理解に重要な役割を果たしている。
次の比較級の文をみてみよう。
John is older than Mary.
この文はJohnとMaryを比べているのではない。
JohnとMaryの年齢を比べている。
しかし、2人の年齢が何歳かという数値は表されていない。
つまり、言語化されていない年齢の数値 (x, y)を比べている文なのである。
「論理的に思考するためには、冷静な分析をすることが必要だ」
このように、比較級は言語化されない数値の比較を行っている。
moreの例もみておこう。
(『くらべてわかる英文法』 畠山雄二 編より)
さらに、同等比較の場合も、言語化されない数値を考える必要がある。
(4i) The swimming-pool is as deep as it is wide.
The swimming-pool is deepは「プールが深い」ことを意味する。
また、The swimming-pool is wideは「プールの幅が広い」ことを意味する。
しかし、上の(4i)の例では、必ずしもそのプールが深いわけでも幅が広いわけでもない。
なぜか?
その理由は、(4i)は「言語化されない数値が同じである」としか言っていないからである。
つまり、it is x deepと it is y wideの数値が同じ(x = y) ことを表している。
よって、xとyの値が小さいなら、そのプールは深さも幅も小さいことになる。(『関係詞と比較構文 英文法大事典シリーズ7』 Huddleston & Pullum (翻訳本)より)
このように、言葉に現れるのは「氷山の一角」なのである。
「誰にも解けない問題を作るのと、その問題を解くのとではどちらが難しいか」
無意識に使っている言語にも解けない問題が多い。
そもそも、誰かが問題を作ったわけでもない。
ただ、問題を見つけ出し解くことは、実に面白い。